2015年10月27日

絶歌

  

数ヶ月前に、少年Aが本を出版したという話がネットで話題となりました。

その多くは、出版に批判的なものでした。

批判の理由は、被害者が望んでいないこと、印税が被害者に渡される確約がないことなど。

つまり、加害者であった少年Aが、その体験を本にすることで儲けることが、許せないということでした。

同時に、それに与する出版社も、人の不幸で儲けると思われて、批判の対象となりました。

その後、被害者遺族にもそれぞれ違った考えがあることなど報道されましたが、批判的な意見は後を断ちませんでした。


そんな批判が飛び交う中、私はその本を読みたいと思いました。

なぜあのような犯行をしてしまったのか、それについて本人はどう考えているのか、知りたいと思ったからです。

それは単なる興味かもしれませんが、そこに人間の心理の本質があるのかもしれない、そうであるなら知りたいと思ったのです。


その当時、少年Aの本を買うというだけで、批判非難される風潮がありました。

なので本を読んでそのレビューを書く人も、あとで買わなければ良かったと思ったか、どこかで借りて読んだなどの、言い訳をする人が目立ちました。

しかし、その一方で、この本はアマゾンでもなかなか手にはいらないほど売れたようです。私もそのときは買えなくて、ようやく私がアマゾンで購入した時、すでに第三刷発行となっていました。


私は、考え方は人それぞれだと思っています。

批判したい人はすれば良いと思います。それでその人が幸せなら、それで良いと思うからです。

この世に絶対的な価値観など存在しないのですから、その人がその人自身の価値観において考え、言い、行動すれば良いのです。

その考え、言葉、行動が、その人とはどういう人間であるかを表現するだけですから。


そういう意味でも、少年Aはどう考え、何を言い、どう行動するのかを見てみたかった。

ただ、客観性を持たせるためにも、その周りの人の言動も知りたかったので、合わせて3冊の本を同時に買い、すべてを読み終えました。

このブログで紹介するかどうかは迷ったのですが、これも確実にこの世に生きた人の事例であると思い、ここに残すことにしました。

読んだ本は、以下の3冊になります。読んだ順です。

「絶歌」(太田出版/少年A)
「「少年A」この子を生んで」(文春文庫/「少年A」の父母)
「「少年A」14歳の肖像」(新潮文庫/高山文彦)



3冊を読んだ上で私の印象ですが、少年Aの犯行が両親、特に母親の育て方に問題があった、というふうには断定できない、ということです。

たしかに、厳しい面もあったのかもしれない。けれども、母親や父親は、そのことを否定しています。

そしてもし、そうだというなら、弟2人に対しても、同様のことがあったはずで、弟2人が問題を起こしていないことからしても、育て方の問題とは言い切れない気がします。

少なくとも、虐待と言われるほどの体罰も与えていませんし、むしろ積極的に少年Aの行動をかばうようなこともしています。


一般的には、母親の愛情を得られなかった子どもが、問題行動を起こすようになると言われます。

おそらく少年Aも、そういう感情はあったのでしょう。だからこそ、祖母への心理的依存があったのでしょうから。

ただそれが、母親の育て方が悪いからだと、断定できるほどのものはなかったと思うのです。


では、何が原因で少年Aはそのような行動を取ることになったのでしょうか?

少年Aがサイコパスだからとレッテルを貼ってしまうと、それだけでわかったつもりになって、思考が停止します。

この3冊を読んだ時点での私の考えは、「わからない」ということです。ひょっとしたら、中にはそういう使命を負って生まれてくる魂があるのかもしれない。そう思ってもみました。


客観的な立場から事件を検証したと感じられる高山文彦さん「「少年A」14歳の肖像」を読んでも、著者は断定的に原因を語ることはしていません。

画家のダリとの心理比較は、そういうタイプの人が存在するのだという気持ちにもなりますが、それもどうなのかわかりません。

母親の育て方が主因だと言いたい感じは受け取れますが、そうとも言い切れないという情報も併せて書いています。


たとえば、猫殺しをして精通したという件も、子どもの精通が早くなったのは、電気のせいではないかという医師の話も載せています。

つまり、たまたま早まった精通が異性へ関心が向かう前に訪れ、猫殺しとタイミングが合ってしまったのだと。

少年Aは、最初、それが異常なことだと感じなかったようです。

たしかに、自分の身に起こってしまったことなのですから、みんなそういうものかもしれないと考えても不思議ではありません。

しかし、友人にその話をしたときに「おかしい」と言われ、自分の異常性に気づくことになります。


異常だから抑えなければならないという理性と、体の中から盛り上がってくる欲求がぶつかり合い、少年Aを苦しめたようです。

少年Aは、自分は確実に死刑になると思っていたようです。そして、死刑を望んでいたようでもあります。

自分ではどうにも抑えきれない自分の中の醜いもの。それを醜いと感じないことが怖かったのだと思います。

だから、死刑になることで終わりにしたいと、本心から思っていたようです。


けれども、少年法によって死刑を免れました。生きたくもないのに、生かされることになったのです。

その後の指導の中で、少年Aの心境にも大きな変化があったように思われます。

では、完全に更正したと言えるのでしょうか?

これは何とも言えません。少なくとも少年Aに関わった多くの方々が、社会で生きていけると判断されたから、Aは医療少年院を出て、社会で生活することになったのでしょう。


しかし、少年Aであることの影は、つねに少年Aにつきまとっていました。

そのために、同じ会社に長く務めることもできず、感情を押し殺しながらの生活を送っていたようです。


少年Aは、今は「生きたい」という気持ちを抱くようになったようです。

その一方で、「生きたい」など言える立場ではないということも、重々承知していました。

その矛盾した思いが、また少年Aの心を苦しめているようにも感じました。


少年Aは、書くことでしか生きていく力を得られないと感じ、被害者遺族の承認を得ないままに、「絶歌」を出版することにしました。

そこには、読んでもらえれば、少しはわかってもらえるのではないか、という期待もあっただろうと思います。


大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。

「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」
」(「絶歌」p.282)

少年Aが、この苦しも抱えながら、どこまで正常に生きていけるのか、私には何とも言えない気がしました。

人が一人で生きていくのはつらいものです。誰にも自分のことをわかってもらえず、孤独の中に生きることは、無人島で一人で生きるよりもつらいと思います。

それが少年Aとして受けるべき罰だ、という考え方もあるでしょう。

けれども、その罰を受けたら、何かが良くなるのでしょうか?


被害者遺族の苦しみも、大変なものがあると思います。

その一方で、加害者やその家族もまた、苦しみを味わうことになります。

社会全体が幸せなることを考えるなら、両方の苦しみを取り除かなければならないことは明白です。


私はこの本を、すべての人にお勧めしようとは思いません。

ただ、現実に起こったこの事件について、そこにどういう思いがあったのか、その後、そういう思いを抱いているのかを知る上では、またとない機会になると思っています。

絶歌
 
タグ:少年A
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:42 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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