2015年02月27日

自分の運命に楯を突け



1970年の大阪万博の「太陽の塔」や、「芸術は爆発だ!」というセリフのCMなどで有名だった、岡本太郎氏の本を読みました。

明治44年生まれの方なのですね。1996年に亡くなられています。

太郎氏は、戦前の青年時代をフランスで過ごしています。当時としては、実にモダンな生き方です。

それというのも、やはり両親の影響が大きいでしょう。父親は漫画家の岡本一平氏で、母親は作家の岡本かの子氏です。

生家は現在の川崎市高津区二子にあります。実は私、その近くの新聞販売所で新聞奨学生として働いていたので、岡本氏の生家の前は、よく通っていました。配達区域内にあったのです。

岡本かの子氏は自由奔放な性格で、愛人を家に招き入れて3人で夫婦生活を送るという、三人婚をしたことでも有名です。

そういう両親ですから、太郎氏が個性的なこともわかる気がします。


どうして今になって岡本太郎氏の本を読む気になったかと言うと、本田健さんが推奨されていたからです。

健さんから勧められて、読まないという選択肢はありませんからね。

読んだ感想は、やはり「すごい!」のひと言です。さすがに健さんが勧めるだけの本だと思いました。


では、一部を引用しながら、本を紹介しましょう。

生きがいは自分の運命と闘うことだ。
(中略)
 生きることは寂しい。
 おもしろいじゃないか。ならばオレはやってやろうと思えば、自然と生きがいが湧いてくる。キミもそういうふうに発想を変えてみたらどうだい。
 寂しいということは生きがいを見つける素晴らしいきっかけであり、エネルギーだと思えば、勇気が湧いてくるだろう。
」(p.11)

人間の世界は絶望的だ。
 でも、だからダメだと考えず、その絶望のなかに生きることこそがおもしろいと思って生きる以外にない。それがほんとうの生きがいになる。ただ悲しがっていたって仕方がないからね。
」(p.12)

いきなりガーン!と頭を叩かれるような言葉です。寂しいからこそ面白い。ネガティブだからこそ、ポジティブになれる。発想を変えれば良いのです。

なおこの本は、「週刊プレーボーイ」(集英社)に1979年から1981年にかけて連載された「にらめっこ問答」という人生相談をベースに再構成したものです。

そのため、その雑誌の読者、つまり主に男性の若者からの相談に答えるような書き方になっています。


自分に能力がないなんて決めて、引っこんでしまってはダメだ。なければなおいい、いままで世の中で能力とか才能なんて思われていたものを超えた、決意の凄みを見せてやるというつもりでやればいいんだよ。」(p.14 - 15)

自信とは得意になることじゃない。むしろ悲劇的になることだ。
 ぼくはいつでも自分を悲劇的な状況に追いこんで生きている。だから、俗にいう自信なんてものはもっちゃいない。自分が置かれた状況は不当だし、それに対して闘わなければならないと思っている。だからこそ喜びを感じるんだ。
 もしぼくが自信満々に見えるとしたら、それは、強烈にみじめな状況にいる自分をみじめだと思わず、喜びを感じて生きているからだよ。
」(p.18)

人間の一生がみじめであるなら、だからこそ生きよう、とことんまで自分自身に挑んで。
 それがぼくの信仰だ。
」(p.19)

”マイナスをプラスと考えよう”と言ってるんじゃないよ。マイナスこそ、イコール、プラスであると考えているんだ。そうでなければ、人間は生まれてきた意味がないじゃないか。
 自分に才能があるとかないとか、世間的に評判がいいとか悪いとか成功したとかしないとか、うじうじと考える必要はない。すべてのマイナスをプラスの面でつらぬけば、マイナスだと思っているものがプラスに転換するんだ。
」(p.20)

