私のメンターが絶賛していた、さとうみつろうさんの本を読みました。
「みつろう」なんて変わった名前、どこかで聞き覚えがあるなと思ったら、阿部敏郎さんのブログ「リーラ」に書かれてましたね。
みつろうさんのブログ「笑えるスピリチュアル 〜 知ってるトキはシっている 〜」(通称「笑スピ」)を調べたら、去年の3月に阿部さんがみつろうさんのブログにコメントしたのが、2人の出会いのきっかけだったようです。
この本は、そのブログを元に書かれたもののようです。
手にとってみると、実に分厚いです。500ページ以上ありますから、「神との対話」シリーズのどの本より厚いですね。
みつろうさんは、「神との対話」や「バシャール」のシリーズなど、多くのスピリチュアル系の本を読破されてるそうです。
それらの内容を、笑いを取り入れて広めることが、ご自身の使命だと思われているようです。
本の最初の部分はマンガになっていて、主人公のみつろうと神さまとの、コントが繰り広げられます。
このマンガのお陰で、ずっとこのイメージを持ちながら、この分厚い本を読み進めることができました。
それにしても面白いし、わかりやすいです。「神との対話」などで語られている真実を、こうまでわかりやすく説明できるとは、とても驚きました。
また、そういった本に書かれていないような、独創的な気付きもありましたね。
主人公のみつろうと神さまの会話がコントになっているため、引用が難しいのですが、気になった部分をいくつか紹介しましょう。
「@願いが叶うころに、本人が願ったことを忘れていたり、
A願いが複雑で、叶ったこと自体に本人が気づけなかったり、
Bまちがえた願い方をしたせいで、変な形で叶ってしまったり
これらたくさんの理由が絡み合って、「人生は全て私の望み通り」と思えないだけじゃ。そして「望んでいないことが人生には起こる」と錯覚した時に、人は苦しむんじゃよ。」(p.22 - 23)
このように、私たちの思考が100%叶っているのが現実だと言い、そうなってないと感じる理由を3つに分析しています。
このあと、その例を説明しています。長くて引用も概要も示せませんが、みごとにこの3つになりますね。驚きました。
「常識?「常識」なんてこの宇宙には1つもないぞ。お前が勝手に、それを「常識」だと信じこんだだけじゃ。」(p.42)
「@宇宙はその人の望み通りで、
A信じることが現実になる。
Bところが、表層部分で願っていることとは別に、
C奥のほうで勝手に「いらんこと」を信じている「観念」がある。」(p.65)
「神との対話」などで言われるように、絶対的な価値観などというものは存在しないのです。
私たちが勝手に「良い」とか「悪い」とか決め、その思考によって現実が創られるのです。
そして、その「思考」の中にも、私たちが無意識に考えている「観念」があるのです。
ちなみに「観念」はバシャールが使っている言葉で、「神との対話」では「信念」と表現しています。
「いいか、観念というのを簡単に説明すると、「なにか」と「なにか」をお前が勝手にくっつけて、それがくっついたままになっている状態のことじゃ。」(p.68)
これは面白い説明だと思いました。たとえば「金持ち」と「難しい」をくっつけると、「金持ちになるのは難しい」という観念になると言います。
しかしそれは「勝手にくっつけ」たものですから、「金持ち」と「簡単」をくっつけるのも自由なわけです。
「そんなはずないだろう!?」と言いたくなるのは、それだけ観念が定着しているということなのですね。
実際、秒速で1億円稼ぐという人は、金を稼ぐことを難しいなどとは考えていませんから。
「「現実」とは、その人が信じた全てのもののことじゃ。ということは、その人がなにを信じているのかを知りたければ、「現実」を見ればわかることになる。つまり、自分の固定観念を知りたければ、目の前の「現実」を見なさい。そこに映っている全てが、あなたが勝手に信じこんだものだから。」(p.86)
言われてみると、たしかにそうなのです。自分の思考が現実を創るとはよく言いますが、その逆から考えよというのは、目からうろこでしたね。
もちろん、他人は自分の鏡だとか言われてますので、同じような話は知っているのです。
