グルメ回転寿司「銚子丸」の創設者、堀地速男氏と神渡良平さんの共著を読みました。
神渡さんのFacebook投稿で知って購入したので、最初は神渡さんの本だと思っていました。しかし内容は、堀地氏の自伝的なもので、おそらく堀地氏から話を聞きながら、神渡さんがまとめたものかと思います。
堀地氏は、この本の完成のために死力を尽くされた後、亡くなられたのだそうです。吉田松陰の教えに影響を受けた堀地氏の生き様は、最期の瞬間まで貫かれたように思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「実際の例で言えば、人から謗(そし)られたり、あられもないことを言われたりすると憤るのが人情ですが、たとえ憤っても心のどこか奥のほうに、
『イヤ、こういうことも、自分を反省し練磨する契機になる。この苦境で自分ができていくのだ。それも結構じゃないか』
と思うことです。人が自分をけなすことも、心をむなしくして謙虚に耳を傾けたら、案外面白いことがあります。すると笑って対応できます。これが喜神を含むということです」(p.36 - 37)
堀地氏は、安岡氏の本に影響を受け、講座を受けに行ったのだそうです。そこで聞いた安岡氏の「喜神を含む」という話に、感銘を受けたと言います。
「松陰先生はこのころから「二十一回猛士(もうし)」と号するようになりました。というのは獄中で不思議な夢を見たのです。
夢の中に神が現れ、一枚の書き付けを渡されました。見ると「二十一回猛士」と書かれていました。」(p.131)
藩の命に背いたり、国禁を犯すなど、無謀とも思えるようなこと数々行った松陰です。これは、そのように生きよと神から命じられたことだと感じたようです。
「義を貫くためには、あえて猛挙といわれるようなこともしなければならないのだ。無謀ともいえるようなことを二十一回もしなければ、今の世論は変えられない。勝算がなくても、捨て石になる覚悟で臨まなければ、世の流れなど変えることはできないのだ!」(p.133)
松陰はこのように感じて、覚悟を決めていったようです。日本が良くなると信じて、そのために自分ができる最善のことをやろうとした人物。そして29歳の若さで処刑されたのです。
「このように私たち”銚子丸人”の気概は、松陰先生の教えによって育成されています。だから恩返しとして、五十年もの間抱き続けた思いの通り、松陰先生に研修会館・立志殿を寄贈させていただき、心から感謝しています。
私たち一人ひとりが志をもって輝くとき、日本全体も輝きます。どうぞみなさまのお力を貸していただき、いっしょになってこの国を盛り立てていこうではありませんか。」(p.7)
死の3日前に書かれたという前書きで、堀地氏はこう言っています。志を高らかに掲げ、教育によって人を育てる。そのことが、企業の繁栄にもつながるのだと、堀地氏は示しているのです。
吉田松陰については、単なるテロリストだという見方もあります。たしかに、暗殺を企てていますから、テロリストとも言えるでしょう。
しかし、それだけではないことも事実です。ですから、わずか100人足らずの私塾から、多くの人材が輩出されました。
そして現代においても、松陰の教えによって、革新的な成長を遂げたグルメ回転寿司「銚子丸」が生み出されました。
改めて松陰の生き様や考え方を学ぶことも、自分の生き方を見直す上で役立つのではないかと思います。
※神渡さんにサインしていただきました。
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