宋美玄(ソン・ミヒョン)さんの本を読みました。
「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」シリーズが有名です。私はこちらの本も1冊、Kindle版で読んでいます。
宋さんは、興味本位ではなく、まじめにセックスの問題に取り組んでおられるお医者さんです。
今回読んだ本も、本の帯にも書かれているように、「すべての大人必読!」だと思いましたので、ここで紹介したいと思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「セックスを経験する前に、身体のしくみや性、妊娠・出産、感染症について、しっかりとした知識を与えるべきです。
(中略)
だからこそ、学校での「実用的な性教育」の実施と同様に、保護者である方々にはぜひ、彼女たちの性に対して、現代を生きる子どもの目線に立って向き合っていただきたいのです。」(p.5)
「性行為とは、膣性交、肛門性交、口腔性交……これらすべてを指す言葉であるにもかかわらず、何をどうすることが性行為となり、感染症のリスクを伴う行為なのかは、教科書からはまったくわからないのです。これはまさに、具体的な内容に踏み込むことが国によって制限されていることの表れといえます。」(p.28)
日本の性教育の問題は、性を「恥ずかしいもの」と捉える価値観をそのままにしているため、基本的には教えない、つまり「寝た子を起こさない」という方針です。
このことの問題は、正しい性に関する知識を教わらないままに性行為をすることによる、危険性が増大することにあります。
「日本の2013年の出生件数は、約103万1000人でした。一方、2012年の人工中絶件数は19万6639件。出生件数に対して、約5分の1は、この世に生まれてくることができなかったことになります。」(p.34 - 35)
こんなにも中絶が多いのかと、私は驚いてしまいました。もっとも、中には他に方法がないものもあるでしょうけど、その多くは、正しい知識があればしなくて済んだ中絶だと思います。
「また、2007年から08年に行われた、中絶経験者に対する調査(第1章21ページ参照)では、26.2%がコンドームを使用していても中絶に至った妊娠をしています。コンドームを使うだけで妊娠を防ぐことができる……と考えるのは非常に大きな誤りです。コンドームは、あくまでも性感染症予防の一つの手段として身につけるアイテムであり、避妊のために使用するとすれば、ピル(経口避妊薬)との併用が最も望ましい方法です。」(p.190 - 199)
この事実を、どれだけの人がしっかりと認識しているでしょうか? いわんや少年少女においてをや、です。
そもそも、コンドームの正しい使い方を、ご存知でしょうか? 学校で習ったでしょうか?
学校では、性病予防のためにコンドームが有効であることは説明しても、具体的な使い方までは説明しません。それでいったいどうやって、その使い方を知るのでしょう。
「泌尿器科専門の医師、岩室紳也先生はコンドームの普及と啓蒙のため、さまざまな活動を行われ、「コンドームの達人」と呼ばれています。インターネット上で正しいコンドームの着け方を丁寧に解説されていますが、こういった正しい性情報にこそ、ぜひアクセスしてほしいものです。」(p.202 - 203)
岩室先生のWEBページ「コンドームの達人講座」では、装着方法の図解や動画も載せてあります。
先ほどの低用量ピルの話ですが、日本では1999年に医薬品として認可されたそうです。しかし、国連加盟189ヵ国の中で最後に承認されたのです。いかに、日本の性に対する価値観が遅れているかがわかります。
ピルの流通には、1990年に申請されてから、実に9年を要しています。一方、ED薬として有名なバイアグラは、申請から約5ヶ月で認可が降りています。
つまり日本政府の価値観は、女性の性が解放されることには、男性よりも極度に慎重だというものです。男女平等のスローガンなど、絵に描いた餅なのでしょうね。
「低用量ピルは、避妊の効果はほぼ100%ですが、避妊効果の他に月経困難症、月経過多、月経不順といった生理に関するトラブルにも有効です。」(p.199)
それだけ有効な薬であるにも関わらず、日本では正しい知識が広まっていないために、服用率はわずかに1.0%だそうです。(ドイツ:約52.6%,西ヨーロッパ全体:46.2%,北米:18.6%)
「「寝た子は起こすな」−−性的な行為について知識を与えると、かえって子どもの興味をあおることになりかねない、そんな考え方を端的に示したフレーズです。
現在の日本の性教育では、まさにこのフレーズのとおり、「セックスについては教えてはいけない」というルールが明確に存在しています。」(p.51 - 52)
文部科学省が定めた中学校の学習指導要領には、性教育の方針としてこう書かれているそうです。
「受精・妊娠までを取り扱うものとし、妊娠の経過は取り扱わないものとする。」(p.52)
つまり、「妊娠の経過=セックス」は教えてはいけない、ということなのですね。これでは、どんな行為が妊娠につながるのか、まったくわからないではありませんか?
