喜多川泰さんの最新作を読みました。
喜多川さんの本と出合ったのは、「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」が最初でした。それから有名な「「手紙屋」」を読み、すっかりファンになってしまいました。最後は昨年暮れの「One World」でしたね。
どれもこれも、人と人との不思議な出会いが織りなす奇跡を描いています。そして今回もまた、こんな奇跡が…と感じて泣いてしまいましたよ。
小説なので、ネタバレにならないようにしますね。あらすじとしては、主人公の前田浩平の父親が亡くなったところから始まります。
浩平は父に反発し、紙の本を読まない主義でした。父親は、りっぱな書斎を持つほどの本好き。
その父親が遺した遺書を巡って、ストーリーが展開していきます。
その中で、父親は「書斎のすすめ」という本を浩平に遺したことがわかります。この小説の途中には、この「書斎のすすめ」が挟まっているという作りになっています。
その本を読んで、浩平はどう変わっていくのでしょうか?
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「<浩平、心配するな。人生で手に入るものは才能で決まっているわけじゃない>」(p.62)
父親の口癖です。その言葉の意味が何なのかは、後で解き明かされます。
「一人ひとり意見が違うなんて、当たり前のことだ。見た目も違う。自分のように障害を持った人間も普通に働ける。浩平の会社だけでなく、ほとんどすべての職場で、年齢も性別も、国籍もバラバラな人たちが一緒に働いている。」(p.72)
この小説は、近未来の2055年のこととして描かれています。そのころには、常識は人それぞれという考え方が浸透しているのでしょうか。
「いろいろな理屈を並べて、成長しようとする自分を止めるのは、自分自身だ。」(p.94)
アドラー心理学でも、理由はあと付けだと言っています。まず自分が成長したくないと決めているから、それを正当化する理由を探してくるのです。
「「素晴らしい人生を保証してくれるのは、才能ではなく習慣だ。我々が人生で手にするものは、才能ではなく、習慣が決めている。
(中略)
「習慣によって作り出すべきものは思考だ。心と言っても良い。
人間の思考には、習慣性がある。つまり、放っておくと、いつも同じことを考えている。自分に自信がない者は、放っておくと、いつも自分に自信がない方向に物事を考える。悲観的な者は、何かが起こるたびに、悲観的に物事を考える。
人間の行動は心に左右される以上、この『心の習慣』をよくしない限り、よりよい人生になることはない。だから、我々が身につけるべき習慣は、心を強く、明るく、美しくするための習慣ということになる。」(p.104 - 105)
これは取引先の志賀会長のセリフです。重要なのは才能ではなく、心の習慣なのですね。考え方がポジティブであれば、自分が幸せになれるばかりか、周りの人をも幸せにするのです。
ここからは、「書斎のすすめ」という本からの引用になります。この本ではまず、成功者は書斎を持っていることが多いという話から始まります。
「成功したから書斎を作ったのではなく、書斎が必要なほどたくさんの素晴らしい本と出会ったからこそ成功した、と考える方が自然です。」(p.149)
たしかに、本好きでなければ書斎など作らないでしょう、普通は。中には見栄で作る人もいるかもしれませんけど、無用な空間になりそうです。
「素晴らしい才能が素晴らしい結果を引き寄せるとは限りませんが、素晴らしい習慣が素晴らしい結果を引き寄せることは、どの時代のどの国にでも成立する真理です。」(p.158)
「人生で「手に入れるもの」は、才能ではなく習慣で決まるとしたら、素晴らしい習慣とは何か、ということになります。もちろんそれは、一つに限定されるようなものではありません。たくさんのよい習慣があります。
しかし、読書の習慣は、いま最も大切にされていない最も大切な習慣だと思います。」(p.159)
ここでは才能より習慣の重要性を指摘しながら、その習慣として「読書」を取り上げています。「書斎のすすめ」に書かれていることですから、当然と言えば当然ですけどね。
しかし私も、読書の習慣があることは、素晴らしいことだと思っています。ですからこうしてブログで、いろいろな本を紹介しているのです。
「いい本との出会いには、自分の人生を何に使うべきかを自覚させる力があります。
つまり、本を読む習慣が身につくと、自然と「志」が持てるようになります。読書は、「人生の目的」を強く自分の中に固持するために、最良の習慣と言えます。
いや、本にしかその力はないと言ってもいいかもしれません。」(p.166 - 167)
使命に目覚めるためには、読書するしかないと言い切っています。
「つまり、「読書の習慣を持ちましょう」というのは、「立派な常識人になりましょう」と言っているわけではありません。むしろ「立派な変人になりましょう」と言っているわけです。
言ってみれば、「変人のすすめ」です。
常識などというものは、誰かがつくり出した空想です。「常識人」など、実は一人としていないのです。すべての人が、誰とも違う常識を持って生きているのです。
(中略)
「常識に合わせて我慢して生きている人たち」は、「我慢しないで生きている人たち」に対する受容力を欠き、「自分たちとは違う常識は許せない」という思いを生みます。やがては民族間の対立や戦争といった、どうすることもできない大きなうねりに集約されていきます。
「戦争は嫌だ」という思いだけで、戦争を止めることはできません。
「我々と考え方が違うのは許せない」という思いが、争いを生んでいるのです。」(p.171 - 172)
