刑務所で受刑者の更生支援に関わっておられる岡本茂樹さんの本を読みました。
この本は、おそらく誰かの紹介だったと思うのですが、タイトルを見てピンと来ました。私が思っている通りの内容に違いないと感じたのです。
そして実際に読んでみると、まさにその通りでした。ずっと私が言いたくてたまらなかったことを、みごとに整理して語られています。
これはと感じた部分に青線を引きながら読んだのですが、ほぼ見開き2ページに1ヶ所は線が引かれている状態です。それだけ、「まさにその通り!」と膝を打ちながら読んだことがわかります。
線を引いた場所があまりに多いのと、重複した内容も多いので、少し抜粋して気になった部分を引用しましょう。
「重要なのは、問題行動が起きたとき、厳しく反省させればさせるほど、その人は後々大きな問題を起こす可能性が高まるということです。」(p.5)
「反省させようとする方法が受刑者をさらに悪くさせ、反省させない方法が本当の反省をもたらすのです。」(p.6)
「受刑者との間に信頼関係をつくり、ちゃんとした手順を踏めば、彼らは更生への意欲を持ち始め、立ち直ることができます。その手順が、「反省させないこと」なのです。」(p.8)
「彼らを支援するなかで明らかになったことの一つは、問題を抱えた人は、幼少期の頃から親に自分の言い分を聞いてもらえず、言いたいことを言おうものなら、すぐさま親から「甘えるな」「口答えするな」と反省させられ、否定的な感情を心のなかに深く抑圧していることです。したがって、否定的感情を外に出すことが、心の病を持った人の「回復する出発点」と考えるようになりました。」(p.9)
これらは「まえがき」に書かれていますが、これが本書の結論です。重要なポイントは、すでに上記の引用文にすべて書かれています。
ただ、これだけだとわかりにくいでしょうから、本文からもいくつか引用してみましょう。
「事件の発覚直後に反省すること自体が、人間の心理として不自然なのです。」(p.25 - 26)
つまり人間は、何か自分がやったことがバレたとき、最初に「後悔」すると言うんですね。「反省」ではなく、「なんでこんなことやっちゃったんだろう」という思いです。
そうして行き着くのは、そうせざるを得なかった自分を弁護することです。「あいつがああしたから悪いんだ」など、だいたいは他者に原因を求めます。反省とは真逆の考えです。
それなのに、メディアをはじめとして多くの人は、すぐさま反省しているかどうかを重要視します。「人は悪いことをしたら反省することが当たり前」という考えが刷り込まれているからだと岡本さんは言います。
「こうした心理的な事実が明白にあるにもかかわらず、今の日本の裁判では、「反省していること」が量刑に影響を与えるのはなぜなのか私には理解できません。大半の被告人は裁判でウソをつくのです。」(p.32)
これは私も同感です。ホリエモンも言っていました。真実だから強硬に主張したら、反省が足りないと言われて刑が重くなったと。裁判は、真実を明らかにする仕組になっていないのです。
「被害者に対して、これも本当に身勝手な理屈ではありますが、彼らなりの殺さなければならないほどの「大きな理由」があったから殺害に及んだのです。そこには、殺害するだけの否定的感情があるわけです。」(p.37)
誰しも、その人の価値観において間違ったことはしない。そう「神との対話」でも言っています。「盗人にも三分の理」と古くから言われている通りです。
「心のなかにたまった否定的感情は、それが解放されないかぎり、いつまでもその人の心のなかに残り続け、その人の心を苦しめるばかりか人生さえ生き辛いものにさせます。」
「したがって、不満があるのであれば、受刑者の不満を取り除くことから始めないといけません。そのためには、受刑者がどんな不満や怒りなどの否定的感情をもっているのかを知る必要があります。そこから始めないと、本当の意味での更生に至る第一歩は始まりません。」(p.40)
悪いことを悪いことだと知れば、それで行動が改まるわけではないのです。人は理屈ではなく、感情で動くのですから。
「神との対話」でも、抑圧された感情はグロテスクなものになると指摘し、感情を表すことが重要だと言っています。
感情的に心の問題を解決しない限り、本当の意味では何も解決しません。再犯を防止するとか、犯罪をなくすことを目的とするなら、すべての人の感情の問題と向き合わなければならないと思います。
「繰り返しますが、子どもの問題行動はチャンスなのです。親は、なぜ子どもが問題行動を起こしたのかを考える機会を与えられたと考えるべきです。」(p.50)
問題が起きたら、それをチャンスだと考える。福島正伸さんも、良く生きるための考え方として推奨されていますが、こういうところにも適用されるのですね。でも、まさにその通りだと思います。
「私たちは、問題行動を起こした者に対して、「相手や周囲の者の気持ちも考えろ」と言って叱責しがちですが、最初の段階では「なぜそんなことをしたのか、自分の内面を考えてみよう」と促すべきです。問題行動を起こしたときこそ、自分のことを考えるチャンスを与えるべきです。周囲の迷惑を考えさせて反省させる方法は、そのチャンスを奪います。」(p.76)
