ちょっと重い話になりますので、嫌な方は読まないでくださいね。
先日、中学生がいじめを苦に自殺した、というニュースが流れました。
その中学生は先生と交換ノートをしていて、そこにいじめを受けているとSOSらしきことが書かれていたそうです。
問題は、それに対する先生の返事です。
生徒の訴えに対し、まったく答えていないと思われます。
それでネット上では、先生に対する批判が広まったのです。
この事件について心屋仁之助さんが、Facebook上で問題発言をしました。
炎上している心屋仁之助さんの投稿をシェアします。「神との対話」では、死は最高の出来事だと言っています。「では、あなたがたが「死」と呼ぶものが、じつは誰にとっても最高の出来事だと言ったらどうかな?(中略) あなたは、地上の暮らしのほ...
Posted by 幸せ実践塾 on 2015年7月12日
これが大炎上と言うか、批判のコメントが多数、寄せられています。
著名人が自殺を容認する発言は、自殺を助長しかねないというものです。
また、先生の対応に対する批判も、数多くありました。
けれども、本当に先生が悪いのでしょうか?
その後、実は良い先生だという話が、ツイッターに流れました。
すると今度は、報道がけしからんというマスコミ批判が起こってきました。
また、心屋さんの発言に共感して、体験談を寄せてくる方もおられました。
先生批判からマスコミ批判へ。ともかく誰か他人を批判してないと気が済まないのでしょうね。絶対的な真実など存在しません。それぞれの人の真実があるだけです。批判したい人は、常に批判する材料を探してきます。それで幸せですか?満足ですか?もしそうなら、好きなだけそうすればいいのです。もう飽きたなら、そういう考え方を変えてみませんか?
Posted by 幸せ実践塾 on 2015年7月11日
問題点を整理すると、まずは「死」そのものは悪いことか? ということがあります。
死が悪いことだと考えるから、殺人や自殺も悪いことになるのでしょう。
そしてもう1つの問題は、真実(事実)というものはあるのか? ということです。
事実があると思うから、その事実を前提として善悪を判断しようとするのでしょう。
まず1つ目の問題について、「神との対話」シリーズでは一貫して、死は悪いものではないと言っています。
「では、あなたがたが「死」と呼ぶものが、じつは誰にとっても最高の出来事だと言ったらどうかな?
(中略)
あなたは、地上の暮らしのほうが天国での命よりも良いものだと思っているのか?いいかね、死の瞬間にあなたは、かつて味わった最大の自由、最大の平安、最大の喜び、最大の愛を知るだろう。それでも、イバラの藪にウサギどんを放りこんだキツネどんを責めるかな?」
(「神との対話A」p.63)
私たちの本質である魂は、永遠に生き続ける存在です。
ですから、死は存在しません。幻想です。
しかし、私たちが言うところの「死」は必ず訪れます。
それは本質的には「変化」にすぎません。
ですから、本質的な存在という観点では、死は祝福なのです。
「でも、他人によって殺されたり、死に追い込まれるのは、自分の望みじゃない!」
そう思われるかもしれませんね。
でも、それも間違いだと、「神との対話」では言います。
この世に起こることは、すべて必然です。
生まれる時や環境を自分で選ぶなら、どうして死を自分で選ばないことが有り得るでしょうか?
ですから、たとえどんな死に方であったとしても、それは自分が選択したのです。
このことは、親しい人を亡くした方に、おおっぴらに語れることではありません。
私も、そんなことはしません。
けれども、いつかはこれを受け入れることになると思っています。
少なくとも自分が死んだときには、何が真実だったかがわかるでしょうから。
そして2番目の問題です。
実は良い先生だとわかったから、今度はそれをねじ曲げて報道したマスコミを批判したのですよね。
では、その良い先生という話が、実は間違っていたらどうなりますか?
心屋さんは、報道は事実ではなく、製作者の感情が入っていると言います。
もっと進めてみれば、仮に自分が直接見聞きしたとしても、それは自分のフィルターがかかっています。
つまり、私たちが認知できるのは事実ではなく、認識に過ぎないのです。
つまり、事実に対する解釈です。
私たちは、そういう解釈を前提として、誰かを批判非難しているだけなのです。
先生が悪い、マスコミが悪い・・・。
そうやって常に、他者のせいにし続けています。
だから、本質的に何も解決しないのだと思います。
問題解決手法のホ・オポノポノでは、他者を批判することは勧めていません。
起こったことはすべて、ウニヒピリ(潜在意識)が見せている過去の投影だと言います。
だからそれをクリーニングすることで、問題を投影する必要性をなくすのです。
クリーニング手法の1つは、次の4つの言葉を言うことです。
「ありがとう、ごめんなさい、許してね、愛してます」
すべて、自分自身の問題です。
バシャールは、現実は鏡に映った自分だと言います。
誰も鏡の中に手を突っ込んで、鏡像を変えようとはしないはずです。
変えるなら当然、自分自身です。
「神との対話」では、すべては自分が何かを選択する機会を提供してくれているだけだと言います。
その現実を前にして、愛を選択するのか? それとも不安を選択するのか?
批判や非難は、不安を選択した結果です。
そしてその選択によって、自分の人生を創造しています。
もちろん、私が言うことが正しいなどとは、絶対に言いませんよ。
これも1つの考え方です。
受け入れられる人は、受け入れてみませんか?
これまでの考え方で上手く行かないなら、自分自身が変わるべきだと思うのです。
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