がん医療界の異端児とされている近藤誠氏の本を読みました。
これまでにも近藤氏の本を読んだことがあるように思っていたのですが、どうやら勘違いだったようです。
おそらく、ガンは放置するのが良いという内容の別の著者の本で、近藤氏のことも紹介されていたのでしょう。
この文庫本は書き下ろしではなく、雑誌「文藝春秋」2014年1月臨時増刊号の「近藤誠 何度でも言う がんとは決して闘うな!」を再構成したものだそうです。
以前に行われた誌上対談なども含めてあって、近藤氏の考え方を多角的に知ることができるような構成になっています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介します。
近藤氏と言えば、「がんもどき理論」がよく知られています。「がんもどき」はおでんの具しかないと揶揄する人もいますが、よく読めば、きちんとした仮説であるとわかります。
「ある病変が、がんか良性かの診断は、顕微鏡検査によってなされます。しかしこの、がんと診断された病変には、性格の異なるものが、少なくとも二種類含まれています。すでに他臓器に転移しているものと、まだ転移していないものとです。なお早期がんでも、ごく微小な転移をすでに持っているものがあります。
この場合、他臓器にすでに転移が存在すれば、それが微小であっても、原発病巣の運命とは関係なく育っていきます。したがって、原発病巣を早期に発見して手術しても、いずれ転移で命を落とすことになりますから、早期発見は無意味になります。このように、他の臓器に転移しているがんを、「本物のがん」と名づけました。
他方、発見された時点で他臓器に転移していない早期がんは、これまで、そのまま放置すると、原発病巣が増大して進行がんになる間に転移が発生してしまう、と考えられてきました。しかし私は、早期がんとして発見可能な大きさになるまで転移する能力を持たなかったがんは、かりにそれ以後放置しておいても、もう転移しないのではないか、と考えました。このような考慮に立って私は、転移のないがんを「がんもどき」と名づけたわけです。」(p.185)
このように、これまで常識とされてきた、早期発見早期治療が無意味だとする仮説が「がんもどき理論」なのです。
この理論は、もちろん仮説です。しかし一方の、早期発見して治療すればガンが治るというのも、単に仮説に過ぎません。
「したがって、がんもとき理論への批判は、現在転移のない早期がんを放置しておいた場合、がん細胞の性格が変わって転移が生じることがないのか、ということに集約されます。」(p.186)
このように近藤氏は言って、いずれが論理的に優位であるかは、読者の判断に委ねるという立場を示されています。
そして、これを実証するためにはくじびきによって、早期がんを検査して治療する群と、がん検診をせずに放っておいて、症状が出てから治療する群に分け、どちらの生存率が高いかを比べる必要があると言います。
もし、早期発見早期治療が有効なら、前者の群の生存率が高くなるはずですから。
しかしこれまでのデータでは、生存率において両群の差がないという結果のみが得られているそうです。
この結果から近藤氏は、「がんもどき理論」の方が優位だと説明するのです。
また、抗癌剤は、ガンの中の1割程度しか効果がないと言います。「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の中村仁一医師との対談で、こう言っています。
「近藤 日本人に多い胃がん、肺がん、食道がんなど大部分のがんには、抗がん剤が治癒効果や延命効果を示す証拠がありません。抗がん剤で多くの患者を治すことができるのは、急性白血病、悪性リンパ腫、小児がん、睾丸腫瘍(こうがんしゅよう)などごくわずかです。抗がん剤を使用したほうが、生存余命が延びるような錯覚をさせるデータの作り方がしてあるだけなんです。
中村 医者が作るデータには、そんなのがたくさんあるんじゃないでしょうか。あと、言葉のまやかしもありますね。抗がん剤が「効く」といわれると、患者の方は、がんが消えてなくなると思ってしまう。
近藤 抗がん剤を認可するときの「有効」という判定は、がんのしこりが一定程度小さくなる、ということにすぎません。がんが消える、治る、延命するという意味ではまったくない。」(p.280 - 281)
このことは医師もわかっていて、それでも抗癌剤治療をすれば儲かるので、やめられないのだと言います。
それは何とも言えませんが、医師が正しく説明していないことは事実のようですね。
「万にひとつも治る可能性はなく、「固形がんは放置するに限る。それがいちばん苦しまずに長生きできる」という証拠をどれだけ見せられても、日本人はなかなか「治療しない」ことに耐えられない。「治療はやるもの」と思いこんでいるから。」(p.290)
そう近藤氏が指摘するように、患者やその家族側にも問題があります。
治らないとわかっていても、最後まで努力してくれる医者を良い医者と判断し、治療しない医者を悪い医者と考えているのですから、医者も何かをしなければと思うのでしょう。
近藤氏に対しては、その理論に対して反論ができないからか、個人批判をするケースが目立ちます。
そういう中傷だけを読むと、とんでもない人のように思えます。しかし、この本を読む限り、非常に論理的で冷静で、患者の側に立った医師であるように感じられます。
近藤氏を主治医とした渡辺容子さんは、次のように言っています。
「近藤さんが主治医でよかったと思う最大の理由は、彼は優れたがん専門医であり、患者である私にいいことも悪いことも含めて、真実を教えてくれて、その情報をもとに自分で自分の治療法が決定できること、つまり自分が自分の主治医になれることである。
自分が自分の人生の主人公になれたとき、人は誇りをもって、充実した人生を送ることができる。医学という高度に専門的な分野においても、自分が自分の主人公になれるということはすばらしいことだと思う。しかし、めったにないことだろう。」(p.315)
中には、何も説明せずに「手術しかありません」などと断定する医者もいます。セカンドオピニオンなどと言いだそう時には、怒り出す医者もいるそうです。
どんなに高度な内容であっても、正しいデータと理由をわかりやすく説明し、最終的な判断は患者に委ねるという姿勢こそ、患者を尊重した医療だと私は思います。
この本の最初の方に、「「神の手」を告発する!」という過激なタイトルで、逸見政孝さんのがん手術に対する疑問が書かれています。
それに対して、執刀医はまともな反論を示していないようです。
本当に重要なことは、患者自身が自分ですべての結果を受け入れられるよう、手の内をすべてさらすことではないでしょうか?
権威を身にまとって患者を騙し、医療機関の好き勝手にすることではないと思います。患者自身が、自分の人生の主人公であり続けるべきなのです。
近藤氏は、医療側の意識改革は不可能だと言います。だから患者側に訴えて、患者側の意識改革をすることで、日本の医療を変えていきたいのだと。
今、ガンで患っていないとしても、これは人ごとではないと思います。自分がどう生きるか、という問題だと思うからです。
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