2015年03月02日

カルマからの卒業



はせくらみゆきさんの本を読みました。

私がはせくらさんのことを知ったのは、以前読んだ「起こることは全部マル!」が最初でした。この本は、ひすいこたろうさんとの共著ですが、ひすいさんの本を読みたくて買ったのです。

ところが読んでみると、はせくらさんが実に素晴らしいと感じました。そして「おとひめカード」が紹介されていたので、神田昌典さんのメルマガに紹介されていたものだとわかりました。

意外にもすでに名前を聞いていたのですね。

そういっったことから「おとひめカード」も買ってみたし、またはせくらさんのことを知りたくて、この本を買ったのです。


ではさっそく、本の一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

私たちの内奥にある叡智の泉−−超意識からのメッセージによると、カルマとは単に、原因と結果の法則であり、熱いやかんに手を触れた(因をつくった)から火傷した(果となった)という、因と果の法則の一つにすぎず、それ自体にいいも悪いもないということです。
 それをどう捉えるかは私たち人間の「判断」がなせる業であり、さらにいえば、私たちがより成長するために仕組まれた大いなる神の経綸(けいりん)、つまり絶妙なる神しくみであるということです。
」(p.2 - 3)

「カルマ」と言うと、つい前世で人殺しなど悪いことを行ったから、今生ではつらい目に合うというようなことを想像します。

そして今の自分が不遇なのは、前世の行いが悪かったからだとか、親の因果が子に報いと言うように、親のせいだとか考えがちです。

そして、スピリチュアル系の人の中には、そう言って不安がらせ、浄化が必要だなどと説いたりする人もいます。

私は、そういうのは胡散臭いと思っていて、はせくらさんの本を選んだとき、ひょっとしたらという一抹の不安もいだきました。けれど、この「はじめに」書かれたこの部分を読み、そうではないとわかってホッとしました。


ここで大切なことは、現象が起こっているときは、すでにそのことが終わりかけているときであり、起こっている=光に還っていく様子を見ている=光還元している最中であるということです。」(p.24)

光還元のことはひと言では説明できないので、本を読んでみてください。私もあまり理解できていません。

ただ、本質的なことは、何かの現象が起きているときは、カルマが解消される最後の過程だということです。

たとえば何かトラブルが起こったときは、もう終わりかけているわけですから、何ら心配する必要はない、不安になる必要はないということなのです。


このことを別の言い方でも説明しています。

愛の状態はフラットで、愛から離れると山と谷ができる(波立つ)と言います。そこから愛に戻ろうとすれば、その波とは逆の位相の波を作り、干渉させればよいわけです。

この逆相の波の集合体が、カルマということになります。

 ですので、何か起こるからダメじゃなくて、起こることで、再び愛の姿に戻ろうとする揺り戻しのシステムであり、大いなる神しくみであるということなのです。
」(p.31)

したがって、イヤな人との出会いや、自分にとって不都合な出来事というのは、愛に戻ろうとする働きなのですね。

ですから、そういう有り難い存在なのだと思えば、また感じ方が違ってきます。

とはいえ、そう簡単には心が許せないかもしれませんので、苦手な相手とのご縁があるときは、泣き、笑い、怒り、悲しみ、さまざまな感情を体験しながらも、確実に、着実に愛のステージを上げているのだ、ということを自分に言い聞かせておいてください。
 私たちは、嫌な人と出会うたび、そして嫌なことに出会うたび、人や出来事を通してますます「愛一元」に近づいていくのです。
 いいえ、本当は愛そのものである、自分自身に還っているのです。
」(p.33)

ここまで読んだだけで、私はすっかりはせくらさんの虜になりました。なんて本質的に理解されてる方なのでしょう。

だから何が起ころうとも、安心していればいいのですね。


それがだんだん、自己の生きがいや、なぜ今自分はここにいるのだろう? 自分の使命とは何だろう? などについて意識するようになり、自己認識の境界線が少しずつ他に向かって開かれていくうちに、脳波ではアルファー波が多く出るようになります。
 すると、私と私以外という分離のドラマのみで生きていた領域から、次第に統合へ向けての歩みが始まるのです。
」(p.38 - 39)

はせくらさんは、脳波の状態がガンマ波ベータ波という状態だと、恨みや怒り、執着といったネガティブなことに支配されていると言います。それが、アルファー波シータ波といったゆったりした波になっていくと、リラックスや安心、瞑想というポジティブな意識になっていくと説明しています。

