ちょっと変わった本を読みました。各地でカレーを作っては、やってくる人にふるまうというカレーキャラバンという活動をしている3人の方の本です。
著者は大学教授の加藤文俊(かとうふみとし)さん、カレーキャラバンのリーダーで大学院生の木村亜維子(きむらあいこ)さん、パブリック・アーティストの木村健世(きむらたけよ)さんです。
この3人は、木村健世さんなどが企画した墨田区のアートプロジェクトの1つ、墨東大学で出会ったそうです。
その中に「墨大カレー考」という木村さんのパートナーの亜維子さん発案の講座があり、そこでご当地カレーを作るというイベントを行ったのだとか。亜維子さんは、毎日カレーを食べても飽きないほどのカレー好きだそうです。
それがきっかけとなって、月に1回くらいの頻度で、各地でカレーを作ってふるまうという、カレーキャラバンの活動が始まったということです。
この活動は、実にユニークです。どういう活動かが書かれている部分を引用しましょう。
「私たちは、自腹を切ってカレーを提供するスタイルを、冗談半分で(ビジネスモデルと対極にある)「赤字モデル」と呼んでいるが、カレーキャラバンを多くのことを学ぶための場づくりの「方法」だと考えるならば、「赤字」ということばが適当ではないことに気づく。訪れたまちは「教室」になり、鍋のなかのカレーは「教材」になる。一杯のカレーは、私たちが支払うべきレッスン代としては、破格に安い。なによりも、この学び方があまりに楽しいので、レッスン代のことなど、すぐに考えなくなってしまうのだ。」(p.11)
つまり、この活動は、この3人が自腹を切ってカレーを作って振る舞うというものです。しかし、ボランティアではないし、人助けでもありません。単に、学び(遊び)の機会であり、支出するお金はその授業料として捉えているのです。
最初は、墨田区の地域で行われたイベントでしたが、それが各地に出向くようになります。その理由を、こう書いています。
「「楽しいから」続けてきたことは間違いないのだが、そもそも、旅に出ようと思ったきっかけは、カレーづくりを介して、人と出会うこと、人と話をすることに魅せられたからだった。もちろん、美味しいカレーをつくって食べることは大切な目的だが、それ以上に私たちを魅了したのは、カレーではじまるコミュニケーションだった。食材やスパイスの調合を変えると、カレーの味が変わるのと同じように、場所が変われば、カレーを食べにやって来る人びとも変わるはずだ。話していれば、そのまちの生活をうかがい知ることができる。つまり、カレーづくりは、まちのようすや人びとの気質を知るための「方法」になると考えたのだった。」(p.64 - 65)
いろいろな人と出会い、コミュニケートすることが楽しい。だから、その場を作るためにカレーを作ってふるまう。そういう活動なのです。
そして、基本的な姿勢は「待つ」ことなのだそうです。無理にそこに集まらせるのではなく、自然と人が寄ってくるのを待つ。そのための手段として、カレーのスパイスの香りや、鍋で煮込むという作業などは、有効だと言います。
「カレーキャラバンは、静かな場づくりなのだ。まちや地域コミュニティに関わる活動について語るとき、私たちはすぐに、その効果を求めがちだ。よく、「これ、どういう意味があるの?」「何を目指しているの?」と、問われる。だが、そもそもまちも人びとの暮らしも、ゆっくりと変化する。私たちは、効率やスピードだけではなく、「待つ」ことの意味をあらためて考えてみる必要がある。そのためにも、じっと留まるという姿勢が基本だ。カレーキャラバンは、少しずつ溶け合う関係性について、理解するきっかけづくりになる。私たちが、この活動に没入しているのは、「待つ」ことの喜びと価値にあらためて気づいたからなのだ。」(p.83 - 84)
こういう活動のため、結果ではなく過程を重視すると言います。何が起こるかわからない、そのハプニングを楽しむのだと。したがって、あらかじめレシピを決めたりするようなことはせず、その場で買ったりもらったりした地元の食材を使って、カレーを作るのだとか。
「カレーづくりの過程は、私たちのコミュニケーションによってかたどられている。そして、私たちのカレーづくりを成り立たせているのは、何かを伝達し、効果をもたらすためのコミュニケーションではなく、おしゃべりそのものを楽しみ、味わうコミュニケーションである。(中略)カレーキャラバンのコミュニケーションは、効率的にカレーをつくるための段取りや手続きだけでなく、人びととの関係を築き、おしゃべりそのものを楽しむためにある。それは、もし仮にレシピをつくることになったとしても、記載されることのない、「現場」に消えゆくコミュニケーションである。」(p.87)
このように、効率とかスピードではなく、ただコミュニケーションを楽しむという姿勢が基本だと言います。
最初、3人のこの活動は理解されず、多くの人から活動の理由を尋ねられたそうです。そのたびに、もっともらしい説明を考えたのだとか。
しかしある時、1人の女性から「赤字でいいじゃない」と言われたそうです。いまどき、大人が一晩遊べば、1人5千円くらいは使います。3人で1回1万5千円ですが、そのお金でカレーを作ってふるまうという遊びをしていると思えば、べつに普通のことではないかと。こう言われて、非常にすっきりしたのだそうです。
「本書では、カレーキャラバンを場づくりの方法として語ろうと試みてきたが、じつは、私たちには「楽しいから」というひと言だけで、じゅうぶんなのだ。それが、結局のところは「居心地のいい場所」をつくるための創意工夫に結びつくにちがいない。」(p.106)
理屈ではなく、それが単に「楽しい」からやってきただけなのだと言います。そして、その「楽しい」を追求した結果、学びが生まれるのだと。
私がこの本に興味を持ったのは、循環型の経済を考えた「いばや通信」というブログを書かれている坂爪圭吾(さかつめけいご)さんの記事を読んだからです。
これまでの経済は、物やサービスを提供してもらう側がお金を支払います。それを逆にして、提供する側がお金を払うようにしたら、循環型になるのではないか、と言うのですね。
その構想を実験する場として、「わたり食堂」というものを考えて、実際にされてみたようです。つまり、提供する側がお金を出し、消費する側はただでもらうというもの。
第1回の「わたり食堂」は、さながら持ち寄りパーティーのようになってしまい、思った通りのものではなかったようです。
けれども、いろいろなことを試してみて、新たな流れを作ろうとされていることを、非常に面白いと感じました。
こうした坂爪さんの活動と、カレーキャラバンの活動は、まったく性格が異なるのかもしれません。
しかし、「楽しい」を追い続けている姿勢は、同じもののように感じます。
「神との対話」でも、はるかに進んだ文明では、自分がやりたいことをやって暮らしていると言います。
それはつまり、それぞれが「楽しい」ことをやっているだけで、社会は上手く回っていく、ということです。
今はまだ実験的なものかもしれませんが、カレーキャラバンやわたり食堂のような活動が、これからどんどん増えてくるのかもしれません。そう思うと、なんだかワクワクしてきます。
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