2015年04月18日

あした死ぬかもよ?



ひすいこたろうさんの本を読みました。

ひすいさんの本は以前、はせくらみゆきさんとの共著になる「起こることは全部マル!」を読んでいました。

ひすいさんの、見方を変えるという考え方が素晴らしいと思ったので、今回も期待して読みました。

結果は、もちろん期待通りでしたよ。

そして、ひすいさんが見方を変えるきっかけになったのが、小林正観さんの5日間のセミナーに参加したことだったと、この本で初めて知りました。

なるほど、それなら納得です。正観さんの考え方を受け継がれているなら、間違いないと思いました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

あの世には、お金も家具も服も家も持っていくことはできません。
だから、この世で財産を失うことは、ほんとうの不幸ではありません。
では、この世の最大の不幸はなんでしょう?

それは、死が間近に迫ったときに、自分の人生に後悔することです。
死ぬ前に後悔することこそ、最大の不幸です。
」(p.4)

最大の不幸は、後悔をしたまま死ぬこと。これは名言ですね。

ひすいさんはこう言って、だから後悔しない生き方をしましょうと言います。そして、そのための方法を、この本の中で述べるのです。


「バカげたことをもっとやればよかった」って後悔するのは、「バカをしちゃいけない」という思いがあるからです。
 「もっとダンスに行けばよかった」って後悔するのは、「楽しんではいけない」という思いがあるからです。

 まずは、あなたを自由に生きることから遠ざけている、思い込みや制限を探ってみましょう。
」(p.29)

これは「神との対話」でも指摘されています。この「思い込みや制限」こそが、自分の信念(観念)です。価値観が固定化したものです。それが、本来自由な自分を制限しています。


実は、思いどおりにいかないからこそ、人生は面白いんです。

 サッカーが面白いのは、手を使ってはいけないから。
 ゴルフが面白いのは、ボールを手に握りしめて、手で穴にねじ込んじゃいけないから。

(中略)
 思いどおりにいったら、人は退屈するだけです。
(中略)
 生きるって大変ですか?
 大変に決まってるじゃないですか。
 大変だからこそ、面白いんです。
」(p.42 - 43)

これもよく言われることですよね。人生はゲームですって。

でも、この説明を聞いて理解していても、いざ、抜き差しならない現実に直面すると、慌てふためいたり、意気消沈したりするんです。不安が拭えないのですね。


「過去最高度の不安を10点とすると、この不安は何点?」って。
 過去最高度の不安を10点とすると、この不安は8点かな。
 だったら、余裕でしょ。

(中略)
 嫌な感情は「数値化」すると、その感情を「客観的」に見られるようになります。すると、すーっとその感情が離れていくのです。
 そして、ここからがこの話の本題なのですが、僕らは、究極の逆境をすでにくぐり抜けてきています。
 それは、誕生の瞬間です。
」(p.44 - 45)

ひすいさんは、狭い産道を通って生まれてくるとき、約1.5トンの圧力を受け、頭蓋骨が歪むほどの苦痛を味わうと言います。

それが最大の苦痛であり、逆境であるとしたら、「それを10点とすると、目の前の逆境は何点?」と自問することで、不安を解消できると説明します。

これは、なかなか面白い方法だと思いました。


大好きな人が死なずに、今日生きていてくれる。
 それ以上の幸福ってありますか?

 生きているって、大好きな人に会えること。会いに行ってその人を感じることができる。これ以上の幸福ってありますか?
」(p.50)

今、愛情のある関係を結べている人がいるなら、この言葉は心に突き刺さりますよね。

私も常々言っていますが、出かける時は妻に必ず「ありがとう」と言うようにしています。なぜなら、それが最後に交わす言葉かもしれないから。

「最後の言葉は「ありがとう」でした。」と言いたいし、そう言えなかったら悔いが残ると思うのです。だって、愛する妻と一緒にいられることが、最高に幸せだと思うから。

だからどんなに喧嘩をして気分が悪かろうと、別れる時は笑顔になって「ありがとう」と言う。それが私の決心なのです。


寒さのなか、家族を失い、家を失い、仕事を失った人たちが、ウソでもいいからと笑って前へ進んでいる。「泣いたって何も始まらないから」「笑っていると勢いが出るんだ」。そう笑いながら。
 そんなすごい力が人間には隠されているんだ。
 そんなにすごい力があなたにも隠されているんだ。
 そのすごい力を発揮しないで、死んでどうする!?