自分に能力があるかどうかは、どうでもよいことだと言います。それより、やろうという強い意思があるかどうかが重要だと。

そういう意思があれば、逆境こそがチャンスなのですね。


人の目を意識するのは、自分自身のなかにコンプレックスがあることが多い。そのコンプレックスが、”人の目”になっているんだ。
 そういうときは、自分のケチくさいコンプレックスを、コンプレックスとしてはっきり見据えるようにすればいい。切り捨ててしまえばいいんだよ。自分はこうやると失敗するかもしれない。それなら失敗したらおもしろいじゃないかと思って、失敗のほうに自分の運命を賭けてみるんだ。
」(p.23)

失敗をしでかしたら、”あ、またやってしまった”と思えばいい。どうして自分はこうなんだろうと悩まずに、またやってしまったけど、よし、今度はもっとうまくやろうと前向きに考える。」(p.25)

世間で言う成功が、必ずしも良いことではないと発想を変えてみるのです。他人が成功を望むのなら、自分は失敗を目指そう。この発想は、太郎氏ならではのものですね。

でも実際、成功者と言われる人は、多数の失敗を繰り返しています。失敗から学んでいるのです。


もし自分がヘマだったら”ああ、オレはヘマだな”と思えばいい。もし弱い人間だったら”ああ弱いんだなあ”でいいじゃないか。
 弱いからダメだとか、どうしてこう弱いんだろうと嘆いて、自分自身を責めることで慰め、ごまかしている奴が多いんだ。そういうのは甘えだよ。
 もっと平気で、自分自身と対決するんだ。
」(p.27)

ありのままの自分を受け入れるというのは、要はこういうことなんですね。

ヘマならヘマ、弱いなら弱い。これは事実ですから、そのまま受け入れるのです。そこに「ダメだ」という勝手な解釈をしてへこむ人が多いのです。

勝手な解釈をせずに、事実と向き合えと太郎氏は言います。


一本スジが通った人間は、自分をごまかしたり、時代にあわせて妥協したりしない。自分の生き方をつらぬくためには、他人の目なんかいっさい気にしない。
 この規制された社会のなかでそういう生き方をすれば、迫害を受けるだろうし、つらいイヤな思いもする。そんなことは覚悟のうえで生きていく人間が、ほんとうのスジを通している人間だ。
」(p.31)

太郎氏は子どもの頃から自分を通したため、学校の先生にもしたがわなかったようです。そのために何度も転校を繰り返したとか。

自分として生きるということは、「つらいイヤな思い」を受け入れる覚悟が必要なのでしょう。


たとえば、自分自身の存在なんてなんでもない、無だ、という考えと、自分という存在こそ宇宙全体だという信念。それが両方とも絶対感なんだ。心のなかでからみあう。
 人生、ほんとうに”ある””ない”という矛盾の裂け目に生きている。だから一方だけにこだわっては意味ないんだよ。
」(p.38)

自分の全身を賭けて失敗したら、それでもいいじゃないか。
 こんな世の中なんだから失敗したほうがおもしろい、と思えば、成功しなくてもニッコリして平気で生きることができるだろ?
」(p.39)

「失敗=ダメ」みたいな決め付けをしないことです。「かくあるべし」という考えに執着するから苦しくなるし、それは絶対的なことではないのです。


誤解するなら、してみろ!
 誤解こそ運命の飾りだと思って、己れをつらぬいて生きてみればいい。
 無条件に己れをぶつけて挑んでいけば、限界なんてないんだよ。
」(p.41)

いちばんおもしろい人生とは、”苦しい人生に挑み、闘い、そして素晴らしく耐えること”。逆境にあればあるほど、おもしろい人生なんだ。
 逆にうまくやろうとか、要領よく生きてやろうと考えると、人生はつまらなくなる。自分で自分の運命を賭ける、なま身で生きることが、ほんとうの人生なんだよ。
」(p.47)

世間に媚びて、他人の価値観に合わせようとしたり、理解してもらおうと自分を曲げると、面白い人生にはならないと言います。それでは自分として生きたことにはならないのだと。


