新聞広告を見て、ちょっと気になったので買ってみました。川口マーン惠美さんの本で、大ベストセラーになった本だそうです。
広告を見た感じでは良さそうだったので、似たようなタイトルの最新作も一緒に注文しました。
それが「住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち」という本です。
両方を読み終えたところですが、率直に言えば、タイトルは売らんかな精神によってつけられたもので、本の中身とはまったく関係ありません。
強いて言うなら、著者の川口さんが、日本が大好きだと思っているだけのことです。
私はタイ・バンコクに13年住んでおり、その異文化の中で暮らすことで、日本を見つめ直せたという思いがあります。
そういう意味で、おそらくこの本も、同じように外国に行った日本人としての視点を示してくれるだろうと期待していました。
その期待に対するものは、十分にあると思います。なので、ここに紹介しようと思ったのです。
けれども、タイトルにあるようにどっちが良いかなどは、人それぞれの判断です。おそらくドイツ人なら、ドイツが一番だと考える人が多いと思いますよ。
読者のレビューでも、このタイトルに対する疑問はかなりあったようで、中には6勝4敗くらいだと感じたという意見も。
そういったことがあると知った上でなら、この本を読む価値も出てくるのではないかと思います。
少し引用しながら紹介しましょう。
「生活が根付いてしまった土地から住人を追い出すことは、もう一度戦争でも起こさない限り、不可能である。
(中略)
しかし、自国と関わりのない領土問題ほど、他国にとって興味の湧きにくい問題もない。どのみち、利害も思い入れもない、遥か遠いところの紛争なのだ。イスラエルとパレスチナの領土問題でさえ、傍観者は歴史的検証に深入りすることなく、「きっと、どっちもどっちなのだろう」と無責任に思っていたりする。
(中略)
ただ、確かなことは、領土問題というのは実効支配した者が勝つということだ。そして、実効支配にはそれを裏づける軍事力が必要だということ。これだけは、いろいろな歴史が証明している。」(p.33)
冒頭からいきなり、川口さんが尖閣諸島を訪れる場面の描写から始まります。そこでまず、タイトルとの違和感を感じます。
おそらく川口さんは、いわゆる保守的な人間なのでしょう。
だから日本が大好きで、川口さんの目から見れば、日本は素晴らしいのです。その日本が近隣諸国との間で、理不尽な対応を受けていることが、気にいらないのだと思います。
ただ、ここで川口さんが指摘していることは、専門家からすれば常識でしょう。
それを常識と認めないマスコミの論調に影響を受けた一般庶民にとっては、受け入れ難いことかもしれません。
けれども、やはり実効支配され、住民の世代を超えた生活が根付いた北方領土を日本に取り戻すことは、不可能と考えるのが妥当です。
強いて言うなら、2島返還を受け入れていれば、あのときなら返還される可能性があったとも言えます。
正義は人の数ほどあり、また主権は国家にあるのですから、国際司法裁判所で決着なんて理想論には、現実味がありません。
竹島もまた韓国に実効支配されていて、住民こそいませんが、これも取り戻すのは至難の業でしょう。
どれほど正義が日本にあると主張しても、他国からすればどうでもよい話なのです。どうでもよいことなら、自国に利益を与えてくれる方につくだけです。
残念ながら、これが現実だと思います。
「ちなみに、ドイツは、アメリカとロシアに次ぐ世界第三位の武器の輸出大国どいう顔も持っているのだ。
(中略)
しかし、だからといって、ドイツがタカ派の国というわけではない。国民の考えはリベラルで、保守勢力はどんどん弱まりつつある。二〇一一年からは徴兵制も停止され、連邦軍は職業軍人と志願兵だけになった。平和主義者の多い国だから、軍国主義に傾くことは、まずありえない。
ただ、それでも、軍事力の後ろ盾がなければ、世界での発言権を失うであろうという肝心要のところだけは承知しているのだ。」(p.35)
これはドイツがどうのこうのと言うより、専門家ならば当然の答えでしょう。力の均衡が崩れれば、そこに武力衝突が起こるのです。
もちろんその前提には、利害関係があるわけですけどね。利害関係がなければ、力の均衡も無意味です。
日本では、いまだに一国平和主義を理想とする人がいますが、そういう人は、自ら外交をやってみればよいと思います。
外交でどうにかなると言うなら、自分がやってみせることです。自分がやらずに、政治家がダメだとか、官僚がダメだと批判・非難するのは、お門違いというものです。