どうせ死ぬなら、自分の底知れぬ可能性に驚いてから、死のうよ。
」(p.59 - 60)

2011年3月11日の大津波で被災し、失意のどん底にあるはずの岩手の山田町の人々と出会い、ひすいさんはこう感じたのだそうです。


「なんでも思い切ってやってみろよ。
どっちに転んだって、人間、野辺の石ころと一緒。
最後は骨となって一生終えるのだから。
だから思い切ってやってみろよ」

 これは龍馬が生前残した言葉ですが、この言葉どおり、龍馬は、どんな事態でも深刻にならずに、人生を冒険として生き抜きました。
」(p.66)

NHK大河ドラマ「龍馬伝」でも、明るく前向きに生きる龍馬像がみごとに描かれていました。

坂本龍馬は、どんな逆境においても諦めなかったばかりか、明るさを失わなかった。

龍馬は、人生をなめきっていた。
 いい意味で。
」(p.64)

そうひすいさんが分析するように、しょせんいつか死ぬ運命なのだからという、死を見据えた思いがいつもあったのだと思います。


想像した夢にワクワクできたら、それが心のジェットエンジンになります。あとは、意志を持ってそうなると決めて、もうそうなったつもりで、どんな小さな一歩でもいいから踏み出し続ければいい。すると夢って、案外あっさり叶うんです。」(p.84 - 85)

これもよく言われることですよね。ワクワクすることをやれば上手くいく。そうなったつもりで小さな一歩を踏み出す。

恐れ(不安)を捨てて、勇気を出して、小さな一歩を踏み出すこと。それが重要なのですね。


逆をいえば、締切日を自らもうけることで、夢を引き寄せることができます。
 いつまでにやりたいか、夢に締め切り日をもうけるのです。
」(p.114)

いつかやろうと思っていると、いつまでもやれません。思い立ったが吉日と言いますが、すぐにやることが重要ですね。

それと同時に、この締切日をもうけるというのも、効果的だとよく言われます。納期のない仕事はないと言うように、ともかく可能と思われる期日を決めることです。


本来、分解しても、全部品の重さを足せば、必ず商品Aの重さに戻るはずです。
 ところが、精密な測定器でこれらを測ると違いました。
 これまたラットの実験と同じように、分解すると、1万分の1重さが減るのです。
」(p.150 - 151)

これは、東京大学物性研究所などで研究された川田薫理学博士の実験結果だそうです。ラットが死んだ場合も、機械を分解した場合も、重さが1万分の1ほど減るのだと。

これを川田博士は、「命の質量」とか、「思いの重さ」だと説明しています。

ラットの方は魂の重さとも言えますが、機械の方は不思議です。人の思いのエネルギーが機械にはあるので、分解することで機能しなくなれば、そのエネルギーが失われるということのようです。

これは本当のことかどうか何とも言えませんが、わかるような気もします。


人生は、幸せになるのが目的じゃない。
 幸せがスタート地点。幸せから夢へ向かうんです。
 いまが不満だから幸せを目指すという人は、夢を成し遂げても、そこに見えるのは、新しい不満です。
」(p.160)

これは、ひすいさんが正観さんから教わったこととして紹介されている部分です。

「神との対話」でも、同じように言っていますね。まず在り方を決めるのだと。幸せになりたいなら、さっさと幸せになる。その幸せを根拠として、何かをするんですね。


これが最後だと思ったら、15分待つ踏切にすら、
喜びが出てくるんです。
」(p.198)

開かずの踏切で15分待たされたというひすいさんの友人は、数年してこの踏切がなくなることを知り、「あのとき、15分待ってよかった」と思ったのだとか。

そのときはひどくイライラさせられた出来事が、あとになれば懐かしくて喜びを感じる出来事に変わる。そういうものなのですね。


回想シーンに自分が登場するということは、「自分を客観視できている」ということです。
 登場しないということは、トラウマがまだ現実のままだということです。現実の視点では、自分は見えないので、自分は登場しないわけですから。
 この実験でわかったことは、自分を客観的に見られるこの視線こそ、自分を癒やす力になるということです。
」(p.218)

これは、ある心理学者の実験で、トラウマを負った人にその出来事を思い出してもらったとき、そのイメージに自分が登場するかどうかの違いがあった、という結果について説明しています。

そして、ひすいさんはこの本で、「人生最後の日の自分の視点(自分を客観視する視点)」を読者に贈りたかったのだと言います。


この本の中で、自分の死亡記事を書くという部分がありました。実はちょうど昨日、それにピッタリの事例と出会いました。

みやざき中央新聞の今週号に載っていたのですが、ダイナマイトの発明で巨額の財産を築いたノーベルの話です。

彼のお兄さんがなくなったとき、新聞が間違ってノーベル自身の死として報じたのだとか。

その記事は、「死の商人死す」の見出しと共に、「かつてないほど短期間に、かつてないほど多くの人を殺すことのできるものを創り出した人間が亡くなった」と書かれていました。

ノーベルはこの記事を読んで愕然とし、生き方を改めたのだそうです。そして死後は財産を人類に貢献した人のために使ってほしいと遺言し、それでノーベル賞が作られたというわけです。

自分の死を客観的に見つめるということは、人の生き方を変えるのですね。


裸で生まれたこの身ですから、これ以上、何を失うこともありません。

それに死ぬ時は、この肉体さえも残していくことになります。

そうであれば、もう何も不安に思う必要はないでしょう。

私も龍馬のように、明るく前向きに、人生をなめきって生きようと思いました。

あした死ぬかもよ?
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:54 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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