何かで見て、これもタイトルがすごく気になったので買った本です。弁護士の西中務(にしなか・つとむ)氏が書かれています。
何が気になったかというと、やはり弁護士という職業です。悪徳弁護士になると、あえて争いネタを探し、当事者を焚きつけて弁護士料を稼ごうとしたりします。
中には人権派と自称し、弱者の味方のふり(自分も陶酔しているのかも)をして、本当は弱者の不安を煽って訴訟を起こさせているだけの弁護士もいるようです。
そんな職業でもある弁護士の西中氏が、どうやって「争わない生き方」を追求しつつ、それで弁護士という仕事を成り立たせているのか。そこに非常に興味を持ったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「弁護士の仕事というと、人の争いごとで儲けていると思われるかもしれませんが、それは、大きな誤解です。弁護士ほど、「争わない生き方」を望んでいる職業はないと思います。なぜなら、争いをして人生によいことは何もないと毎日実感しているからです。」(p.4)
西中氏は、このように言います。しかし、この言葉は額面通りには受け取れません。なぜなら最初に書いたように、あえて争いごとを引き起こす弁護士がいることも事実だからです。
それに、もしこの世から争いごとが一切なくなったら、弁護士はどうやって生計を立てるのでしょう?
これは患者と医師(医療関係者)の関係も同様で、治す病気がなくなれば、薬を使ってくれる患者がいなくなれば、医師も要らなくなるのです。同様に、争う人がいなくなれば、弁護士商売はあがったりですから。
「私は、世の中から争いがなくなり、すべての人が豊かで喜びにあふれた価値ある人生を送ることができるよう望んでいます。そして、弁護士の仕事がなくなること、つまり揉め事や裁判がない世の中を目指しているのです。」(p.5)
つまり、まだその理想への道を歩き始めた段階だと言われているわけですね。裏を返せば、現時点では弁護士の仕事で儲けることと、「争わない生き方」は両立しない、と言っているようにも受け取れます。
「争って勝利を手にするよりも、争わないほうがずっと幸せだと知った私が、この本を書くのは、罪滅ぼしとしての遺言の意味もあります。争わない生き方をすすめる弁護士がひとりくらい、いてもいいではありませんか。」(p.5)
ここまでしつこく引っぱったのは、やはり最初の私の関心がここにあったからです。
最後まで本を読んではっきりしたことは、「争わない生き方」で弁護士という職業が成り立つということは、どこにも書かれていないということです。
そういう意味では、ちょっと期待外れだったという気はします。けれども、その理想を追う姿として、一人の弁護士の生き方を知るのも、また自分の生き方に役立つようにも思いました。
イエローハットの鍵山秀三郎さんが推薦されているように、争いに走りがちな弁護士という仕事をされながらも、「穏やかな気持ちでいられる方法を示してくれる良書」とも言えますから。
「人間の最大の錯覚は、法律を守りさえすれば、何をやってもよいという考えのもとに、「経済的な成功」や「学力・権力・地位・名誉」を求めてしまうことです。経済的な成功には限りがありません。お金を得れば得るほど失う恐怖がつきまとい、結局安らかとはほど遠い精神状態になっている人もいます。また、権力や地位、名誉があるがゆえに、小さな失敗も許されず、足下をすくわれまいと神経を尖らせている人たちもいます。これは、幸せな状態とはとてもいえないのではないでしょうか。
このような人たちに出会うたびに、私の中では大きな疑問とやるせなさが膨らんでいきました。学力、金、権力、地位、名誉は生きていくためには必要なものです。しかし、これらは所詮道具にしかすぎないのです。真に幸せな人生を実現するためには品性(人間力)が最も大切なものです。」(p.15)
裁判など争いごとの争点は、まさにこの金とか名誉などの奪い合いのようなものです。そういう争いを長年見続けてこられたことで、西中氏は疑問を持たれたのですね。
そこで西中氏は、素晴らしい本や人などから得た教えを、この本の中でシェアしたいと言われます。もちろんこれは、単に受け売りではなく、その教えに従って西中氏が実践されてこられたことです。
「仏典や聖書には、いろいろとありがたいことが書いてあります。
その教えは、結局「よいことをしなさい。悪いことをしてはいけません。お世話になった人に感謝しなさい。人の嫌がることをしてはいけません。人に喜んでもらえることをしなさい。困っている人に手をさしのべなさい。人を傷つけることを言ったりしてはいけません」など。」(p.17)
究極的には、上記のことをしていくことが自分の幸せにもつながるし、社会の幸せにもなるのだと西中氏は言います。
しかし、それは簡単なことのようで、いざ実践しようとすると困難なことでもあると言います。だからこそ、淡々と与えられた使命をこなしていくことなのだと、自らに言い聞かせるように言われます。
「もし、自分と相手がまったく別の次元にいたならば、喧嘩にも言い合いにもなりません。相手を悪く言う、批判をしている時点で、自分も他人からそのように思われているのです。
これは耳の痛い話かもしれませんが、自分の嫌な部分を直すチャンスなのです。嫌な人が目の前にいるのは、あなたのために用意されたチャンスだと考えてください。」(p.23)
嫌な人と出会うこと、困った出来事が起こること、みんな自分のための砥石なのですね。それによって自分を磨くことができる。そう考えれば、そういう人や出来事は、自分のための最大の助っ人だと言えるわけです。
では、西中氏は弁護士活動の中で、どうやってそういう生き方を実践されているのでしょう? 書かれている部分はあまり多くありませんが、その一部を引用しましょう。
