2015年12月09日

すぐそばにある「貧困」



NPO法人「もやい」理事長の大西連さんの本を読みました。

6人に1人が貧困だと言われる日本。そういう中で、生活保護の申請を助けたりして、日本から貧困をなくすことをミッションに活動している団体、それが「もやい」です。

前回紹介した「健康で文化的な最低限度の生活」「ベーシック・インカム」と一緒に買いました。日本の貧困対策はどうあるべきかを、自分なりに考えたかったからです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

この本は、著者の大西さんの体験を、大西さんを主人公とした物語りとして書かれたものです。


大西さんが生活保護の申請を手伝った事例で、持病が悪化して路上生活もつらくなり、生活保護を求めた男性の話がありました。

申請は受け付けられ、その男性は施設に入ることになりました。それで大西さんは成功したと満足したのですが、それはとんでもない思い違いでした。

その男性は、4日後にはその施設から飛び出し、大西さんに対して激怒したのです。

あんたに手伝ってもらって入った施設がどんなところだったか、あんたは知ってたのか? せまい部屋に2段ベッドが何個も突っ込まれて、手を伸ばしたら隣のやつにあたる。そんな20人部屋とかのタコ部屋に入れられて、こっちはたまったもんじゃねえ。」(p.73 - 74)

施設に入れたから、それで良かったとはいかないのです。たしかに雨露はしのげるでしょう。寒さに震えることもないでしょう。しかし、プライバシーも何もあったものではありません。それが人間としての文化的な生活と言えるでしょうか?

その男性は、同部屋の人から金をせびられたり、財布を盗まれたりしたそうです。さらに、ご飯はカップ麺に唐揚げ弁当ばかりだとか。夜になると南京虫に襲撃されるのだと言います。

あんなところに入れられるくらいなら、路上のほうがよっぽどましだ!」(p.74)

おそらく福祉事務所の人も、そういう施設に泊まったことはないのでしょう。だから平気で、そういう施設を斡旋できるのです。


また、「越年越冬」ということが書かれていました。以前、「ハケン村」というのがありましたが、それと似たようなものです。

新宿の中央公園にテントを張り、急病人に対応するため医療関係者やボランティアが24時間待機します。炊き出しも、昼と夜の2回行うのだそうです。

どうしてこのような手厚い活動をするのかというと、年末年始は日雇いの仕事もなくなり、役所も「閉庁」といって休業になるため、路上生活者の行き場がなくなってしまうからだ。夜回りをしているだけでも、路上の寒さは心身に堪える。まして極寒の路上で寝泊りするなんて、想像を絶する過酷さだろう。」(p.86)

私も広島で夜警のバイトをしていたとき、路上生活者と仲良くなったことがありました。シャッターが下りたアーケード街が彼らの寝場所です。ダンボールを上手に組み立てて、寝床を作って寝ていました。

東京の大塚では、夜遅くに会社から出ると、雪が降る中、路上で寝ている人を見ました。どうやら地下鉄の通風孔の上に寝ているようで、そこだけ温かい空気が出てくるのです。

「なるほど、よく考えたなー!」と、そのときは思いました。しかし、今にして思えば、通風孔から暖かい空気が出るのは、一晩中だったかどうか・・・。それに、通風孔に触れていない方は、冷えた空気が冷たくて大変だったでしょう。


生活保護を受けるに至った人の中には、情報弱者も多いです。私たちはインターネットで検索することで、簡単に情報を手に入れられます。でも、そういうことができない人や、そもそも教育を受けられなかった人もいます。

その後、T係長と僕の聞き取りにより、タニグチさんが、以前生活保護を利用していた自治体の職員から、「生活保護は人生で一回しか使えない」という嘘の説明をされていたことが明らかになった。」(p.122)

名前を偽って申請したため、不正受給を疑われたタニグチさんの例です。

嘘の説明をした職員も、悪気があったのではないかもしれません。ただ二度と生活保護を受けないで済むようにと思い、プレッシャーをかけようとしたのかもしれません。タニグチさんに良かれと思って。

「生活保護=悪いこと」という社会のイメージが、彼の思考に影響を及ぼさなかったと、誰が言えるだろうか。」(p.123)

知的障害もあったタニグチさんは、嘘をつかないと生活保護が受けられないと思い込み、偽名を使ってしまったのです。

その問題の根底には、「生活保護は受けるべきではない」という考え方があると思います。

財政を圧迫していることも事実ですし、血税が使われていることも事実です。しかし、そこから生じる生活保護へのマイナスイメージが、様々な問題を引き起こしているように思います。