子どもの問題行動が親にとってのチャンスなら、問題を起こした本人にとっても、それはチャンスです。問題は自分の観念に気づくチャンスだと、バシャールも言っていますね。
「まじめに務めることは、自分の思いや感情を誰にも言わないで、抑圧することになります。それが長く続けば続くほど、抑圧は大きなものとなります。」(p.94)
これは受刑者だけのことではありません。いわゆる大人の言うことをよく聞くまじめな「良い子」の問題です。
最近は心理学や子育ての分野でも、いわゆる「良い子」が危ないと言われるようになりました。けれども子どもだけの問題ではなく、大人になってからも、感情を抑圧すれば同じことなのです。
「ロールレタリングは、自分の心のなかにため込んでいた嫌な思いや感情を思い切り吐き出すところに最大の効果があるのです。したがって、私は、往復の手紙ではなく、「自分から相手へ」の形でロールレタリングを書き進めることが有効であると考えています。」(p.106)
ロールレタリングというのは、30年くらい前に少年院で生まれた手法だそうです。自分の思いを正直に手紙にして書くことによって、感情が発散するんですね。
そういえば、以前読んだ本に書かれていたエピソードですが、アメリカ大統領のリンカーンは、南北戦争中に前線の将軍に対して、その無能ぶりを酷評する手紙を何通も書いたそうです。ただし、それらは投函されなかったとか。リンカーンは、手紙を書くことで感情を発散させていたのでしょう。
ロールレタリングは、抑圧された自分の感情を表現して発散させる優れた手法だと思います。
「「被害者の視点」ではなく、「加害者の視点」から始める方が、一見遠回りのように思えて、実は本当の更生への道に至る近道なのです。
受刑者は、例外なく、不遇な環境のなかで育っています。親からの虐待、両親の離婚、いじめの経験、貧困など、例を挙げればキリがありません。受刑者は、親(あるいは養育者)から「大切にされた経験」がほとんどありません。そういう意味では、彼らは確かに加害者ではありますが、「被害者」の側面も有しているのです。」(p.119)
誰も理由なく悪いことはしません。本当にそう思うのなら、その理由をまず理解することが重要なのです。加害者の中の被害者の気持ちを理解しない限り、抑圧された感情は大きくなるばかりなのですから。
「幼少期から抱き続けてきた寂しさやストレスを克服するために、彼らは「男らしくあらねばならない」「負けてはいけない」といった価値観を持つことで、必要以上に自分を強く見せようとします。自分を強く見せることによって、他者に「認められること」で自分自身の愛情欲求の埋め合わせをするのです。他者から「男らしくて格好いい」と思われることは、満たされていない彼らの愛情を求める欲求の代償となっているのです。」(p.123)
「彼らは、孤独が怖いので、「居場所」を求めて、人と群れたがります。しかし、彼らが群れている場は、「居場所」ではなく「たまり場」にすぎません。居場所とは、本来「ありのままの自分」でいられる所です。弱い自分を出せて安心できる場所だからこそ居場所となるのです。」(p.124)
「一言で言うと、問題行動を起こす人は、「ありのままの自分」ではいけないというメッセージをたくさんもらった人ということになります。」(p.180)
「親の期待に応えられたら「いい子」で、期待に応えられなかったらダメな子。(中略)そもそも親の愛とは「無償の愛」でなければなりません。「無償の愛」のなかで育った子どもは「ありのままの自分」でいいと自分自身を受け入れることができます。「条件付きの愛」で育った子どもは、条件に応えられない時の自分を「ダメな人間」と思ってしまいます。問題行動の原点は「条件付きの愛」のなかで子どもが育ってきたことにあるのです。」(p.180 - 181)
犯罪の原因は、すべてここにあります。原因は、愛がないことです。「条件付きの愛」というのは、愛ではありません。愛は無条件だからです。
ありのままの自分を認めてもらえない(=愛されない)から、自分で自分を認められなく(=愛せない)なります。自己評価が下がるのです。それを補償しようとして、努力に努力を重ねますが、いつしか疲れてバーンアウトしてしまうのです。
「また、親が子どもの前では常に「親として、しっかりしないといけない」と思っていることも、後に子どもが問題を起こす原因になります。(中略)人間は皆、弱い生き物です。自分の弱さもダメな部分も欠点も、すべてありのままの自然な姿を見せられる親は、親自身が「ありのままの自分」を受け入れていることです。そして「ありのままの自分」を受け入れている親の子どもは「ありのままの自分」を受け入れられます。人は、自分がされたことを人にして返すものです。(中略)「ありのままの自分」でいいと思える子どもになってもらいたいと思うのなら、親が「ありのままの自分」でいればいいのです。」(p.182 - 183)