そして日常的にどういう脳波が多いかによって、自分の進化成長の度合いがわかるということのようです。

このときふと思い浮かんだのは、レイキをやっているときに眠くなることです。シータ波は寝入りばなに多く現れる脳波で、デルタ波は深い睡眠状態です。つまりレイキをやっているときは、脳波はゆったりした波形になっているのではないかと感じたのです。

ボーっとしているとレイキがよく出ると言います。私はレイキをすると眠くなり、あくびが出てきます。他にもそういう方がいます。レイキと脳波の関係性は、もしわかれば調べてみたいですね。


このように、シータ・デルタ波を出している状態が暮らしの中心になってくると(自動車の運転中はやめたほうがいいでしょうが)、不安という不安がなくなり、何をやってもやらなくても、毎日が穏やかで楽しい日々になってくるのです。
 思ったものがすぐに叶うようになり、嫌な人や嫌なことがほとんど見つからなくなってくるか、たとえあったとしてもあまり気にならなくなってきます。
」(p.42)

実は、これが私たち、神の分け御霊(みたま)として肉体を宿った神である人間本来の姿です。ですので、ポイントはいかに意識をシフトさせていくかということです。
(中略)
 一番大切なことは、個々における日々の実践であり、いかに瞬間瞬間、怖れではなく愛を選んで生きるかということです。それを身口意すべてのレベルにおいて表すのです。」(p.44)

「身口意(しんくい)」とは、仏教語で行為・言葉・思考を表すものです。「神との対話」でも、思考、言葉、行為は3つの創造ツールだとありますが、私たちはこの3つをどう使うかが重要なのでしょう。

はせくらさんはこの3つで、怖れではなく愛を選択するようにと言います。これもまさに「神との対話」で語られていることですね。


もし、何らかのスイッチが押されて、過去生にまつわる記憶が蘇った際には、ぜひともそれを裁くことなく、とらわれや執着に走ることもなく、ただそのまますっぽりと愛を送り、抱きしめてあげてほしいと思います。」(p.52)

過去生がどうだったかなど、本来知る必要もないのだと言います。それでもたまに記憶が蘇るなら、それに執着するのではなく、ただわかってあげるだけでよいと言います。

こういうところが、あさりみちこさんとは違うところです。私は、はせくらさんの考え方を支持します。


はせくらさん自身は、過去生を知る体験があるそうです。そうした経験によって、次のことがわかったと言います。

◎何をしたかではなく、「どのような気持ちだったか」を問われているのだということ。つまり、実績や成果より、志向、感情の質のほうがより大切だったということ。
◎それぞれの生を通して、「愛をどのくらい放ったか」という「愛」が根本テーマのようである。
◎過去生が蘇ることで、その当時の生がクリーニングされる(浄化され、光に還っていく)と同時に、新しい選択、潜在的可能性を表に表出させていくという意味もある。
」(p.58 - 59)

ホ・オポノポノでは、出来事は記憶だからクリーニングするように言います。

はせくらさんもまた、過去生の記憶もクリーニングされるために表出したと言います。すべてが愛に向けて成長するためなのだと。


こうした「愛」の姿を、物理次元で学び、体現していく星、それが地球なのです。
 地球は愛を学ぶ学校です。
」(p.87)

「神との対話」では、人生は学校ではないと言います。それは、私たちは本来、すべてを知っているから。はせくらさんも、そのことはわかった上で、思い出していく過程のことを「学ぶ」と表現されたのだと思います。


私たちは自ら思ったものが、現れていくということを知るために、自由意志というものを与えられました。
 この自由意志を通して、私たちは何でも創造することが可能になったのです。つまり、思いは創造するということです。
」(p.91)

私たちの本質はスピリットです。
 このスピリットにおける自己のことをスピリットセルフとか、超意識、神、魂、大我、真我、いのち、神性、仏性、愛といったあらゆる名前で呼んできました。
 けれども、このままでは自らを味わうことができないので、自らの分身を作り、その中に入って味わうことにしたのです。そうしてできたのが、森羅万象としてある物質であり、とりわけ地球においての最高傑作が、私たち−−ヒト(霊止)でした。
 なので、自らの持つ資質である、創造するという属性を、ヒトにそのまま与えたのでした。
」(p.99 - 100)

初めて霊止(ひと)が生まれて、しばらくの間は、そのことをしっかりと知っていての冒険の旅でした。
 けれどもそれでは飽き足らず、もっと面白い冒険の旅に出ることを思いついたのです。
 それは、自分自身の姿を忘れてしまうというものでした。
」(p.101)

