2015年01月28日
不死のしくみ
別のセミナー参加者の方から、阿部敏郎さんの本を献本していただきました。1月の東京セミナーは、もらいものが多いセミナーでした。ありがとうございました。(喜)
阿部さんの本は、これまでにも「一瞬で幸せになる方法」、「降参のススメ」、「招き猫カワヒラくんが教えてくれた幸運の流れに乗る生き方」を紹介しています。
今回の本は、真理についてぐっと踏み込んだ内容となっています。
では、気になった部分をいくつか引用してみましょう。
「自分だと思ってしがみついていたものは、海というものの運動に過ぎなかったんだと。そしてその運動自体、ただの「動き」であり、実体でも何でもなかったんだと。
「生か死か」ではなく、「不死」ということです。
その時、ぼくたちは自分が宇宙そのもの、神そのものだったことを想い出します。」(p.5)
阿部さんは、「生死を超える覚醒(見性)体験」をしたとき、人は死ぬときに自分が波という現象ではなく、海だったと思い出す、ということを思ったそうです。
「ぼくたちはたったひとつの同じものからできています。
答えから先に言うと、ぼくはあなたであり、あなたはぼくです。ぼくもあなたもこの世に存在するすべてを含んでいます。だから自分がとてつもなく偉大な存在であり、とてつもなく価値ある存在だという事実を、いつも忘れないでください。
(中略)
もし心からの理解ができなければ、それはタイミングが合っていないということですから、いったん保留にしてください。いつか腑に落ちる時がくると思います。」(p.7)
まさに「神との対話」などで言っている通りです。そして、それがわからないから劣っているわけでもありません。ハイハイしかできない赤ちゃんが、走り回れる幼児より劣った存在ではないのと同じです。
「神に罰せられないように、自分を正しさの鎖で縛りつけて、随分と長い時間、不自由な世界を生きてきたけれど、完全な自由を知ることこそ神そのものだったのです。
完全な自由、それは愛と知性によって生じるエネルギーの脈動でした。」(p.22)
愛と自由を関連付けているのは、「神との対話」などごく一部です。阿部さんが悟った世界が、いかに深いかがわかります。
「選ばれる人と選ばれない人がいるとか、特定の生き方をしないと置いていかれるとか、ひどいのになると、言う通りにしないと地獄に落ちて苦しむとか、そのような想像力には感服しますが、これらはまったくの的外れです。
百歩譲ってそのような経験をするにせよ、そんな世界を作り出すのは当人自身です。
だって自分が創造主なのですから。」(p.66)
私もこの考えには100%賛同します。そうでなければ、理屈としておかしいからです。阿部さんは、自身の見性体験によってわかったのかもしれませんが。
「自分のフォーカス(焦点)を変えてください。
何かを手に入れた結果として幸せになろうとするのではなく、いままさに幸せであることを実感してください。
幸せは心の状態です。その気になれば、いつでもどこからでもできます。」(p.71)
幸せは、すでに幸せだったと気づくことですね。
「さとってもさとらなくても、人は皆同じです。
そこに違いがあるとすれば、さとりを求めている人は「さとった人は普通の人とは何かが違っている」と想像するのに対して、さとった人は「さとっても自分が周囲と何もかわらない」ことを知っている、ただそれだけの差です。」(p.73)
これは阿部さんの感覚としては正しいのでしょう。ただ後で指摘しますが、明らかにさとってない人と違いがあることを、阿部さん自身が言っています。
絶対の領域では矛盾するものでも同時に存在するわけですから、阿部さん自身は、それでも矛盾していないと主張されるかもしれませんけどね。
「あなたがさとりからどんなに遠く離れたつもりでも、さとりはあなたから離れることはありません。さとりはあなたの本質であり、生まれながらの資質ですよ。」(p.73 - 74)
「神との対話」などでも、私たちはすべてを知っていると言っています。それはそうでしょう。だって、「ひとつのもの」ですから。
「ぼくたちが最初にすべきこと、それは自分と闘わないこと、つまり「自分を変えようとしないこと」です。
これは自分自身に「降参」して、自分にくつろぐということです。」(p.88)
これも「神との対話」などで言われていることですね。自分を否定しないこと。今の自分をそのまま受け入れることが重要です。
「対立は思い込みと思い込みのぶつかり合いです。皆、それぞれ独自固有の世界で生きていますから、対立はそれぞれが持っている世界同士の衝突なのです。
批判や攻撃は、真に受けないでください。
なぜなら、それは相手の世界の中での反応であり、あなたに向かっているものではないからです。」(p.90)
価値観は人それぞれですからね。価値観の違いと出合った時、自分の世界が危機にさらされていると感じる人が、相手を批判して攻撃するのです。
「あなたが状況を変えるために最初に取り組むこと、それは「自分の絶え間ない想念を検証すること」です。
それが「現実は思考が作り出している」という言葉を本当の意味で検証することであり、その立場に100%立つということです。」(p.104)
自分の思い込み、価値観、信念、観念、そういったものに気づくことが重要なんですね。
「宇宙の生産力は無限です。
100個を100人でわけるのではなく、100人がそれぞれに100個を獲得することで全体が1万個になるのです。
(中略)
だからだれに遠慮することなく、自分の可能性を最大限に広げて、なれるものすべてになりましょう。それが生きるということです。
本当の富とは、あなた自身の開花なのです。」(p.112 - 113)
私は、この表現は理解できます。しかし阿部さんは一方で、地球には全人類を満足させる富があるが、今は一部の人が搾取しているために多くの人に行き渡らない、ということも言っています。
「世界中の人が好みに合った衣食住を満たすには、いま地球上で起きている戦争や紛争を一切やめるだけで十分です。いまでも世界が浪費する軍事費だけで、地球上のすべての人間を養うことができます。」(p.106)
つまり阿部さんにとっては、軍事費が一部の人が搾取しているものなわけですね。これをやめれば、「世界中の人が好みに合った衣食住を満たす」ことができると。
算定根拠が書かれていないので、にわかには信じられません。それに、宇宙の生産性が無限なら、軍事費を回さなくても、十分に「世界中の人が好みに合った衣食住を満たす」ことができるはずです。
したがってこの部分は、現実的な見方と本質的な見方とで、矛盾を感じる部分です。
「でもね、それらを学ぶために時間延ばしをしないこと。いますぐやってみましょう。
いちばん簡単なやり方としては、心の中に理想の自分を描き、理想の自分ならどうするだろうという基準から次の行動を選択することです。」(p.121)
「神との対話」では「自分らしく生きる」ことを勧めています。バシャールは「ワクワクする」ことを勧めています。不安を捨ててしまえば、そのように生きられるのです。
「ではどうすればいいか?