「ありのままの自分」でいられることを、自己受容と言います。野口嘉則さんも、このことの重要性を訴えておられます。
そしてここで重要なのは、親がそうだから子がそうなる、ということです。では、親はなぜそうなのかと言えば、その親がそうだったからなのです。こうして、精神的な遺伝とも言うべき、親子の連鎖が続くのです。
「人間関係を良くするために使いたい言葉は、「ありがとう」と「うれしい」の2つです。「当たり前のことではないか」と叱られそうですが、意外と使っていないのです。とくに夫婦関係や親子関係などでは、相手が「やってくれて当たり前」という考え方でいると、この2つの言葉が使えません。」(p.196)
「さらにいえば、当たり前のことにも、この2つの言葉を使うのです。たとえば、子どもが朝ちゃんと起きてきたら「今日も元気に起きてくれて、お母さんはうれしいわ」と言ってみるのです。究極の言い方をすると、子どもが生きていてくれるだけでも「ありがとう」「うれしい」と、ときどき言ってみるのです。
実は、「ありがとう」や「うれしい」という言葉が言えない人は、素直に他者に甘えられない人なのです。素直に他者に甘えられないということは、その人がそれまでの人生で他者に甘えられた経験に乏しいからです。」(p.197)
注意して欲しいのは、「えらい」と褒めることではない、ということです。「元気に起きてきてえらいね」ではダメなのです。それは、元気で起きてくることを評価しているからです。裏返せば、評価されない自分はダメということになります。その評価がプレッシャーになるのです。
「うれしい」や「ありがとう」は、自分の感情です。自分がどう思うかを伝えるだけだから、相手には負担がありません。相手の自由を奪わないのです。相手を自由にさせることは、愛なのです。
「実は、「怒り」の感情の奥底には、自分を受け入れてもらっていない(=愛されていない)「寂しさ・悲しさ」といった感情があるのです。とくに日本人は「寂しい」という感情を出すことが苦手なようです。寂しいという感情をうまく出せないと、怒りの感情に変わります。」(p.198 - 199)
野口嘉則さんも、怒りは第二感情だと言ってましたね。第一感情を無視したり抑圧しないことが、本当に重要なのです。
「以上に述べたことから考えると、「ありのままの自分」をうまく出せる人こそ「強い人」と言えるでしょう。「ありのままの自分」とは、泣きたいときには涙を流し、うれしいときには心から喜べる人です。平たく言えば、自分の感情に素直になれることです。泣きたいときに笑っている人は、強い人ではありません。強がっている人です。」(p.208)
強がるのは、強がらないと生きていけないと信じているからです。愛されないと思っているからです。
もう十分に愛されているという実感があれば、人は自分らしくない生き方をしようとは思いません。
「ただ、事実を見れば、日本の少年や成人による殺人事件の件数は、先進国のなかでは断トツに低く、一向に増加していません。言い方は悪いですが、日本人は「人を殺さないこと」で有名なのです。しかも日本は殺人未遂も殺人件数としてカウントしています。こうした事情があるにもかかわらず、刑罰は重くなる一方です。
(中略)基本的に、私は厳罰化の方向には反対です。理由は、重い罰を与えても人は良くならないどころか、悪くなるばかりだからです。」(p.213)
私も、岡本さんの意見に賛成です。いくら厳罰化しても犯罪はなくなりません。表面上の反省の上手さだけで量刑が左右される裁判制度も支持しません。服役後も、そこでの態度(=反省や従順さの度合い)によって仮釈放が早まる(刑期が短縮される)というのもナンセンスだと思います。
本書には、2006年から法律で、更生プログラムが実施されるようになったとありました。しかし、おそらく予算が限られていることもあり、人手不足のようです。また、全国的に統一されたプログラムもなく、ブラッシュアップの仕組もありません。
つまり受刑者は、ただ単につらい服役生活を、自分を押し殺して過ごすだけなのです。抑圧された感情を見直すチャンスも与えられずに。刑罰だからつらいのは仕方ないとしても、それでどうやって再犯を防止するのでしょう?今度はパクられないようにしようと、上手くやることを考えさせるだけではありませんか。
私たちは、犯罪者を社会から締め出し、切り捨てればそれで良い、と考えているのでしょうか?それで本当に、みんなが安心して暮らせる社会ができるのでしょうか?
この本は、日本の裁判制度や、受刑者の更生プログラムに、大きな一石を投じるものだと思います。
それと同時に、学校教育の現場や、家庭での子育てにも、大きな気づきを与えてくれるものになっていると確信します。
ぜひこの本を読んで、みんなで一緒に生きる社会のこと、子育てのこと、そして自分が生きることについて、考えていただけたらと思います。
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