けれども、自分の観念を知るために現実を見よという積極的な捉え方は、あまり多くは語られていませんでした。
このあと、「誰1人として、鏡そのものを見ることはできない。」(p.89)という話があります。
鏡を見ているようで、実は鏡に映ったものを見ているのです。もし、その鏡の存在が見えなければ・・・。
そう、それこそがまさに現実なのですね。そのあとで、バシャールも言っているように、鏡の中の人を笑わせたければ、鏡に手を突っ込んで笑わせようとするのではなく、まず自分が笑うことだという話が出てきます。
このように、「神との対話」や「バシャール」で言われていることが、とてもわかりやすく説明されているのです。
「たいていの場合、自分の信じている深層意識の意見は「他人」を使って言わせるんじゃ。」(p.124)
これは初めて知る見解です。たしかに、現実には矛盾対立する意見があります。すべてが自分が考えたことだとすると、自分が矛盾対立する存在になってしまいます。
そこでこの本では、実は矛盾対立する考えを持っているのだけれど、自分が採用した方が表層意識の見解となり、押し込められた方が深層意識となって、それが他人として現実に現れるのだと説明しています。
これはなるほどなあと思いました。「まじめなのが良い」という考えと「不まじめなのがかっこいい」という矛盾対立する考えを持っているとどうなるかが、この本では面白おかしく説明されています。
「今「幸せ」じゃないなら、その人が「幸せ」を探せていないだけじゃ。探しなさい、「幸せ」を。今すでにある、幸せを。身の周りからな。遠くにそれを探すと、不足になる。身の周りに見つければ、充足になる。原理はこれだけじゃ。このことを「足るを知る」と中国の老子は言った。つまり、ラインを決めるのは、あなたなんじゃよ。」(p.185)
「足るを知る」とは、幸せを身の周りに探すこと。これもみごとな解釈ですね。
ラインとは基準のことです。100万円で満足するのか、1000万円で満足するのか、その基準です。
つねに足りないと考えていれば、不満になるのは当然ですよね。不満の中に幸せはありません。
「いいか、後悔が起こった瞬間に「しめしめ、これはきっと、上手くいく」と唱えなさい。なにを見ても、なにを選択しても、そう言いなさい。」(p.233)
人間万事塞翁が馬の話にもあるように、何が良くて何が悪いか、最後までわからないものです。
ならば、何が起ころうとも、とりわけ悪いと感じたことが起こった時、「これが吉兆とならないとも限らないさ」と、おじいさんのように言った方がいいんですね。
「不安を勇気で制し、「どうにかなる」と信じなさい。
実際、どうにかなる!
現実を構築している「あなた」が、「どうにかなる」と信じているんじゃぞ?
どうにかなるよ!「信じた願いは叶う」。唯一のルールじゃ。」(p.248)
そういうことなんですよね。現実はそれまでの思考の結果にすぎないとわかっているなら、どんな現実が現れようととらわれることなく、自分に都合の良い思考を採用すべきなのです。
「だから、もし金持ちが宝くじに当たったら、絶対にパーティーを開くじゃろう。これは誓ってもいい。絶対に彼らはそうする。
人は簡単に手に入ると思うものは、簡単に手放すんじゃよ。空気を吸って、すぐに空気を吐くがごとくな。」(p.272)
そうなんです。惜しむということは、手に入りにくいという観念があるんです。
だから「神との対話」でも、考える前に、理性が働く前に、行動せよと言うのです。
「お前が知らないことを一番よく知っている人は、お前が嫌いな人なんじゃよ。」(p.324)
これも目からうろこの視点でした。たしかにそうなんですよね。わからないから嫌いなのです。
「なんでこんなことをするかなあ。理解できないよ。」そう言う時、その相手のことが嫌いですものね。
だから知らないことを知って学ぼうと思うなら、「大っ嫌いなその人に、歩み寄りなさい。」(p.330)と言います。
「今、ワシはお前を傷つけようと思って、お前に文句を言った。でも、お前は傷つかなかった。なぜなら、人間は絶対にほかの誰かを傷つけることなんてできないからじゃ。」(p.348)
これもよく言われることなのですが、心の問題と身体の問題は別だと思っていました。つまり、心を傷つけることはできなくても、身体は傷つけられると。
