2016年03月05日

最初から幸せだった

以前、物語の笠地蔵について、「笠地蔵が教えてくれる豊かになる生き方」(2012年7月5日)という記事を書きました。

この記事で私が言っているのは、笠地蔵の話は、「善因善果、悪因悪果」の教訓ではなく、「引寄せの法則」だという見方です。

自分のことをかまわずに与えると、「与えたものが返ってくる」というこの世の法則に従って、与えた以上のものが返ってくるのです。

それについては、今でもその通りだと思っています。


でも、さっき、「そういう見方もあるなあ」と感じる記事を読みました。

「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」WEB版の読者用の特典として配信された、過去の記事です。

2009年8月3日の「特集」で、絵本作家の川端誠さんが、笠地蔵について話していました。概要をかいつまんで説明しましょう。


川端さんが最初に「絵本の絵ってこうなんだよなあ」と思ったのが、「かさじぞう」(文・瀬田貞二,画・赤羽末吉)という絵本だったそうです。

その話が書かれているのですが、おじいさんは最初に、傘を5つもこしらえたと、おばあさんに自慢します。そして売りに行くおじいさんを、おばあさんは期待もせずに送り出します。

おじいさんは傘が売れずに帰る途中、6体のお地蔵さんに傘をかけてやります。そのとき、2番目のお地蔵さんを飛ばしている絵があるのだそうです。

つまり人は、最初と最後はきっちりして、何とかつじつまを合わせようとする心情を、絵で表現しているのですね。

しかしおじいさんは、やはり居心地が悪くて、自分の傘を2番目のお地蔵さんにかけてあげます。

家に帰るとおばあさんは、「おじぞうさんにあげてよかった」と、おじいさんを受け入れます。そして、ありあわせのものを食べて、年を越すことになります。

深夜に、お地蔵さんたちがソリに米や金などを乗せてやってきて、家の前に置いていきます。「それから二人は幸せになった」と書かれているそうです。

しかし川端さんは、本当は「それから」ではなく、既にそこそこ幸せだったのだと言います。

傘を5つも作ったと自慢したり、自分の傘さえお地蔵さんにあげるなど、貧乏はしていても心に余裕があったのです。

川端さんは、次のように言います。

どんなに恵まれない境遇にあっても、ちょっとしたユーモアを楽しんだり、少しでも前向きになるために何か面白いことを見つけようとする。それが生きるバイタリティなのです。そうやって二人はこれまで暮らしてきたんだと思います。
 だから二人は十分幸せだったのです。だから大金をもらったからと言って、二人はそんなに大喜びしてるようには描かれていません。そこがまた赤羽さんのすごいところだと思いました。
 そこに気づいて欲しいのです。そこに気づいたら、この絵本の持っている宝物を皆さんも受け取っていけます。



つまり、大金が手に入ったという結果が重要なのではなく、どんな状況であっても幸せに生きていけるということなのです。

そして、そういう生き方をしていれば、大金が手に入るようなこともある。でも、そこでそれが本物かどうかがわかります。

大金が入ったという結果に大喜びするようなら、まだ本当の幸せではないのです。それはそれとして、「ああ、良かったね」くらいで執着せずに喜べたとき、幸せは本物なのだと思います。


結果に執着するのではなく、今あるがままに幸せになる。そういう生き方を、私もしていきたいと思います。

そんなことを、改めて気づかせてくれた「みやちゅう」の記事に感謝です。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:25 | Comment(0) | 実践内容 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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