「そこで私は、感情的になっている方に、まずは冷静になってもらうことにしています。いきなり私が、「争わなくてもよいのではないですか?」と言っても、本人は感情的になっていますから、まったく受け入れてくれません。
そこで私がまず問いかけるのは「相手に対して、感謝の気持ちがまったくありませんか?」ということです。」(p.66 - 67)
この方法は、小林正観さんも言われてますね。どんな許せない相手の中にも、感謝できる部分を探すことはできる。ですから許そうとするのではなく、まずは感謝してみるのだと。
「このように考えていただくと、訴えを取り下げたり、和解の道を探られたりする方が多いのです。解決した方は、すっきりした表情に変わります。
争うことを焚き付けて勝利を勝ち取り喜ぶ弁護士よりも、真の幸せを求めて争わない道を探る弁護士でありたいと私は常に思っているのです。」(p.67)
そして、和解を選択することで良い結果が得られた事例についても書かれています。これは、スーパーの中の精肉店が、オーナーから急に出て行くよう通告されたときの相談事例です。
「もし出て行くのであれば、損害賠償金を請求することもできると私は申しあげたのですが、彼はそれを選びませんでした。七年間にわたってお世話になってきたオーナーとの人間関係を壊したくなかったからです。」(p.68)
その結果、オーナーは彼に、出店する場所を探すための人脈を紹介してくれ、以前よりもよい条件で精肉店を出店できることになりました。
また、彼が多店舗展開を考えていたころ、そのオーナーから戻ってきてほしいというオファーがあり、2店舗を持つことになったのだそうです。
「もし彼が、店を出ていく際にオーナーに文句を言い、損害賠償金を請求して裁判を起こしていたらどうなったでしょうか。新たな人脈を得ることもなく、自分で店を探すことになっていたでしょうし、おそらく「戻ってきてほしい」とも言われなかったでしょう。」(p.69)
もちろんこれは結果論かもしれません。しかし、仮にそういうオーナーの好意が得られなかったとしても、争わないことのメリットは大きいと思います。
1つには心が安まります。だって、裁判を長期間継続する必要がないからです。誰かを恨み続けることは、とてもエネルギーがいることですから。
そして、そういうところにエネルギーを使わないから、次の出店に全力を注げたでしょう。それもやはり大きなメリットです。
一時的な損得を考えて、長期的な利益を失うことほど、愚かなことはありませんからね。
私たちは、つい何か益を与えたくれた人にはお返しをし、損を与えられた人には報復したい、と考えてしまいがちです。しかし、その考え方そのものが、自分を苦しめているとも言えます。
西中氏は、昭和二十四年という戦後の貧しい時期にアメリカに留学した永井青年の話を紹介しています。永井青年に対し、E・ルイス教授が非常に親切にしてくれたのだそうです。
「ある日、永井さんは、あまりによくしてくれるルイス教授に対して、なんとか恩に報いたいと思っているけれど、とても恩返しができそうにないと言ったそうです。
すると、ルイス教授は恩返しなどしようと思わなくてよいのだと答えました。そして、もしも借りがあると思うのなら、私にではなく、日本よりもっと悲惨な国から来た留学生に返してくださればよいとおっしゃったのでした。」(p.84 - 85)
ルイス教授は、アメリカ留学によって永井青年が成長し、それなりの地位についてお金も得た後に、日本に貧しい国からやってくる留学生たちに対して、同じようにしてあげてくれと言ったのです。
恩は返すものではなく、他の誰かに送っていくもの。そういう考え方を彼に示されたのですね。
恩を返そうと思うと、それはなかなか難しいことです。そうすると、恩を受けないようにしよう、という気持ちにもなります。だって、返しきれない恩は、負担になるだけですからね。
そうではなく、恩は感謝して受け、その感謝の気持ちを元に、他の誰かに優しくしてあげる。そうすれば、もっと気楽に恩を受けられるし、もっとたくさん他の人に優しくなれるのです。
「私たちは、たくさんの恩を受けて生きています。受けた恩を、目の前の誰かに対して貢献することによって、返していく。これが恩送りです。」(p.85)
私たちは、気がつかないところでたくさんの恩を受けています。1食分の食事を取り上げてみても、汗水たらして働いてくれた多くの人々いたでしょうし、命を投げ出してくれた動植物がいます。それらの恩は、返そうと思っても、なかなか返しきれるものではありません。
「対価を払っているのだから、それで十分ではないか。」という考え方もあるでしょう。だったら、対価を払うから食べさせてくれと誰かが言えば、自分の身体を提供しますか?
お金では換算できない多大なる恩をいただいている。そういう認識を持つことが重要です。そして、その返せないほどの大恩を、与えてくれた人やモノに直接返すのではなく、他の誰かに送っていく。「恩送り」という考え方は、とても素晴らしいと思います。
この本では、宗教的と思われがちな倫理法人会やPHP友の会などで得た智慧も紹介されています。偏見によって、そういう素晴らしい智慧が世に広まらないことを、西中氏は残念に思われるからでしょうね。
83の章に書かれた「争わない生き方」は、私たちの生き方を考える上で、大いに役立つものだと思います。
当初の期待とは少し違っていて、そこがやや残念ではありますが、生き方を学ぶという点では、素晴らしい内容だと思います。

※妻の実家でソンクラーン(タイ正月)の水掛け被害に遭い、表紙がかなり汚れてしまいました。まあでも、読めればそれでよしと現実を受け入れ、争わないことにしました。(笑)
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