「変人になろう」という呼びかけは、たまちゃん先生の「変態のすすめ」を彷彿とさせますね。
積極的に違う意を受け入れることによって、互いに非常識になることによって、初めて自由に個性を発揮しながら、みんなが仲良くやっていけるようになる。この考え方には、私も全面的に賛同します。
「一冊の小説を読むということは、「自分だけしか行ったことがない世界を一つ持つことと同じくらいの貴重な経験」を読者に与えてくれます。」(p.177)
これが「小説」と「映画」の違いなんですね。小説を読めば、その情景は自分がイメージしたものです。そのイメージは、それぞれ読む人によって違います。しかし映画は、最初からイメージを与えてくれますから。
「自分の知っている世界が広くて深いほど、同じものを見ても広く深く感じられるようになっていきます。広く感じる。深く感じる。これが人生の旅路では、一番の楽しみだと言えます。」(p.178)
本を読んで得た知識、本を読んで感じた情景、そういったものによって、あらゆるものの見方や感じ方に、幅と深みが出てくるのです。
そして、電子媒体ではなく、紙の本を読むことのメリットを、お酒を飲む場面と比較しながら説明します。
つまり、同じお酒を雰囲気の良いバーで、ステキなグラスで飲むのと、ちらかった自宅で紙コップで飲むのとでは、その味わいに違いがあるはずだと。
「「お酒を飲む」という極めて味覚に頼りがちなことでさえ、視覚、聴覚、触覚、嗅覚といった様々な刺激の複合体として経験しています。だから、同じものを飲んでも五感から得られる情報が違えば、美味しさに違いを感じます。
同じように、読書も無意識のうちに様々な感覚を同時に使って行っています。」(p.181)
本の手触り、重さ、余白など、様々な要素が読書の質に影響を与えるのですね。
「人生は振り子と同じだと理解できると、うまくいっているときに、不意にやってくる苦しみに対する覚悟ができます。逆に、本当にダメなどん底状態のときにも、生きる力を失わずにすみます。苦しいから、つらいからこそ、もう少し生きてみようと思う力をくれるのです。
(中略)
成功と挫折を繰り返しているような、人生の振れ幅が大きい人が書く本に出会うと、「苦しいから、つらいからこそ、もう少し生きよう」という勇気がわいてきます。「きっと、もうちょっと。あと少しで、よくなる」と信じることができます。」(p.186 - 187)
本によって他の人の人生を知ることができれば、それが自分の人生の指針になるのですね。
「「自分の人生の目的を定める」、つまり「志を立てる」ために、必要欠くべからざる経験が一つあります。それは、誰かの人生に「魂が震える」経験です。
「自分もそう生きていきたい」「私もそうありたい」−−。
志を立てるには、「心から感じる人」の人生に触れ、共鳴するしかありません。鳴っている音叉に別の音叉を近づけたときのように、共鳴して魂が震えれば、その人と同じエネルギーを自分の心に持つことができます。」(p.192 - 193)
これはたまちゃん先生も、「輝いている大人を見たとき」に初めて、こんな大人になりたいという本気のスイッチが入ると、「小さな一歩が世界を変える」の中で言っていました。
エネルギーが共鳴し合う時、私たちは力を得ることができるのです。そして読書は、そういう出会いを与えてくれるのですね。
「他人との「違い」を教えてくれるのも読書です。
自分がほかの誰とも違うという事実に理由があるなら、「すべての人が別の役割を持ってこの世に生まれてきた」ということではないでしょうか。だから、「同じ人などいない」、そう考えることができれば、他人を無理やり自分の常識に当てはめるのではなく、自分とは「違う人」として受け入れられるようになります。
こう考えると、どうやら読書というのは、「自分のため」というよりもむしろ、「自分以外の人のため」にするのではないか……とすら思えてくるわけです。」(p.206)
これは不意をつかれる発想でした。違いがあって当然だと教えてくれるのが読書なら、それは他人のためにする行為だと言うのですから。
けれども、自分のキャパが大きくなれば、自分と接する他人を幸せにすることができます。違いを責められないからです。
だから、読書をするというのは、身近な他人を幸せにするために、戦争のない世の中をつくるためにする行為だと考えることができる。そういうことなのですね。
「本を読むことは、よりよい未来をつくるために、たった一人でもできる具体的なアクションなのです。」(p.209)
このあと小説は、クライマックスを迎えます。
そしてそこでも、驚きの展開があるのですが、それは小説を読んでお楽しみください。
最後に、「あとがき」から1ヶ所だけ引用しましょう。
「もう一つ、この作品で伝えたかった大切なこと。
それは、自分が幸せになることによってしか、救えない人生があるということです。
一番大切な人を、幸せにするって案外そういうことなんじゃないかと思うのです。
逆の言い方をすると、いつまでも過去の出来事を引きずって、幸せになることを放棄していると、今、目の前にいる大切な人をいつまでも幸せにできないということです。」(p.256)
大切な誰かが不幸でいたら、あなたは幸せな気分になれるでしょうか?
映画「かみさまとのやくそく」では、子どもは親を幸せにしようとして生まれてくる、と言っていました。
それなのに親が幸せでいないと、子どもは幸せになれないのです。
だから、まず自分が幸せになることが重要なのですね。
久々の喜多川さんの作品でしたが、期待を超える素晴らしいものでした。
ぜひ、多くの人に読んでいただきたいですね。また母校の中学校に寄贈しようかな、などと考えてしまいました。
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