2015年10月15日

[小食・不食・快食]の時代へ



はせくらみゆきさんの最新刊を読みました。これは、健康エッセイストの鳴海周平さんとの共著ということになります。

2015年10月4日(日)に両国で行われたはせくらさんのセミナーに参加しました。午前中が「プラーナライフ入門講座」で、午後が「おとひめカードの使い方 超入門講座」でした。

以前にひすいこたろうさんとの共著「起こることは全部マル!」を読んで、はせくらさんは何と素晴らしい人なのだろうと思いました。それで神田昌典さんが紹介していたおとひめカードを購入しました。

また、はせくらさんの本を読んでみたくなって、「カルマからの卒業」を読みました。そういうこともあって、今回、たまたまちょうどよい日程でセミナーがあったので、申し込んだのです。はせくらさんに会いたかったからです。

そのセミナーの前に、この本が発行されることになっていました。発売されたら買おうと思っていたのですが、その前にFacebookで小食や不食に対するアンケートがあり、それに答えたところ選ばれて、この本を無料でもらえることになったのです。

はせくらさんは、以前に1ヶ月くらいの不食をしたことがあったそうです。それで、食に関する本を書こうと思っていたそうですが、まだ時期尚早だとういう内なる声があって、書かずにいたのだとか。

それがこの度、俳優の榎木孝明さん30日間の不食実験をされたこともあり、ようやく本を出版することになったのだそうです。


あまり前置きが長くなってもいけないので、そろそろ一部を引用して本の内容を紹介することにします。

食のとらわれから自由になることで得られる”果報”は、いろいろとあります。」(p.5)

本のサブタイトルに「「食のとらわれ」から自由になる方法」とあるように、さまざまな食に対する信念から自由になっていくことが、この本の目的です。

榎木さんが不食実験を行ったのも、それまでの「食べなければ生きられない」とか、「食べないと健康を害する」という常識が、単に思い込みではないかということを明らかにするためでした。

はせくらさんも同様に、食のとらわれから自由になることのメリットとして、様々な情報に踊らされることがなくなることをあげています。

食事自体は、小食傾向になり、ときにはファスティングや不食も楽しみますが、だからといって「食べてはいけない」というわけでもなく、食生活や食文化も気持ちよく楽しめるようになること。
 そして、身体はぐんぐん健康体となり、免疫力もついて、病気になりにくくなり、デトックスもしやすい。睡眠時間も短くて済み、直感力も冴えるので、願いが叶いやすくなったり、だまっていても運気が上がるようになります。
」(p.5)

「ねばならない」がだんだん少なくなっていって自由になると、食そのものを楽しめるようになるのですね。


本当のことを言えば、「天上食」という、いわゆる不食の状態は、何も摂っていないのではなく、実はあるものをたっぷりいただいているのです。
 それは、生命エネルギーである「プラーナ」というものです。ですから、正確には、「不食」ではなく「プラーナ食」と呼んだほうがいいかもしれません。
」(p.24)

物質的な食事を摂らなくても、この世に遍在するプラーナというエネルギーを摂ることで、私たちは存在し続けることができる。それが不食の本質だとはせくらさんは言います。


別に健康になることがゴールではなく、健康は生活を充実させるための手段にすぎません。要は、夜更かししようが、飲み食いしようが、変わることなく元気な身体をつくるほうが大事。そのほうが、人生まるごと楽しめることでしょう。」(p.61)

つまり、時には仲間と語らいながら楽しくいっぱい飲み食いすることがあっても、それはそれで良いのです。

健康になるために人生があるのではなく、人生を楽しむために健康を保つのです。目的と手段を混同しないことが重要なのですね。


「◎小食を実践している人たち」と題して、アンケートの結果が載っていました。その中には、私のものもありました。

A・Aさん 50代男性(会社役員)
2014年から朝食抜き、昼は弁当のおかずだけ、夜はビールとつまみ少々という小食(炭水化物オフ)を続けています。体重は約10キロ落ちて、そこから横這い、今はやや増えて62キロ前後(身長165センチ)です。上の血圧が150になったこともあり、ダイエットを兼ねて朝食抜きを始めました。結果、血圧は正常値まで下がっています。
 今は、睡眠時間が5〜6時間でも、日中に眠くなるようなこともなく、あまり病気らしい病気もしなくなりました。小食にしてから約1年、体重が変わらないということは、エネルギー的に問題がないのだろうと思っています。
」(p.64 - 65)

実は今年の8月からは、昼食はカットフルーツだけにしています。夜は、飲んで帰った後でつまみ食いをして、翌朝もたれるようなこともありますが、体重は61kg前後をキープしています。もちろん元気いっぱいで、あまり疲れません。


私としては、「1日3食、バランスよく食べないと健康を損なう」という信念体系で生きている方々を、否定したいわけではありません。確かに、信じる世界が、その人にとっての現実世界ですので、その信条をもとに生きている人が、そう考えるのはやむを得ないのかもしれませんが、必ずしもそれが正しくて、ほかは間違っていると押しつける必要もないと感じています。」(p.72)

