神渡良平さんの最新作を読みました。
副題は「言志四録の人間学」です。佐藤一斎の言志四録の言葉を多数引用し、多くの人の生き様に光を当てる作品となっています。
神渡さんの作品の多くは、このように市井の人の生き様に光を当てることで、人としての生き方を示すものとなっています。
「へぇー、世の中にはこんなすごい人がいるんだ!」と感動することで、読み手の私も勇気をもらいました。
今回は、言志四録にある言葉と、それぞれの人の生き様を並べることで、言志四録の言葉が理解しやすくなるとともに、それぞれの人の生き様の背後にある「思い」が、浮かび上がるような感じになっています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「これらの方々は実に重大なメッセージを持っておられる。これらの方々は置かれた人生がすでに荒行だった。でもその難題を受け止め、逃げずに取り組んでいるうちに活路が開け、安心立命の境地をつかんだ。」(p.2)
これまで紹介して来られた方々について、神渡さんはこのように言って、「ありがたい地涌(ぢゆ)の菩薩だと感動してしまう」と述べられています。
そして、日本が発展している理由を、ガンビアの高校教師、エブライマ・ジャダマさんの言葉で説明します。
「この差はどこから来るのだろうと考えました。そして得た結論は、日本は書物によって文化が継承されている、私たちが日本に学ばなければならないのはそれだと思いました」(p.3 - 4)
「はじめに」でこう書くことで、佐藤一斎が遺した「言志四録」の重みを表現されています。
「人は須(すべか)らく自ら省察すべし。「天何の故にか我が身を生出し、我れをして果して何の用にか供(きょう)せしむる。我れ既に天の物なれば、必ず天の役(やく)あり。天の役に共(きょう)せずんば、天の咎(とが)必ず至らむ。」省察して此(これ)に至れば則(すなわ)ち我が身の苟(いやし)くも生く可(べ)からざるを知らむ。(『言志録』一〇条)」(p.10)
詳しい現代語訳は、本を参照してください。簡単に言えば、「人には必ず天が与えた役目があり、それを果たさなければ天罰を受ける。このことを真剣に考え、自らを反省するなら、うかうかとただ生きているだけではすまされないとわかるはずだ。」ということです。
これは、2010年のサッカーW杯で、岡田ジャパンをベスト16に導いたメンタルコーチの白石豊教授が、言志四録の中でもっとも好む言葉だそうです。
「忌み嫌われ、遠ざけられる<死>だが、積極的な意味もある。「死は情け容赦もなく、突然の中断をもたらす」と自覚したとき、私たちは、「だからこそ、いま与えられている生を最大限に燃焼し切ろう。悔いのない人生にするために、自分の使命の成就に向けてがんばろう」と決意する。そうして、刹那的な生き方や時流に流される生き方を排して、意味のある人生を創り出そうと、心魂を傾ける。」(p.38)
ここで負けたらあとがない。そういう緊張を迎える場面で、白石教授は神渡さんの「一隅を照らす人生」からガンジス川のほとりで行われた火葬の場面を読んで聞かせたそうです。
死を見つめることで、今を最高に生きればいい、やれることをやればいいと、プレッシャーから解放されるよう導いたのです。
「震災は私たちに大きな試練を与えました。しかし、大切なことを気づかせてくれました。家族、学校、地域の人々に囲まれ、水や電気のある日常生活が、決して当たり前のものではないということをつくづく思い知りました。
そして何よりも奇跡的に助かったこの命に感謝し、これからも大好きな剣道を通して心身を鍛え、自分を成長させていきたいと思います」(p.70)
これは熊谷和穂(くまがいかずお)師範の言葉。安岡正篤氏の孫の安岡定子さんの指導で、道場では論語の素読をしておられるそうです。
熊谷師範は、校長として荒れた学校を立て直したこともあるそうです。
「つまり逆境もまた教師にとっては宝なんですね。痛みや悲しみを経験すれば、よりいっそう子どもたちのことが理解できるようになるんです」(p.72)
熊谷校長は、塩釜市立第一中学校創立60周年の記念事業として、言志晩録にある三学戒を石碑に刻んで建てることにしたそうです。
「少(しょう)にして学べば、則(すなわ)ち壮(そう)にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。(『言志晩録』第六〇条)」(p.61)
イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんは、儲けのためなら何でもありの業界で、人々が喜ぶような仕事がしたいとローヤルという会社を立ち上げました。