計算ずくでやらない、結果をもとめないのが”無償”。無償とは無目的にただひたすらに生きる情熱だ。
 自分だけが生きていればいいとか、自分だけがうまくいけばいいというんじゃない。自分が燃えあがることで世界全体が燃えあがるんだという絶対感が、無償であるということ。
」(p.58)

つまり「結果にこだわらない」ということですね。それよりも、やることそのものに情熱を燃やす。その自分の情熱が宇宙全体につながっている、という信念を持つことなのです。


人間はその数だけ、それぞれ、その姿のまま誇らしくなければならない。
 教育とは、そういう人間の喜びを開発し、自覚させるのが目的であり役割であるべきなんだ。ところがいまの教育は、順位をつけることが”道徳的基準”になっている。学校の成績のいい者が人間の価値であるかのように、小さい頃から教えこんでいる。
」(p.70 - 71)

いまのように、一番はエラくてビリは駄目、勝利者は英雄で負けた者はクズ、成功者は尊敬されて失敗者はふんずけられる、という基準をみんなが信じている限り、だれもがなんらかのコンプレックスに悩まされ、惨めになってしまうんだよ。たとえいま勝っている者、成功している者でも、いつ落っこちるか、自分より強い者がいつ現れるか、不安でいつもビクビクしているわけだからね。
 そういうモラルを引っくりかえさなければならないんだ。それにはぼくがいつも言うように、負けた者こそバンザーイと大いに胸を張ってにっこりする、これだよ。成績のいい者が偉いなんて、そんな評価を許すのは現代の教育制度そのものがまちがっているんで、それに対して批判的になればいい。
」(p.73)

たしかに今の教育の問題点はここにあると思います。学ぶことを喜ぶようにする教育でも、ありのままの自分を素晴らしいと受け入れるようになる教育でもありません。

どれだけよく覚えたか、計算できるか、先生が意図した答を導き出せるかを競わせ、それに順位をつけているのです。競争して上位にいかなければ価値がないと信じさせる。

そんな教育をずっとやっているのです。それで良いのでしょうか?


ぼくは、純粋に自分の生き方をつらぬいて生きていきたいと思った。
 目的をもたないことが”ぼくの目的”だった。限定された目的なんかもちたくない。いつも目的を超えて平気でいる。そこから自分がひらけていく。
」(p.94)

目的にすら縛られず、自由に、奔放に生きようとした太郎氏の、生き方の真骨頂です。


人間はさまざまな要素、深みがあるから、感動する文学作品はいっぱいある。少しでも多くの本を読んで、キミ自身、感動する作品を発見すべきだ。感動したとき、それはキミの血肉となってそのときからキミ自身のものになる。
 文学にしてもそのほかの芸術にしても、いちばん大切なのは、キミが感動するものを発見し、めぐり合うこと。いたずらに高名な文学者や芸術家の名前にこだわって作品を選ぶことはない。
」(p.104)

価値観は人それぞれですから、自分の体験にしたがうことが重要なのですね。他人の価値観に合わせようとすれば、自分自身を見失いますから。


ぼくは他人に媚びたり好かれたりしようとして絵は描かない。むしろ好かれないことを前提に絵を描いている。そのほうが芸術家の生き方として、はるかに本物だと思っている。」(p.145)

いまでもこの信念は変わらない。たくさんの人は”岡本の言うような芸術運動をやったら絵は絶対に売れないだろうし、生きていけなくなる。ほかの職業をさがさなくてはならなくなる”と言った。でもぼくは”いや、死んでもいい。それでも自分のスジをつらぬく”と言って生きてきた。」(p.146)

だが絵にしろ彫刻にしろ、文章でもテレビでも、それを売って食うためにやるなんてことはむなしいと思う。ぼくはあらゆることをやるけれど、職業じゃない。人間として言いたいことを言う、やりたいことをやる。収入はそれについてくることもあるし、こないこともある。勝手にしやがれだ。」(p.147)

いままで何回も言ってきたことだが、ぼくは人に好かれない絵を描いてきた。好かれない絵は売れない。売れなければ食っていけない。食っていけなければ死んでしまう。つまり社会に殺されるわけだ。自分のスジをつらぬけば殺されてしまう。
 ぼくはそのほうがスジだと言うんだ。これはやさしさではできないよ。
」(p.198)

