衝撃的だったアドラー心理学を世に広めた前作「嫌われる勇気」に続く第二弾が発売されると知り、迷わず購入しました。
著者はまた、岸見一郎(きしみ・いちろう)氏と古賀史健(こが・ふみたけ)氏のコンビです。
例によって線を引き、ページに折り目を入れながら読みましたが、ほぼすべてのページに印が入るほど。前作と同様に、濃い内容の本でした。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただ、とても全部を紹介しきれないので、詳細はまた本の要点としてまとめるつもりです。ここでは、気になったポイントだけ紹介します。
「もしもアドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています。アドラーがわれわれに要求することの内実を理解すれば、その厳しさに身を震わせることになるはずですから。」(p.8)
イントロダクションで哲人はこのように語ります。哲人もまた誤解から入り、理解の階段を登り、確証を得ていったと言います。では、その得た確証とは何か?
「ひと言でいうなら、「愛」です。」(p.9)
「アドラーの語る愛ほど厳しく、勇気を試される課題はありません。」(p.10)
ここまで読んで、私はすっかりこの本の虜になりました。この本が、間違いなく本質に切り込んでいることがわかったからです。
「これは親子であれ、あるいは会社組織のなかであれ、どのような対人関係でも同じです。まずは親が子どもを尊敬し、上司が部下を尊敬する。役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間のことを敬う。尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。」(p.41)
人間関係で重要なのは、まずは「尊敬」だと言います。そして、それは自分から先に尊敬することなのです。特に上の立場の人ほど、自ら先に尊敬するのです。
では、「尊敬」とは何か?どうすることか?それを社会心理学者のエーリック・フロムの言葉で説明します。
「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」(p.43)
「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」(p.43)
他者を変えようとせず、操作しようともしない。条件も付けずにありのままのその人でいいと認める。それが「尊敬」なのです。
そして誰かから無条件に一方的に尊敬されたら、その人は大きな勇気を得ると言います。生きるための一歩を踏み出す勇気です。
「人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者であり、その過去は「いまのわたし」の正当性を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。」(p.67)
現在の状況を過去のせいにしている人は、実は自分が過去の歴史を編纂していることに気づいていないと指摘します。
歴史は勝者によって作られると言いますが、同じことを個人でもやっているのです。そうやって変われない自分を演出しています。
アドラー心理学では、叱ることはもちろん、誉めることにも否定的です。叱ることは、不安と恐怖で相手を支配することですから、わりとわかりやすいでしょう。では、どうして誉めることもダメなのか?
「彼らは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」のだし、「罰を与える人がいなければ、不適切な行動もとる」というライフスタイル(世界観)を身につけていくのです。」(p.92)
つまり、賞罰を与える人に依存することになるのです。自らの考えで行動するのではなく、動機がすべて、どうすれば叱られないか、どうすれば誉められるかという、相手の顔色をうかがうようなものになります。
これでは、自立することができません。自分らしく生きられないのです。
「よく、謝罪文や反省文を書かせる人がありますが、これらの文書は「許してもらうこと」だけを目的に書かれたものであって、なんら反省にはつながらない。書かせる側の自己満足以上のものにはならないでしょう。」(p.118)
前に「反省させると犯罪者になります」という本を読みましたが、そこにも同じことが書かれていました。アドラーもすでに、そのことを見抜いていたのですね。
「だからこそ、教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかねばならないのです。
(中略)
カウンセリングも同じです。われわれはカウンセリングをするとき、相談者を「依存」と「無責任」の地位に置かないことに最新の注意をはらいます。」(p.122)
アドラーは、カウンセリングも再教育だとして、教育の重要性を主張しています。教育は教育者だけが行うものではなく、すべての職業の人が、何らかの形で関わるものなのです。
そして、その目標は「自立」であると言います。依存させるのではなく、放任するのではなく、自立させることが目標になるのです。
「自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料−−たとえば知識や経験……があれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。」(p.124)
「自立」とは、自分の行動は自分で決定できる、ということです。自立を促すことが、教育なのですね。
「ライバルと呼ぶべき盟友の価値は、大いに認めます。しかし、そのライバルと競争する必要はひとつもないし、競争してはいけないのです。」(p.137)
競争の必要性を認めず、逆に競争するなというのがアドラーの主張です。なぜか?
「競争のあるところ、駆け引きが生まれ、不正が生まれます。誰かに勝つ必要などない。完走できれば、それでいいではありませんか。」(p.138)
競争は、勝つことが目的になるため、ときに不正を生むことになります。そして、その勝利の判断基準が不明確だと、人々はリーダーの顔色を伺い、媚びを売ることになります。つまり、競争は依存を生むのです。では、どうするのか?
「そんな事態を招かないためにも組織は、賞罰も競争もない、ほんとうの民主主義が貫かれていなければならないのです。
(中略)
競争原理ではない、「協力原理」に基いて運営される共同体です。」(p.139)
競争ではなく協力が重要になります。そうすることで自立が育まれるのです。
「信じることは、なんでも鵜呑みにすることではありません。その人の思想信条について、あるいはその人の語る言葉について、疑いの目を向けること。いったん保留して自分なりに考えること。これはなんら悪いことではないし、大切な作業です。その上で成すべきは、たとえその人が嘘を語っていたとしても、嘘をついてしまうその人ごと信じることです。」(p.205)
信じることは、自分の思想信条を曲げることではありません。たとえ騙されても、それでも信じること。それが信頼するということなのです。
「ただ隣人を愛するだけではなく、自分自身を愛するのと同じように愛せよ、と言っているのです。自分を愛することができなければ、他者を愛することもできない。自分を信じることができなければ、他者を信じることもできない。」(p.209)
愛するとは、まず自分を信頼し、自分を愛すること。そこがスタートなのです。
「われわれは、心を豊かに保ち、その蓄えを他者に与えていかなければなりません。他者からの尊敬を待つのではなく、自らが尊敬を寄せなければなりません。……心の貧しい人間になってはいけないのです。」(p.219)
愛されないから愛さないのではなく、まず自分が自分を愛し、そして他人を愛する存在になる。そういう生き方を勧めています。
「たしかに、他者から愛されることはむずかしい。けれども、「他者を愛すること」は、その何倍もむずかしい課題なのです。」(p.231)
どうしてそんなに、愛することが難しいと言うのでしょうか?
「つまり、愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である。しかしわれわれは、それを成し遂げるための「技術」を学んでいない。」(p.235)
たとえば赤ちゃんが立ち上がって歩くような、「ひとりで成し遂げる課題」には対応できます。しかし、「ふたりで成し遂げる課題」は、どうやって対応すればいいのか、私たちは学んでいないと言います。
「利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、不可分なる「わたしたちの幸せ」を築き上げること。それが愛なのです。」(p.239)
つまり2人で幸せになるには、どちらかが犠牲的に貢献している関係ではダメなのです。本当の意味での協力関係が必要なのですね。
アドラー心理学は、個人の自立を促し、ひいては社会全体を平和なものにするための方法論だと思いました。
そして、その語られている内容が、まさに「神との対話」で示されているものとそっくりなことに、ただただ驚くのでした。
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