それは分離の幻想の冒険であり、壮大なゲームでした。
 そのゲームが終わる合図は、再び自らの本質であるスピリットを己が内から見つけ出したときです。
 そうして今度は、あらゆるものの中にある我の分身を見つけ、再びつなぎ合わせて、元ある一つに還るのです。
」(p.102)

ここまで、完全に「神との対話」で語られていることと同じですね。私たちの本質は「ひとつのもの」であり、それが自らを体験的に知るためにこの世を創ったのです。

最後の、「スピリットを己が内から見つけ出したとき」を読んだとき、ちょっとゾクッとしました。

「かごめの歌」を思い出したからです。「後ろの正面」にいるのはスピリット。それを内に見つけたとき、私たちは覚醒するのかもしれません。


しかし、ここで強調したいのは、どの振動数の地球の住人になるかについて優劣を競ったり、批判したりするのは、きわめてナンセンスであり、低次の自我(エゴ)の甘いささやきであることを忘れていはなりません。

 卒業する自由も、卒業しない自由もあるのです。
 けれどもやがて皆、卒業していく世界なのです。
」(p.106)

これはパラレルワールドについて語ったあとの部分です。アセンションによって、これからますます高いバイブレーションの地球と、低いバイブレーションの地球に分かれていくと言います。バシャールもそう言っていますね。

けれども、どっちが良くて、どっちが悪いという問題ではないと、はせくらさんは明言しています。こういうところも、さすがだなあと思うのです。

そうでないスピリチュアル系の人は、だから今何とかしないと高いバイブレーションの地球号に乗れなくなってしまいますよ、と不安をあおります。

不安をあおるということは、愛ではありませんよね。それに、自分だけが救われれば、それでいいのですか?そもそも、そういう仕組はおかしいと思いませんか?だって、この世の本質は愛なのですから。

私は理屈で考えるのですが、本質が愛であるなら、はせくらさんの考え方がスジが通っていると思うのです。


では、そのカルマのプログラムを作動させないで、この世界を存分に楽しむにはどうしたらよいでしょうか?
 答えはカルマを必要としない時空まで、時空間ジャンプ(次元間ジャンプを含む)をしてしまえばよいのです。
 でもどうやったらジャンプできるのでしょうか?
 それを一言で表すなら、「愛を選んで、エゴを減らし、今を生きる」を実践するということです。
」(p.108)

カルマによらなくても、この世での経験を楽しむ方法。それが「愛に生きる」ということなのですね。まさに「神との対話」で示されている指針です。


「私」とは、肉体ではなく、感情でも、思考でもなく、起こる出来事でもありません。
 「私」とは、それを見ている意識なのです。
 これが「いのち」の正体です。
」(p.114)

この本当の「私」の考え方は、阿部敏郎さんの考えに通じるものがあると思いました。思考はマインドで起こるものです。マインドは雲のようなものですから、その背後にある青空こそが本当の「私」なのですね。


本当は、罪も悪も存在してはいません。
 それは人の心がつくったもので、神(いのち)がつくったものではないのです。
 裁くのは自分の心(エゴさん)が裁くのであって、「いのち」は決して裁きません。
 罪人はいず、悪人もいません。
 制限を設けず、限界もありません。
 すべては体験であり、経験であり、それはさらによくなるための、成長の機会なのです。
」(p.120)

ここも「神との対話」で語られている通りです。善悪は人が決めるもの。神は何も決めないし、人が悪と呼ぶものさえ愛すると言っています。なぜなら、それがあるから進化成長できるからです。

したがって、「罪悪感」などというものも、不要なものなのですね。


生きるということは選択の連続です。
 何を食べるか? どこに行くか? 誰と過ごすか? 何をするか?……
 小さなことから大きなことまで、瞬間瞬間、あなたの選択が、次のステージの波模様を引き寄せているのです。
 自分が選ぶ選択を、恐れをベースにするか、それとも愛をベースにするかで、現れる量子場とその質がガラッと変わってくるのです。そうして、起こる現実、現象が変わってきます。
」(p.123)

「神との対話」でも、究極的にはすべてが「愛」か「不安」かに分かれると言います。「愛」を動機とするのか、「不安」を動機とするのかによって、私たちは現実を創造し、その場で体験するのだと。

「不安」とは「恐れ(怖れ)」のことです。ですから、はせくらさんもまったく同じことを言われています。


はせくらさんは、子どもの頃から他の人とは違う感性を持っていたようです。それを使わないようにしてきたものの、様々なことがあって、今は使うようになったのだとか。

おそらく、そういうことによって、私たちに真実を伝えるラッパとしての役目を果たされているのだと思います。

はせくらさんのことを、もっと知りたくなりました。

カルマからの卒業
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:48 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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