一見したら非合理な選択を、路上の人たちがあえてしているように思えることがある。そのたびに「なんでこんなことを?」と、思ってしまうのだが、それは僕たちが、僕たちの価値基準で彼らの言動を測っているからにすぎない。路上では、僕たちの「ふつう」の考えや行動が通用しないことがほとんどだ。」(p.124)

偽名なんか使う必要ないのに、と思うのは、生活保護は何度でも受けられると知っているからです。それを「ふつう」に知らない人もいるのです。

マイノリティーの問題では、特にそういうことがあります。「ふつう、同性を好きにはならないだろう!?」それは、異性を好きになる人にとっての「ふつう」であって、すべての人の「ふつう」ではないのです。


生活保護の問題では、家族がいる場合の扶養義務が取り上げられることがあります。民法の規定で、2親等の家族・親族に扶養義務を定めているからです。

しかし生活保護においては、可能であれば扶養する、というのが前提です。強制力はありません。それは、家族や親族と言っても、様々な問題があるからです。

とはいえ生活保護法上、「扶養」に関しては強制ではないにしても保護に優先するもの、とされている。DV(夫婦やカップル間の暴力)や虐待など、家族や親族に連絡することが危険な場合をのぞけば、多くの場合、「扶養照会」といって家族や親族に「扶養できるかどうか」を問い合わせることになるのだ。」(p.139)

これは何も問題がないように思えますが、この本では、このことによって虐待を受けた若者の例が取り上げられています。

生活保護を受けるなんて家族の恥だと思った父親が、その若者を呼び戻し、制裁を加えたのです。日常から「しつけ」と称して暴力を振るう父親でした。

しかし、この「扶養照会」というのは実にやっかいだ。本来は生活保護が必要なくらい困窮しているのに、家族や親族に知られたくないという理由から申請をためらってしまう人があとを絶たない。また、この「扶養義務」を過度に役所側が強調することで、申請者の気持ちをくじけさせてしまうことも多い。」(p.140)

生活保護を受けたいと思っても、こういう壁があります。この壁のために、本当は受けるべき人に支援が届かないケースが出てくるのです。


この他にも様々なケースがあり、貧困に至る例が紹介されています。

幸いにも生活保護を受けることで、生活を立ち直らせたという人もいます。しかし、生活保護を受けることさえ断念し、餓死することになってしまう例も実際にあるのです。

必要な人が必要な制度を利用する。それは、当たり前のことだ。きっと、誰もが賛同するに違いない。でも、必要か必要でないか。この二つの間に、どれほどの違いが、どれほどの差があるのだろうか。正しい線引きは、誰がしてくれるのだろう・・・・・・。」(p.252)

この問いかけは、実に重たいものがあります。その正しい判断のために、福祉事務所の担当者にも大変な負担がかかっています。血税ですから、なるべく使わないようにしたい。でも、必要な人には使わなければいけない。

貧困のケースは人それぞれです。働けるのに働かないと一言で言っても、様々な理由があります。それをいったい誰が、これは良い、これはダメ、と決めるのでしょう?誰に決められるのでしょう?


この本を読んで、私はますますベーシック・インカム制度(BI)の素晴らしさを感じました。申請するまでもなく、国民という理由だけで、一定額を受け取ることができるのです。

奇しくも昨日、フィンランドが世界で始めてBIを導入することになりそうだ、というニュースが飛び込んできました。

人口500万人ほどのフィンランドは、人口、経済規模とも、北海道と同じくらいなのだそうです。そこで、月に約11万円を国民全員に支給するというBIを導入しようとしています。

元々高福祉国のフィンランドですから、税金は高額です。地方所得税と国の所得税とで、収入の半分くらいを納税しています。さらに消費税は24%だとか。

それでも、安心が得られることに国民は納得している、と聞いていました。教育レベルも高く、世界に通用する産業を持つ国です。

それが、これまでの様々な福祉対策をBI一本にしようとしています。

フィンランドに問題があるとすれば、それは公務員の多さだと思います。多様な福祉を実現するためには、それだけ多くの人手が必要だったのです。

しかし、政府がやるのはBIだけとなれば、大勢の公務員は不要です。おそらくそこに、国の経済をさらに活性化させる方法を見出したのではないかと思います。


日本は、消費税の軽減税率導入など、コストがかかるわりに効果のない税制を導入しようとしています。

年金の問題も残したまま、誰も手をつけようとしません。破綻するのが見えているのに、そのツケを子孫に残そうとしています。

今こそ日本も、コストのかからない福祉に舵を切り、将来の禍根を絶つべきではないかと思います。日本でもBI導入の検討が始まることを願っています。

すぐそばにある「貧困」
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:59 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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