ここまで達観できたら、たしかに素晴らしいでしょうね。芸術に生きるなら、自分らしく生きるなら、それで死んでも本望だと。だからこそ人生は、闘いなのでしょう。

人に見られたいという意識があまりに強すぎるんだ。それが逆に個性を殺してしまっている。」(p.155)

他人に良く思われるということは、他人の価値観に合わせること。個性が死んで当然です。太郎氏は、その真逆の生き方を選んだのですね。


きみたちが憧れている、ほんとうにやってみたいのは”手づくり”じゃなくて”心でつくる”ことなんだ。そうでなきゃ意味がないとぼくは言いたいね。
 なにか、全身をこめ、自分自身をためして無条件につくりたい。既成品として外から与えられるものばかりではむなしい。自身のもの−−まさに心そのものの表現なんだよ。つまり己れを「自由」に還元することなんだ。

(中略)
 だから平気でやってごらん。”下手くそだなあ”と見とれて、にっこり笑えばいい。ほとんどの人が生きるよろこびを見失っている今日だけど、真の自己を発見する、ひとつのうれしい方法だよ。」(p.182 - 183)

私たちが何かを作ろうとするとき、職人芸のマネをして、上手に作ろう、きれいにつくろうとしてしまいます。それが間違っていると、太郎氏は指摘しています。

押し付けられる既成品ではなく、自分のための、自分が表現した何か。それを作って楽しんだらいいと言うのです。

下手なりに、平気でつくればいい。字だってそうだ。
 字を書くときは、うまく書かなければいけないなんて考えずに、絵でも描いているつもりで自由に筆を走らせる、のびのびと。この気持ちが大切なんだ。その文字が読める字になっても、読めない字になってもかまわない。
 人にわかってもらおうとか、きれいな字を書こうとしてていねいに書く必要はない。手先でうまく書こうとすると、逆に字は死んでしまう。下手ならば下手なほどいいと思えばいいんだ。いい書のなかにはたしかにうまい字もあるけども、型通りでないのがほんとうに生きているんだよ。
」(p.184 - 185)

太郎氏も数々の書を残していますが、まさに絵を描いたような書です。

人からどう思われるかなど気にせず、自分のすべてをその書に表現する。そういうつもりで書いていると、生き生きした作品になるのですね。


凡人であろうとなかろうと、自分は自分だと思えばいい。人生はだれでも孤独なんだ。この広い世界にたったひとりで生きている、というキビシさを自覚しなければダメだ。自分は凡人で一般の人と同じだと思うから、自分自身がなくなってしまうんだよ。
 自分をかつてなかったユニークな存在にしてみようと思えばいいじゃないか。だれでもがやるようなことはしないで、キミがほんとうにやりたいことを精一杯やれば、ただの凡人でなくなる。
」(p.202)

一流だから知りたい、好きになりたいなんていうさもしい根性をもたずに、自分のほんとうに感動する人間を探し、つかまえるんだ。その発見をポイントに世の中全体にその価値を認めさせるように、キミ自身、力を尽くせばいい。そうすると世界が変わってくるよ。無責任に世間が一流と決めたものを追っかけまわすより、そのほうがずっと意味がある。」(p.204)

世間が認めた一流というのも、単に他人の価値観です。太郎氏は、ゴッホは生前、1枚も絵が売れなかったことを指摘します。世間はゴッホを、一流と見抜けなかったのです。

だからこそ、そういう世間一般の生き方ではなく、自分らしい生き方をせよと言います。自分が体感したものを、逆に世間に認めさせようとするぐらいでいいと。


自由奔放で個性的だった岡本太郎氏ですが、けしてわがままで自分勝手だったわけではないと、この本を読んでわかりました。

そして、私も太郎氏のように、自分らしく生きたいと思いました。

自分の運命に盾を突け
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:18 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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