「子どもにとって現実性を持たない性教育に、果たしてどんな意味があるのか。疑問を抱かずにはいられません。」(p.55)
私もまったく同感です。私自身も、学校ではセックスに関して、まったく教えてもらいませんでしたから。
「好きな相手に満足してもらいたいから、セックスにおいては主張を控える……という気持ちももちろん理解できるのですが、相手の都合や場の雰囲気を優先したセックスは、自己犠牲のセックスでしかありません。それは本当に心から楽しいと思える行為ではなく、心が先に疲れてしまうか、身体が音を上げてしまうかのどちらかになってしまいます。」(p.68)
少女がセックスを体験する時、男性から誘われて、というケースがほとんどだと言います。したがって、「相手から嫌われたくないから」という思いで、受身的にセックスに関わることが多くなります。
そうした場合、「コンドームをつけて」と要求することすらできなかったりするなど、自分を傷つけてしまいがちです。
これは夫婦間でも言えることですね。結婚したのは性欲を満たすためでもあるのだからと、妻にセックスを強要する夫の話もありました。夫の性欲を満たすためにセックスをするのは、妻の義務であり務めでであると。
まったく何という価値観でしょうか。これでは強姦と同じです。
「性教育でいちばん大切なことは、実はこの「誰かに流されるのではなく、自分の身体や気持ちを大切にし、自分の意思を相手に伝えることができる」という考えを持つことです。性に対して、受け身になってしまうのではなく、自分の意志で選択をしていくことです。」(p.68)
私も同感です。そこまで教えなければ、どうして性教育と呼べるでしょうか。性教育とは、良く生きるための教育なのですから。
「家庭において、「生まれてきた自分をありのまま認めてくれる保護者」が不在である場合、多くの人間が自己肯定感を築くことが難しくなります。自己肯定感とは、自分の健康や人生を大事にしようと思える心のことです。自分はありのままで生きていいのだという、基本的な自己肯定感が築かれたうえではじめて、将来について希望を抱き、生きようと思えるのです。」(p.76)
これは、家庭が楽しくないとする少女ほど、「性的な行動に対する垣根が低く、結果的に性被害にも遭いやすい」という調査結果に対する考察です。
つまり、家庭が自分を受け入れてくれないことで自己肯定感が低くなり、その思いを埋めるために、男性の誘いに乗ってしまう、ということを示しています。
「性行為とは、生殖につながる行為であり、いやらしい・汚らわしい行為でも何でもありません。生殖としての性の面を、性行為という過程だけ飛ばし、受精や妊娠のことのみ教えてしまった結果、子どもたちは大人たちの流す快楽的な性のイメージにあらがえなくなってしまうのです。」(p.108)
「このように、少女の性について考えることは、実は親自身の性のイメージをあらためて振り返る作業でもあるのです。」(p.110)
親子で一緒にテレビを見ていたときセックスシーンが出てきたら、親が慌ててチャンネルを変えた。こういう行為が、子どもに対して親の価値観を伝えます。恥ずかしいから話題に出さない態度が、セックスを恥ずべきものとして伝えるのです。
親自身が性を、セックスを、どう考えているかが、子どもの性教育に大きな影響を与えています。それだけ重要な責任があることを、親であるならば自覚すべきではないでしょうか。
「親が性について話しづらいと考える一因には、自らの「セックス観」が関係してくるということもあるでしょう。もしも「お母さんはどうだったの?」「お父さんはどう思うの?」と尋ねられたどき、どう答えればいいのか……。
娘にセックスの話をするきまり悪さは、誰もが感じるものですから、うまく答える自信がなくても、それは恥じることではありません。それよりも、「なぜ自分は性に関する質問を恥ずかしく感じるのか」といったように、あらためてご自身の性に対する感じ方・考え方を見つめ直すきっかけにしてみてください。一度考えてみると、自らのセックスに対する経験と価値観を見つめることにもつながります。」(p.112)
子どもをどう育てるかは、親自身がどう生きるかということです。自分を変えようとしない限り、子どもを変えることはできません。子は親の鏡なのですから。
「恋愛について話し合ったことがあると答えた母親は37%。父親に至っては、わずか12%です。恋愛の話すらしないのに、突然セックスと避妊の話をすることはありえません。それ以前に、ふだんから家庭での会話が少なければ、話をする機会を持つことすら困難です。当たり前のことを言うようですが、日々のコミュニケーションがすべてなのです。」(p.114)
性は生につながるものです。良く生きようとしていなければ、性の話をすることもできないでしょう。家庭として良く生きるとは、親子が垣根のないコミュニケーションをすることだと思います。
おそらく最後に残されるタブーが、性に関することではないでしょうか。
性についてオープンになることは、性について自由になることです。私たちは本来自由であり、自由に戻ろうとしています。
したがって性についても、より自由になっていくべきだと思います。恥ずかしがらずにオープンに性について語る。そういう状態にならなければ、子どもに正しい性知識を与えることもできないでしょう。
本当に、すべての大人に読んでもらいたい本だと思いました。

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