以前、物語の笠地蔵について、「笠地蔵が教えてくれる豊かになる生き方」(2012年7月5日)という記事を書きました。
この記事で私が言っているのは、笠地蔵の話は、「善因善果、悪因悪果」の教訓ではなく、「引寄せの法則」だという見方です。
自分のことをかまわずに与えると、「与えたものが返ってくる」というこの世の法則に従って、与えた以上のものが返ってくるのです。
それについては、今でもその通りだと思っています。
でも、さっき、「そういう見方もあるなあ」と感じる記事を読みました。
「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」WEB版の読者用の特典として配信された、過去の記事です。
2009年8月3日の「特集」で、絵本作家の川端誠さんが、笠地蔵について話していました。概要をかいつまんで説明しましょう。
川端さんが最初に「絵本の絵ってこうなんだよなあ」と思ったのが、「かさじぞう」(文・瀬田貞二,画・赤羽末吉)という絵本だったそうです。
その話が書かれているのですが、おじいさんは最初に、傘を5つもこしらえたと、おばあさんに自慢します。そして売りに行くおじいさんを、おばあさんは期待もせずに送り出します。
おじいさんは傘が売れずに帰る途中、6体のお地蔵さんに傘をかけてやります。そのとき、2番目のお地蔵さんを飛ばしている絵があるのだそうです。
つまり人は、最初と最後はきっちりして、何とかつじつまを合わせようとする心情を、絵で表現しているのですね。
しかしおじいさんは、やはり居心地が悪くて、自分の傘を2番目のお地蔵さんにかけてあげます。
家に帰るとおばあさんは、「おじぞうさんにあげてよかった」と、おじいさんを受け入れます。そして、ありあわせのものを食べて、年を越すことになります。
深夜に、お地蔵さんたちがソリに米や金などを乗せてやってきて、家の前に置いていきます。「それから二人は幸せになった」と書かれているそうです。
しかし川端さんは、本当は「それから」ではなく、既にそこそこ幸せだったのだと言います。
傘を5つも作ったと自慢したり、自分の傘さえお地蔵さんにあげるなど、貧乏はしていても心に余裕があったのです。
川端さんは、次のように言います。
「どんなに恵まれない境遇にあっても、ちょっとしたユーモアを楽しんだり、少しでも前向きになるために何か面白いことを見つけようとする。それが生きるバイタリティなのです。そうやって二人はこれまで暮らしてきたんだと思います。
だから二人は十分幸せだったのです。だから大金をもらったからと言って、二人はそんなに大喜びしてるようには描かれていません。そこがまた赤羽さんのすごいところだと思いました。
そこに気づいて欲しいのです。そこに気づいたら、この絵本の持っている宝物を皆さんも受け取っていけます。」
つまり、大金が手に入ったという結果が重要なのではなく、どんな状況であっても幸せに生きていけるということなのです。
そして、そういう生き方をしていれば、大金が手に入るようなこともある。でも、そこでそれが本物かどうかがわかります。
大金が入ったという結果に大喜びするようなら、まだ本当の幸せではないのです。それはそれとして、「ああ、良かったね」くらいで執着せずに喜べたとき、幸せは本物なのだと思います。
結果に執着するのではなく、今あるがままに幸せになる。そういう生き方を、私もしていきたいと思います。
そんなことを、改めて気づかせてくれた「みやちゅう」の記事に感謝です。
2016年03月05日
この記事へのコメント
コメントを書く
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。