2016年02月25日
吉田松陰の言葉に学ぶ本気の生きざま
株式会社都田建設社長の蓬台浩明氏の本を読みました。この本は、中野博さんたちがされている信和義塾大學校で紹介されたので、興味を覚えて買った本です。
帝王学として、書経などを教える信和義塾大學校が紹介している本なので、だいたい内容は想像できました。しかし、縁のある吉田松陰氏の言葉ですので、興味があったのです。
私が松陰氏に縁があるというのは、松下村塾のある萩に近い島根県西部出身で、松下村塾へも行ったことがあることと、幕末の志士の中でも松陰氏にあこがれていたこと、そして私が通った世田谷の国士舘大学の隣に松蔭神社があったことなどです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
この本は、最初に松陰氏の言葉を引用し、それに対する解説や、蓬台氏のエピソードなどを語り、最後にワークをするという形になっています。それが全部で37個あります。
その7つ目に、こう書かれています。
「[現代語訳]野山にある小道は、これを使う人があれば道として存在し続けます。使う人がいなくなれば草木雑草によってすぐにふさがれてしまい、道として存在しなくなります。人の心も同じことです。」(p.42)
こう、ちょっとわかったようなわからないような文章を、松陰氏の言葉として紹介します。そして、それについて蓬台氏は、こう解説します。
「私たちの人生は、シンプルに生きようとしても自分ではどうしようもない、外部からの影響で、心に雑草のような気持ちが生まれる出来事が起こりますよね。
でも、その雑草を取り除く作業こそが、自分を成長させてくれるような気がします。
私の場合には、外部で起こることは自分ではどうしようもないと半分は割り切って生きています。しかし、そうした事態になってしまったときには、自分の心の持ち方をその雑草、つまり外部的な要因から学ぼうと努力します。
なぜならば、雑草は抜いても抜いても、どこからともなく生えてきます。それに除草剤をまいて土ごと傷めつけるのではなく、自分の手で丁寧に手入れをし続ける。たんたんと、です。
いつしかその雑草を抜く作業に感情を入れることがなくなるように、当たり前のようにやれるようになります。つまり、心が外部のことに乱されなくなるのです。」(p.43 - 44)
このように蓬台氏は言って、雑草のお陰で自分の内部を鍛えることができたと感謝もできるようになる、と言います。
この気づきは、とても素晴らしいものだと思いますが、松陰氏の言いたいことは、本当にそうなのかという疑問もあります。
つまり、松陰氏の言葉は、道を使う人があれば道として存在し続ける、ということを言っています。それが心と同じことなのだと。
前半は、先人が説いた道にしたがって自らを戒めることによって、その道を残すことができる、と言っているようにも考えられます。
しかし、それが人の心と同じとは、どういう意味でしょうか? 道と心が同じだという意味でしょうか?
もしそうだとすると、心を使い続けることによって心が残る、ということになり、なんだかしっくりしません。疑問が残る一節です。
「人の精神は目にあり。」(p.64)
この松陰氏の言葉を、蓬台氏はこう解説します。
「「目は口ほどにものを言う」という諺がありますよね。
目というのは、もしかしたら口以上にその人を物語っているのかもしれません。私自身は、人の目というのは本当に嘘をつかないというように思っています。」(p.65)
松陰氏は、人を見るときは目を見る、と言います。つまり、目を見ることで、その人物を見定めるのです。蓬台氏も同様に、目が重要だと言います。
「願力ということではなく、その目の奥にある「確信」や「覚悟」を見ているのだと思います。」(p.66)
自分の言行を一致させ、心を鍛えていけば、自然とそれが目に現れる。瞳がキラキラと輝くようになる。ですから、目を見て判断することも重要ですが、人物と判断されるよう心の修行が重要だということなのです。
「是非の心、人各々之(こ)れあり、
何ぞ必ずしも人の異を
強ひて之れを己れに同じうせんや。」(p.160)
だいたい意味はわかると思います。ことの正誤の判断は、人それぞれだということです。ですから無理に、自分と同じ考えに強制するな、というのが松陰氏の考えです。
これは実に先進的だと驚きました。つまり、価値観を押し付けない、というのが松陰氏の思想なのです。
「この名言にある通り、「何が正しく、何が間違っているのか?」の判断は難しいことが多いものです。企業経営でいえば、人事評価がこれに当てはまるのではないでしょうか。
私は、自分の判断だけでは人を評価しない、ということにしています。その一環として、私の会社では、スタッフの評価は自己評価を基本にしています。」(p.161)
これも1つの見方だとは思いますが、松陰氏の言わんとすることとは、少しズレている感じもします。
「自己評価をするためには、各自が倫理観、道徳観を持っていることが非常に重要になります。そのことを、私は強く指導しています。」(p.161)
これでは、松陰氏の言っていることと、真逆のような気もします。松陰氏は、価値観は人それぞれだから押しつけるな、と言っているのです。それなのに蓬台氏は、おそらくある絶対的な価値観が存在するという前提で、倫理観や道徳観を押しつける、と言っていますから。
松陰氏の言葉も、そこだけ切り出したものですから、私には本当にそういう意味かどうかはわかりません。
ここで切り出されて、現代語に訳されたものを読むと、どうにも腑に落ちないこととか、その解説が何だか違うような感じがするなど、イマイチ納得できない点が散見されました。
しかし、立派な実績を残されている蓬台氏が言われることを、なんら実績のない私が批判するのはおかしなことです。
ですから、私にはよくわからない、ということだけ申し上げます。きっと、この本が役立つという方も多くいらっしゃると思います。
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