正しさは人の数だけあります。その人が正しいと信じているから正しいのだと、「神との対話」にも書かれている通りです。


さて、小食による体重減少ですが、実のところ、ずーっと減り続けるわけではなく、ある時点で、それ以上減らなくなり、その後、再び体重が増加することもあります。
 私は、そのタイミングが、食物以外によるエネルギー摂取が活性化したときではないか、と思っています。
」(p.91)

まさに私の体重変化も、この通りですね。おそらく以前の半分も食べていない(カロリーを摂取していない)と思いますが、体重の減少が止まってから横這いになり、それからやや増えましたから。


はせくらさんは、1日青汁一杯で19年間生活しておられる鍼灸師の森美智代さんや、水も飲まない弁護士の秋山佳胤(あきやま・よしたね)さんと、「プラーナクラブ講演会・愛と調和の地球へ」というイベントに参加されたことがあったそうです。

そこでは3人がそれぞれ自由に発言したそうですが、共通点があったそうです。

それは、「不食とは、食べていないのではなくて、実際はちゃんと食べている」のであり、食べているエネルギー源は、”プラーナ”。そしてその本質は、”愛”ではないか、という見解でした。
 そして、頑張って不食をしたというのではなく、いつの間にかそうなっていたこと。また、「なぜするの?」と問われたときは、全員、即座に、「楽しいから」、「気持ちいいから」というのが共通の答えでした。
」(p.96)

森さんの本も以前の紹介しました。「「食べること、やめました」」です。この本を読んだことが、私が小食を始めるきっかけになったように記憶しています。


「正しいことだからすべきである」から、「美しいことだからしたいと思う」に。
 「正しいからしなくてはいけない」から、「楽しいことだからしたくなる」に。

(中略)
 誰かや何かを責めたてることに時間を使うよりも、その状況から何を学び、今、自分は何ができるだろうかと知恵を絞るほうが、よほど健全です。」(p.131)

正しいかどうかという考え方は、つい自分の正義を他人に押し付けて、相手を裁くことになってしまいます。

そうではなく、基準を楽しさや美しさに変えれば、もっと自由になれるのですね。食に対する考え方も、その一部であるというわけです。


私たちが日ごろ、考えたり、行動したりするときの根底には、二つの極性に分かれた、あるエネルギーが関与していると言われています。
 それは、「愛」というエネルギーか、「恐れ」というエネルギーかの二極です。
 愛は、喜びや楽しさ、嬉しさ、感謝、慈悲、慈愛などの感情をもたらします。一方、恐れのほうは、不安や恐怖、心配、執着、嫉妬、憎しみ、自己卑下や疑い、あるいは攻撃的な感情をもたらします。
」(p.138)

「神との対話」でも、愛と不安が究極の2極だと言っています。はせくらさんをはじめ、多くのスピリチュアルな方々も、言われていることは同様ですね。

心の向きをどこに向けるか次第で、人生はいかようにも変容しうるものです。
 愛を選ぶか、恐れを選ぶか?
 この一瞬一瞬の選択で、人生の展開が変化していきます。
 どうぞ、暮らしにおけるさまざまな選択のシーンを「愛」のエネルギーで選択されますように。
」(p.140)

「神との対話」でも言うように、動機は愛か不安(恐れ)のどちらかです。その選択によって、私たちは人生を創造しています。

そして、愛を選択することが重要なのですね。恐れを捨てて、愛を選ぶ。それが、よりよく生きるということになるのだと思います。


そして、はせくらさんはセミナーでも強調されていましたが、「罪悪感を抱くことが最も良くない」と本でも言われています。

食への取り組みに関しても同様です。「絶対、小食やファスティング、不食、快食するぞ!」とやっきになるのではなく、自分自身の内なる時が満ちるのを待ちながら、プロセスをまるごと楽しめたらよいと思います。
 どうぞくれぐれも「食べるつもりがないのに食べ過ぎちゃった」とか、「なかなか、思うようにいかないなあ」などといって自分を責めたりすることはしないでくださいね。
 自分で自分を責めることほど、もったいないいのちの使い方はありません。

(中略)
 もし、食べ過ぎてしまったときは、「ああ、まだ時が満ちきっていないのだな。でも必ずそうなるから、このプロセスを楽しもう」と、全部楽しみのネタにしてしまえばいいのです。
 ちなみに、罪悪感が強いと、”こんな自分だから、何か罰があるに違いない”といった無意識の心が働くため、病気やケガをしやすくなったりもします。
 21世紀に生きる私たちは、もうそろそろこの「罪悪感」という自己否定のレッスンから、解き放たれる時期なのです。
」(p.203 - 204)

これは「神との対話」でも同様のことが書かれています。罪悪感ほど悪い考え方はないのです。

うまく行かなければ、うまく行かないプロセスを楽しむ。そういう生き方をしたいものです。


食べてもよし、食べなくてもよし。そういう自由な中で生きることが、はせくらさんの言う「快食」という食べ方であり、本来の生き方につながっていくのだと思います。

[小食・不食・快食]の時代へ
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:57 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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