少なくとも外交官にまでなる人は、それなりに頭がいいのです。そういう人でも完璧ではありません。ですから、ダメな面があっても当然で、それを批判・非難するのであれば、「そういう自分は立派なのですか?」と、自らに問うことだと思います。
そして、外交では難しいことがあると結論するなら、力の均衡を保った上でなければ、外交の出番もないとわかると思います。
もちろん、「いや、領土なんてほしい国にいくらでもあげたらいいんだよ。人の命は、それ以上に重いのだから。」という価値観もありです。「尖閣諸島も対馬も、場合によっては沖縄も、九州さえも、ほしいと言われたら喧嘩をせずにあげてしまおう。」そういう考え方があってもOKです。
ですからそういう人は、他国が攻めてきたら、みんなで逃げましょうと主張すべきです。あるいは、諸手を上げて捕虜でも奴隷でもなりましょうと。
そして、逃げるための手段を準備して、日頃から避難訓練をすべきでしょうね。そのために国家予算を使えと言うべきです。そうでなければ、多くの人を路頭に迷わすことになりかねません。「それでも良いのですか?」というだけの問題です。
「日本に住んでいる人はあまり気付かないかもしれないが、日本は、世界でも稀に見る格差のない社会である。
その第一の理由は、義務教育が充実していることだろう。初等教育の段階で不平等が起こると、それがいずれ貧富の差を作り、格差となり、ゆくゆくは社会不安を引き起こす。格差の有無は、実は義務教育の充実度で決まるのである。」(p.137)
これは、私がタイに暮らしていても実感します。日本で格差が広がったと騒いでいますが、タイの格差に比べれば、まったく平等と思えるくらいです。
そして、本当の格差とは、教育を受けられたかどうかで決まるというのも、よーくわかります。タイでの格差も、やはり小学校しか出てないか、中学校止まりか、などで決まります。
ただタイは、インドのカースト制のような格差はないので、子どもに教育を受けさせることができれば、這い上がることができます。そういう点では、タイの格差も大したことないとも言えます。
タイでは名目上、中学校まで義務教育であり、ほぼ100%の中学進学率です。ただこれは、地域の官僚が成績を上げるために、作り出している数字です。本当は中学に進学していないのに、入学だけはしたことにしているのです。
こういうタイの現状を知れば知るほど、日本はどれほど恵まれているかがわかります。
現在は廃校になった地方の小中学校が多数ありますが、あれは明治政府が、どんな僻地にも教育をと言って、全国津々浦々に学校を作ったからなのですね。
それほどまでして教育に力を入れたから、現在の平等な社会が作られたのだと思います。
「あまりに経済格差のある国で人の移動が始まると、どの国のためにもならない。
人の移動がプラスに働くためには、前提が整わなければいけないのだ。」(p.183)
移民の問題を抱えるヨーロッパでは、これは切実な問題です。
日本は、移民の受け入れを極力抑えています。難民の受け入れでさえ、ごくわずかです。そういう非人道的な姿勢に徹することで、日本人の利益が守られていることを知るべきでしょう。
そういうことを知らない人が、曽野綾子さんが書いた産経新聞のコラムを読んで激怒するのです。人種によって居住地を分けた方が良いとは何ごとかと。
曽野さんは、「分けた方が良い」と言っているのであって、「強制的に分けるべき」とは言っていません。
それなのに、まるでアパルトヘイトを礼賛しているかのように一方的にとらえ、曽野さんを批判・非難しています。
そういう人はまず、日本が難民の受け入れを拒んでいることを批判・非難してはどうでしょう?
そして、自分たちの居住区に積極的に難民の方々を呼んではどうでしょう。体験すれば、その大変さがわかります。ヨーロッパの人々の苦悩がわかると思います。
ただ、だからと言って、経済的格差がある国の人々を差別して良いわけではありません。それは川口さんも指摘しています。
言っているのは、かわいそうだからと言ってむやみに(何の策も立てずに)受け入れていると、大変なことになるという現実があるということです。
言葉や文化が違う人と一緒に暮らすとどういうことなのか、日本しか知らない人には想像もつかないでしょう。
だからこそ、こういう本を読むことにも意味があるのだと思います。

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