簡単です。
自分を愛してあげるだけ。
自分を愛せない自分を愛してあげるんです。」(p.129 - 130)
今の自分をそのままに受け入れるということは、こういうことになるんですね。続けてそのための方法として、自分を愛せない理由をノートに書き出し、その一つひとつを取り上げて、「○○な自分を愛します」と言葉にすることを勧めています。
「生きるってことは、何者かにならなければいけないことじゃありません。
周囲の評価を待たずに好きなことを、好きな仕事を、好きな人生を生きれば、それでいいのです。」(p.135)
なんとかなる。そういう安心感を持つこと。逆に言えば、「上手くいかないんじゃないか」という不安を捨てることです。
人の役に立つべき、というような他人の価値観に縛られないこと。ただ自分がやってみたいから、という理由で動いてみることですね。
「恐れからは、決して本当の「感謝」が出てこないことも知ってください。にもかかわらず、感謝のための供養だと言うのなら、それは自己欺瞞です。
それはもはや感謝ではなく「取引」です。
「幸せになれますように、悪いことが起きませんように、感謝しています。合唱」
こういうことですよね?」(p.162)
先祖供養は不要だという阿部さんの考えを説明しています。私も、特に先祖供養をする必要性はないと思っています。墓なんて無用だと思いますから。
だって先祖も何も、同じ「ひとつのもの」なのです。「供養しなければならない」と義務化するなら、それは自由を奪う考え方です。
「そんな皆さんにぼくが話したいことは、自殺をした人も病気で死んだ人も事故や犯罪に巻き込まれて死んだ人も、死は死に過ぎないという事実です。
どのように死んだかは、あくまでもこの世に限ったストーリーであり、そもそも死はまったく違う次元への移行であり、それは人間の想像をはるかに超えます。」(p.167)
私も同感です。理屈からして、そうでなければおかしいのです。
そしてこの考え方に従えば、カルマとか前世の報いなどという考えは、おかしいのです。自殺したからあの世で苦しむこともないし、次の生で何かを清算する必要もありません。
「机や壁や置物といった無機質なものにまで命と魂を見ます。
ましてや犬や猫などの動物に対しては、彼らの中で生きているのはまぎれもなく自分自身なのだと知ります。
その感覚を1度でも味わえば、動物に対する意識がまったく変わってしまうでしょう。これは知的なものではなく、感覚的な理解です。」(p.180 - 181)
こう言って阿部さんは、肉食に反対します。そして肉食をやめない限り、戦争はなくならないと言うのです。
この部分は、本を読む前に阿部さんが、Facebookに投稿されていました。そこから引用しましょう。
「人類が食肉文化を脱しない限り、戦争はなくならないと断言します。
(中略)
食肉ができるのも同じくイマジネーションの欠如です。
さらには覆い隠した暴力性のなせる業です
それじゃ、魚はどうなんだ!
植物だって生き物だ!
というマインドの理屈は、あまりにも幼稚です。」
つまり、悟っていないことで動物との魂の一体感を感じない人が、理屈をこねて「魚や植物だって同じ生命だろう!?」と反論するのは「幼稚」なのだそうです。
上の方で、「さとってもさとらなくても、人は皆同じです。」と言っていたことと、やはり矛盾しているのではないかと思います。
また、この部分は、暗に肉食の人を批判し、変わらなければならないと強制している感じさえします。上の方で、「ぼくたちが最初にすべきこと、それは自分と闘わないこと、つまり「自分を変えようとしないこと」です。」と言っていることとも矛盾しますよね。
起こることはすべて必然で無駄がない。これも多くの人が口にする言葉です。
だとするなら、戦争もまた必然で無駄がない、つまりわれわれに役だっている、ということになります。
そして、今の自分をそのままに受け入れよと言うのなら、「変えるべき」という考えは出てこないはずです。
「神との対話」では、どうしたいかはそれぞれの自由だと言っています。ああすべき、こうすべきなどと、神は言わないと。
そして、すべての体験が神聖なのだと言います。つまり、肉食や戦争という体験もまた、神聖で否定すべきではないのです。
ただし、進んだ社会においては、人は肉食をしなくなるし、最終的には食べなくなるとも言っています。もちろん戦争もありません。
赤ちゃんは自然と成長して幼児になり、子どもになり、大人になるのです。そのときどきを楽しんで生きれば、それで良いのではないでしょうか。
阿部さんが言われることは、ほとんど「その通りだなあ」と思うものの、ときどき「ん?」と思ってしまうこともあります。
それは決して阿部さんが間違っているという意味ではありません。今の私の状態では、同意できない、というだけのことです。
この本では、瞑想を助けるCDもついています。瞑想が好きな人は、役立つと思いますよ。
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