「事実、ムチで叩かれることに快感を覚える人たちもいるんじゃぞ?」(p.349)
これもビックリの視点ですね。つまり、自分が了承したことなら、何をされても傷つけられたとは思わない、ということなのです。
「「自己弁護が起こる時はいつでも、反対側の意見も自分が支持しているからだ」と気づきなさい。
だって、自己弁護とは、自分自身に「言い聞かせている」状態のことなんじゃから。こっちのほうが正しいと、何度も自分を説得しようとしている。どうして説得が必要なんじゃ?」(p.354)
これも、「神との対話」などでは語られていない視点です。
現実はすべて自分の思考の反映なら、相手の意見も自分(深層意識)が支持する意見に違いありません。
それを表層意識が受け入れないから、自分がいかに正当かを証明しなければ気が済まなくなるのでしょう。
「特定の誰かの意見を支持するから、苦しくなるんじゃよ。」(p.355)
つまり、相手の意見も認めてしまえってことなんですね。
「ほかと分離されたこの世界で、なにか意見を言うということは、同時になにかを「ダメ」だと言っていることになる。「私は平和が好きである」と言っている活動家でさえ、「戦争はダメだ」と言ってることに気づけておらん。
「全ての人と仲良くしましょう、ラブアンドピース!」と言いながら、軍人とだけは仲良くできんとは、どういうことじゃ?かなり矛盾しとる。全く平和主義者じゃないじゃないか。このように、この世では[意見をいう]という時点で、絶対に矛盾が生じるんじゃよ。」(p.452)
これも目からうろこの視点でした。たしかに言われてみれば、意見表明とは何かを選択することですからね。選択しなかった他の何かを否定したことになります。
「「矛盾」も認めてあげないと、全てに「YES」と言ったことにはならないぞ?」(p.453)
つまり、「平和もいいね」、「戦争もいいね」、「両方いいねは矛盾しているけど、それもいいね」なのです。
したがって、ポジティブでいなきゃと思っても、「ネガティブもいいね」ということになります。そこで、最後の言葉に「イーンダヨ!」と言うと良いそうでうす。
「ところが、ネガティブなことが頭に浮かんだあとに「ネガティブなことを考えちまったけど、ま、いいか」と思えたのなら、どうなるじゃろうか?」(p.457)
これなら、ネガティブなことを考えたことを、ネガティブに捉えてないことになると言います。
「神との対話」では、必要性を好みに変えるようにと言っています。「〜すべき」ではなく、「〜した方がいいね」なのです。これなら、「〜しなくてもいいね」になりますからね。
「いいかみつろう、人類の一番まちがった教育は「幸せになりましょう」じゃ。1人残らず全ての人間が、そう思い込んでいる。「幸せにならなきゃいけない」とな。
しかし、幸せだけがすてきな経験なら、ワシはこの世に、苦しみを用意しない、悲しみを起こさない、怒り狂う事件を与えたりはしない。
そこで起こるできごとの、全てが同じくらいすばらしいんじゃよ。第一、よろこびしかなかったら、それを「よろこべる」じゃろうか?」(p.471)
「神との対話」では、神は人間が悪と呼ぶものさえ愛していると言っています。
ですから、すべてのことが良いことであり、すべての体験が貴重なのです。
「ようするに、感謝している時こそ、人間は幸せなんじゃよ。幸せになるために感謝するんじゃない。感謝している間、幸せなんじゃよ。
苦しくなったら、悲しくなったら、不安になったら、悩んでしまったら、すぐに、その場で感謝の念を体内に湧かせなさい。」(p.478)
感謝は、幸せになるための道具ではないのです。感謝すれば幸せを感じられるのです。だから、感謝できるような見方(視点,解釈)が大切なんですね。
そして、幸せであれば、その在り方から生まれる思考が、現実を創っていきます。
一気に読み切るのがもったいなくて、少しずつ心に留めながら、それでも4日くらいで読んでしましました。
「神との対話」を読むよりは、もっとわかりやすいと思います。
笑いながら真理を学べる一冊。オススメです。
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