ネットである記事を見て感じたことがあったので、ブログに書くことにしました。
メルマガのネタにしても良さそうだったのですが、どうしても今日、書きたい気分になったので。
「週刊ポスト(2015年6月12日号)」からの記事で、タイトルは「ドンキで中国人店員が客をボコボコに 打撲で全治10日の診断」となっています。
ディスカウント量販店「ドン・キホーテ」八王子駅前店で、店員の横柄な態度に腹を立てた客がその胸ぐらをつかんだところ、逆にボコボコに殴られたという話です。
この記事を読んだとき、私はある出来事を思い出しました。
それは東京・大塚のマンスリーマンションに住んでいたころのこと。帰宅途中のコンビニでの出来事です。
商品を買ってお札を渡すと、店員がレジの方に少し身体をずらして釣り銭を取り、ホイッとその場でお釣りを渡そうとするのです。
私が受け取るためには、私から店員に近づかなければなりません。1回目は、違和感を覚えながらも、近づいてお釣りを受け取りました。
しかし、どうにも釈然としません。だって、店員が勝手に移動したのですから、自分から寄ってくる「べき」でしょう。それか、店員が手を伸ばして渡す「べき」です。
数日後、また立ち寄ったところ、同じ店員がいました。
そして案の定、同じように少し離れたところから「ほら、受け取りに来いよ」みたいな感じで釣り銭を渡そうとします。
「お前がこっちへ来て渡せよ!」
そんなことを言ったかもしれません。その後、どうしたのかも記憶していないので、ひょっとしたら文句を言いながらも、私から近寄って受け取ったのかも。
私は、自分がバカにされたような気がして、悔しくてたまらなかったのですね。
ところが、その話を上司にしたところ、彼は私に共感して腹をたてるのではなく、まったく違う反応を示したのです。
「あいつもきっと、大変なことがあるんじゃろ。」
私は、共感してもらえないことに不満でした。だって悪いのはあの店員だからです。あんな態度をされたら、誰だって腹を立てるでしょう。
しかし上司は、その店員に対してもニコやかに話しかけ、店員もまた、私の上司には非礼な態度を取りませんでした。
それ以来、その店員には会っていません。
バイトを辞めたのかもしれないし、横柄な態度を取らなくなったから気にならなくなったのかも。
でも、この出来事はずっと私の心の中に残っていました。
今から15年ほど前の出来事です。あのころの私は、まだ強い「べき」論に支配されていたのですね。
今回の記事を読んで、改めて思いました。
一歩間違えば、私もボコボコにされていたのでしょう。
法律上は、その店員が悪い(=罪がある)のかもしれません。けれども、スピリチュアル的には、起こるべきことが起こったにすぎないのです。
店員が横柄な態度を取ったとき、私がそうしたように腹を立てて文句を言うこともできます。一方で私の上司のように、相手の立場を思いやって許すこともできるのです。
バリ島の大富豪、兄貴こと丸尾孝俊さんは、レストランで注文したものが出てこないと不満を漏らした連れの人に対して、「さわやかじゃないのぉー」と言って自ら厨房に入り、注文の品を作って出してあげたそうです。
その部分を本で読んだとき、私にはまだ納得できませんでした。
「注文の品が出てこないのだから、クレームを言うくらいはいいんじゃないの?それでも待ち続けなきゃいけないの?」
そう、思ったのです。
今ならわかります。待ち続けなきゃいけない(=ねばならない)のではなく、ただ待ってあげればいいのです。ニコやかに、気にする様子も見せず、ただ待っていればいいのです。
誰でも、文句を言われれば腹が立ちます。相手に腹を立てさせるようなことを、敢えてする必要性はないでしょう。
待てないなら店を出れば良いだけです。
もちろん、丁寧に「まだ出てこないのですが、急いでいるので、もし間に合わないならキャンセルしていただけますか?」と尋ねても良いでしょう。
横柄な態度の店員にも、「きっと何かつらいことがあって、心が疲れているんだろうなあ。」と思いやってあげて、そんなつらい中でもちゃんとお釣りをくれようとしたのだからと、感謝すれば良かったのです。
すべての出来事は、私たちに機会を与えてくれます。
それは、「愛」と「不安」のどちらを選択するか、という選択の機会です。
「神との対話」では、「愛」を選択することで、自分が進化成長できると言います。
相手を思いやって、「愛」を選択することもできます。
一方、自分がバカにされることで存在価値が消えてしまうような「不安(怖れ)」を感じ、そのことを拒否するために怒ることもできます。それは「不安」を選択したのです。
どちらを選択するのも自由です。私たちは基本的に自由なのですから。
今日、この記事を読んで、改めて上記のことを感じました。
すべては私自身のために起こっている。私を進化成長させようとして、必要な機会へと導いている。
これからも、そう思うようにして、感謝して生きたいと思います。
2015年06月02日
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