それは困難を極めましたが、あきらめることをせず、ついには業界全体の商習慣を変えるまでになったのです。
その鍵山さんが好きだという言志四録の言葉です。これは私も座右の銘にしています。
「当今の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。 後世(こうせい)の毀誉は懼る可(べ)し。 一身の得喪(とくそう)は慮(おもんばか)るに足らず。 子孫の得喪は慮る可し。(『言志録』八九条)」(p.94)
鍵山さんは、トイレ掃除でも知られています。教職者が多い「鍵山教師塾」では、次のように話されたそうです。
「人を教育する以前に、自分が人知れず努力した期間が必要だというのです。それに教育の大切なところは、子どもたちが自分で思いついて動き出すようにすることではないでしょうか。」(p.100)
「教育とは美点を見つけることが大切なのではないでしょうか」(p.100)
悪いところを直そうとしたり、ああしろこうしろと指示することではない。自分で気づき、自分で動くようにする。そして良い所を見つけてほめる。それが教育だと言われるのです。
自ら動き、その背中を見せること。それが重要なのですね。
「私は素行の悪い問題児を指導していると思っていましたが、ほんとうはS子のいのちを見ていなかったのです。S子が騒ぎを起こすと、この子さえいなかったら、ここのグループはうまくいくのに……と、ついつい思ってしまいました。でも、問題はS子にあったのではなく、その子を全面的には受け入れていなかった私に問題があったのでした。」(p.130)
こう言うのは、救護院で働いておられた辻光文(つじこうぶん)さんです。
僧籍も持っておられる辻さんは、臨済禅師がつかんだ感動的な宇宙観を「生きているだけっではいけませんか!」という詩に詠まれたそうです。その最後の部分です。
「本当はみんな愛の中にあるのです。
生きているだけではいけませんか。」(p.136)
問題児だと切り離して見る見方は間違っていると言います。
「いのちはつながっているのです。自分の物差しに叶わないと切り捨ててはいけないのです。遠い太古の昔から、重々無尽に私に流れ込んでくるいのちを生き切るのです」(p.136)
宇宙はすべてつながっている。そのひとつづきの生命の中に、私があるだけなのです。
だから切り離したものを批判するのではなく、すべては自分のためと受け止め、ありがたいと思って生きることが重要なのですね。
第4章は「百世の鴻儒・佐藤一斎がもたらしたもの」として、佐藤一斎の人生と、影響を受けた歴史上の人物を取り上げています。
また第5章は「戦後70年のレクイエム」として、戦後を振り返っておられます。
「人間が人間になることによって、万物それぞれの有用性が認められ、他に応用される道が開けていく。万物は自分たちが真に生かされるかどうかは、ひとえに人間に掛かっていると思っているのだ。万物のそうした切なる願いがわかってくると、人間が切磋琢磨して修行することは、自分のためだけではなく、万物一切のためなのだと自覚でき、自分がいかに重要な存在であるかわかって、身震いするような緊張を覚える−−。」(p.270)
終戦の詔勅に込めた安岡正篤氏の思いを、神渡さんはこのように想像してみます。
「私たちは敗戦の焦土から立ち上がった。いわば新たな建国に取り組んでいる。それだけに誰に対しても、どの国に対しても、胸を張って正々堂々でありたい。」(p.271)
この神渡さんの思いは、あの戦争を再検証することにつながっています。東京裁判が本当はどういうものだったのか、それによって日本人は何を失ったのかなど、神渡さんの考察は迫ります。
「歴史意識が高い人は実に凛々しい。そういう人が多く活動している社会は自ずから香り高くなる。日本が諸外国に比べて高い倫理性を持っている理由の一つは、『言志四録』のような本が読まれてきたからだと思う。私は年間百回以上の講演をしているが、演題に『言志四録』が指定されることも多く、日本の精神風土の豊かさを感じている。」(p.314)
「おわりに」で、神渡さんはこのように言われ、これからの日本が国際社会で活躍していくためにも、言志四録が読み続けられることの重要性を訴えておられます。
神渡さんの本を読むと、いつも「すごい人たちがいるんだなぁ」と感動されられます。
そして、日本を支えてきた多くの人たちが、高い意識を持って生きてこられたことも。
そういう人たちが遺してくれた日本を、日本人という心を、私も大事にしたいと思います。
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