みやざき中央新聞の魂の編集長、水谷もりひとさんの本を読みました。
と言っても、これも同紙の社説から選ばれた40編を集めたものになっています。これまでに出版された、「日本一心を揺るがす新聞の社説」などのシリーズになります。
今回のは、サブタイトルに「魂の編集長が選んだ「教科書に載せたい」新聞の社説」とあるように、子どもたちに読んでもらいたい内容となっています。
とは言え、もちろん大人が読んでも、読み応えのあるものになっています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
腎臓がんを克服した杉浦貴之さんの話です。
28歳で「もって半年、2年後の生存率は0%」と言われた杉浦さん。でもお母さんは、「余命宣告なんて私は信じません。」と言ったそうです。
そんなお母さんも、仕事の行き帰りに何度も車を止めて、泣き崩れたことがあったと、杉浦さんは後で知ったそうです。
信仰心などなかった父親も、毎日、仏壇と神棚に手を合わせるようになったとか。おばあさんは、「私が代わってあげたい」と言って泣いたそうです。
そんな家族を見て、杉浦さんは「僕は無条件に愛されているんだ」と気づいたそうです。
「しかし、病気になってやっと気が付いた。
「僕は生きているだけでお父さんお母さんに幸せを与えていたんだ」と。毎晩、両親が病室を出た後、彼は感謝の涙で枕をびしょびしょに濡らしていた。」(p.37)
自分が死んでいなくなることで、家族を悲しませることになる。それで杉浦さんは、絶対に病気を治そうと誓ったのだそうです。
次は婚活の話です。
世界的な物理学者、米沢富美子さんは、物理学が面白くて仕方なかった大学院1年の頃、証券会社に就職していた恋人からプロポーズされたそうです。
そのとき富美子さんは、「結婚より研究を選びます」と言って断ったそうです。研究は、片手間にできるようなものではないと思ったからだとか。
ところが彼氏は、「僕の妻になることと物理の研究と、両方取ればいいじゃないか」と言ったそうです。それで富美子さんは、結婚を決めたのだとか。
結婚生活では、「夫は家事・育児には一切協力しなかった」のだそうです。
「夫が何もしてくれないことでイライラするより、夫には何も期待しないと覚悟したことで、心はいつも穏やかで、楽しく子育てをし、研究にも没頭できた。」(p.73)
その後、富美子さんは45歳で乳がんになり、左乳房を摘出する手術を受けています。そして夫は60歳で亡くなられたそうです。
その夫の病床で富美子さんは、「あなたに支えられたから私はやってこれた。ありがとう」と心から言ったのだそうです。
社説は、以下の言葉で締めくくっています。
「人生、「楽しもう」という覚悟をした人間ほど逞しいものはない。結局、あれもこれも手に入れている。」(p.73)
ざっと読んだだけでも、必ずしも順風満帆とは言えない人生です。それでも、ポジティブに立ち向かうことを決めたことで、それは満足の行くものになるのですね。
以下は、いくつかの社説の締めの言葉です。
「名前を付けると、モノがもはやモノではなくなる。命が吹き込まれるようだ。だから「命名」というのだろう。」(p.129)
「何かに挑戦しようとするとき、「誰かのために」という目的があると、人は諦めない。すごい力を発揮する。きっとそれが愛の力だからだろう。」(p.139)
「でも、100%勝てると分かっている試合に勝って何の喜びがあるのでしょうか。君が本当にやりたいのなら、たとえ勝算が1%の確率しかなくてもやったらいいのです。
それを「挑戦」といいます。
そして失敗しましょう。たくさん悔しい涙を流しましょう。
失敗していいのです。もしうまくいったら大きくガッツポーズをして「ありがとうございます」と叫びましょう。
もしうまくいかなかったときは小さくガッツポーズをして、『天才バカボン』のお父さんの、あの名台詞をつぶやきましょう。
「これで…いいのだ!」と。
そこから君の可能性の芽が出てくるのです。」(p.144)
お子さんへの贈り物にもいいかもしれませんね。
それとともに、私も愛読している「みやざき中央新聞」を購読してみてはいかがでしょうか。

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