TEDのスピーチで有名になった植松努(うえまつ・つとむ)さんの本を読みました。
植松さんは、北海道で宇宙開発を行う中小企業、植松電気の専務取締役です。そのかたわら、子どもたちにロケットの製作や打上げを指導したり、全国で講演活動もされています。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
小学校6年の時、先生から卒業論文に自分の夢を書くようにと言われた植松さんは、「潜水艦を作りたいです」と作文に書いたそうです。
すると先生から、「夢みたいなことを書くんじゃない」と怒られたそうです。先生にとっての「夢」とは、「ちゃんとした仕事」のことだったのです。
「”実現しそうなこと”しか、夢だといってはいけないのか。
では実現するかしないかは、一体誰が決めるんだろう。
やってみなきゃわからないはずだ。
やったこともない人が「無理だ」と決めるのは変じゃないか。」(p.40)
小学生のころには、小学生としての「できる限界」があります。大人になってもやはり、そのときの「できる限界」があります。
しかし、今できないからと言って、将来もできないとは限りません。それなのに、その時点で将来の限界を決めてしまうのは怖いことだと植松さんは言うのです。
潜水艦作りを追いかける植松さんに、大人たちは「そんな暇があったら勉強しろ」と言ったそうです。そうしないと、いい学校に入れなくて、いい会社に入れなくて、大変だからと。
成績があまりよくなかった植松さんは、心配になって「いい会社とは、どんな会社ですか?」と尋ねたそうです。大人たちは、わかりやすく教えてくれたそうです。
「「いい会社とは、安定していて、楽をして、お金をもらえる会社だよ」
納得ができません。なぜなら勉強すればするほど、能力が身につくはずだからです。せっかく身につけた能力を、なるべく使わないようにするために、勉強しろというのです。なんじゃそりゃと思いました。」(p.43)
「たとえ「楽な仕事」を見つけて、その仕事につくことができたとしても、きっとつまらないです。やりがいとか達成感は、その仕事が困難だからこそ得られるものじゃないですか。」(p.44)
たしかにそうですね。おそらく、そう説明した大人たちには、自分たちの矛盾がわからなかったのでしょう。
勉強して高い能力を身につけたなら、それを生かすことに意味があります。これまでできなかったことを、できるようにすることに意味があります。
「今できないことを追いかけることが夢ならば、人は夢を持つことによって、能力が増えて、できる仕事が増えることになります。」(p.47)
夢を持つことが素晴らしいのは、自分の能力を高めてくれて、それによって他の人に貢献できるからですね。
植松さんのお祖母さんは、樺太で自動車を売ってかなり儲けたそうです。しかし、1945年にソ連が攻めてきた時、すべてを失いました。貯めたお金が全部、紙くずになったのです。お祖母さんは植松さんに、こう教えたそうです。
「だからお金があったら、貯金なんてしないで、本を買いなさい。
知識を頭に入れなさい。」(p.56)
お金を自分の知識と経験のために使うこと、つまり自己投資することを勧めたのです。
「ぼくの生まれた町には「飛行機を作ったことがある人」がいませんでした。
でも出会えるんです。そのために本があるんです。本のすごいところは、この世にいない人と出会えるというところです。」(p.112)
自己投資の中では、読書は本当に安くて、しかも効果絶大な方法だと思います。
新しいことに挑戦しようとすると、失敗する可能性があります。「失敗しそうだから」と言ってやめていては、自分の能力を高めることができません。
植松さんは、「失敗したらどうするか、いっぱい考えてみる」ことを勧めます。たとえば雨を心配して、旅行をやめるのはナンセンスです。雨が降ったらどうするかを、予め考えておけばいいのです。準備を怠らないことが重要なのです。
「ただ残念なことに、どれだけ準備をしても失敗するんです。
そのとき「失敗」そのものに罰を与えてはいけません。なぜなら、罰はいやですね。罰がいやで失敗を避けるようになったら……なにもできなくなります。もしくは失敗を隠すようになってしまうこともあります。」(p.80)
罰は失敗の抑止にはならないのです。むしろ失敗を隠ぺいすることで、より大きな失敗を招く可能性があります。
「失敗を自分のせいにしてはいけません。自分をいくら責めてもなんにもならないし、もちろん誰かを責めても、運の悪さを呪ってもなんにもなりません。
(中略)
大事なのは「なんで失敗したんだろう」「だったら次はこうしてみよう」という言葉をかけ合うことです。」(p.80)
責任追及も失敗を生かすことにつながりません。それは本当の反省ではないからです。本当の反省とは、次はどうするかをみんなで考えること。失敗したら、そこに貴重な情報があるのですから、それを生かすことが大切なのです。
植松さんは、「どうせ無理」という言葉をなくそうと提案されています。それは、その言葉によって「努力は無駄だ」と思い込まされ、自信をなくすからです。
「いじめられる人もかわいそうですが、いじめをしてしまう人も、誰かに自信を取られてしまったかわいそうな人たちです。そのかわいそうな人たちが、自分の自信を守りたくて、しょうがなく他の人たちの自信を奪っているのです。」(p.173)
いじめや暴力は、自信を失ったことが原因だと、植松さんは言います。
「ぼくは世界中から「どうせ無理」という言葉がなくなったら、いじめや暴力や戦争がなくなるかもしれないと思ったのです。」(p.174)
植松さんは、「どうせ無理」をなくすために、宇宙開発をやっていると言います。不可能と思われることに挑戦し、その思い込みをぶち破ることで、それが単に思い込みであると証明したいのでしょうね。
「今日から「どうせ無理」という言葉に出合ったり、この言葉が心の中にわいたときには「だったらこうしてみたら」を考えてみてほしいのです。つぶやいてみてほしいのです。
ただそれだけのことで、いつかきっと、この世から「どうせ無理」という言葉がなくなって、暴力の連鎖がぷつっときれるはずです。いじめや虐待がなくなるはずです。」(p.184 - 186)
「否定する人は必ずいます。でも否定する人に「否定すんな」といってやめさせることはできません。だから一番大事なのは、否定されても気にしないことです。」(p.206)
他人の口に戸は建てられません。批判者には、批判させておく他ないのです。
「自分の心の中はもう「苦しい」とか「つらい」とか「きつい」とか「悔しい」とか「申し訳ない」とか「悲しい」とか「恥ずかしい」が、ぐるんぐるんして大変なことになりますが、そのときはこの言葉を唱えればいいです。
「ただいま成長中」」(p.208)
失敗して、思い通りに行かなくて、逆境に陥って、大変な時にこそ、人は根を張っているのです。そのとき、人は成長しているのですね。
「勉強は、「社会の問題を解決するためのもの」です。そのために人類が必死に積み上げたものです。」(p.212)
良い成績を得るために、それによって評価されるために、勉強があるのではありません。自分の能力を高めて、社会をより良くするためにあるのです。
「教育は「死に至らないよう、失敗を安全に経験させるためのもの」です。」(p.212)
教育は、失敗の避け方や、要領のいい生き方を教えるためのものではありません。失敗こそが貴重な経験なのですから、上手に失敗させることこそが、教育の目指すべき方向だと、植松さんは言います。
植松さんが目指しているのは、個人の成功ではありません。いじめや暴力や戦争のない社会です。
そのためには、可能性を否定しないこと。失敗しながら成長することを認め、責めず、恐れないこと。そういう社会が実現することを願って、不可能に挑戦されているのです。
