2016年04月06日
にぎやかな天地
宮本輝氏の本を読みました。文庫本で上下2冊になっています。
上記のアマゾンリンクは講談社の講談社文庫ですが、私が読んだのは中央公論社の中公文庫です。
2004年に読売新聞で連載された小説が、2005年に単行本になりました。そして2008年に文庫本化されたようです。
私がこの本を読むことになった理由は、「わたり文庫」として坂爪圭吾さんから送られてきたからです。
私がレイキの冊子を送ったところ、その代わりに送ってくださったものです。
坂爪さんは、直筆の手紙が好きだと言われるので、久しく書いていなかったのですが私も便箋にペンで書いて送りました。
いつかタイでも「わたり文庫」をしたいなと思っていたので、こういう形で坂爪さんと交流できて、楽しかったです。
さて、ではさっそく一部を引用しながら内容を…と言いたいところですが、この本は小説です。
なので、あまり引用するのもやぼなので、この小説から私が感じたことを書きましょう。
まず小説の冒頭で、私は衝撃を受けました。
「死というものは、生のひとつの形なのだ。この宇宙に死はひとつもない。」(上 p.7)
なんという哲学的な言葉でしょうか。あるいは、スピリチュアルなと言ってもよいかもしれません。
まさに「神との対話」などで語られている、この世の真実と言えるでしょう。
この言葉が、この小説の中で貫かれています。
と言っても、なぜそうなのかを教え諭すような話ではありません。
小説に登場するのは、いかにも人間臭い人間です。不倫をしたり、浮気をしたり、心中をしたりと。
ではそういう人間たちが、罪の意識にさいなまれて懺悔し、悟りを開くのかというと、そうでもありません。
ただただ、この世はこうなのだ、人間とはこうなのだという、現状追認をしていくだけなのです。そして、それでいいんだなと思えるから、これまた不思議です。
物語の中で、1つ気になった言葉がありました。
「命の波の振動」
これが何か深い意味を持っているようでありながら、特に解説されるわけでもありません。
ただ不思議とその言葉が心に残りました。私がボイストレーニングやレイキなどで、すべては波動だと考えているからかもしれません。
けれども、つきつめてみると、私たちとは細胞の集大成であり、細胞は分子の集大成であり、…というように、最後は素粒子などへ行き着きます。
その最後の姿は、単に振動になっていくのです。
そこには、不倫や浮気を咎める何もありません。ただあるがままに存在し、そして「それでよし」としているのです。
物語は、ハッピーエンドではありません。人間とはこうなのだし、これからもこうなのだろうと感じさせる終わり方です。
しかし、それでいいのだという安心感に包まれて、これからのことは、またこれからのことだと思えるのです。
この小説を私に送るにあたって、坂爪さんはこんなメッセージを書いてくれました。
坂爪さんは、発酵食品のありがたさを感じたようですね。
また、「わたり文庫」ということで、こんなしおりも挟んでありました。
読み終えたので、この本はタイの「わたり文庫」に寄贈したいと思います。
発酵食品のこと、人が死ぬということ、生きるということなど、いろいろと考えさせられる本です。
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