東大医学部の救急医療の教授が神やあの世の存在を認めた。
そんなセンセーショナルな話題を引き起こした「人は死なない」という本から3年、東京大学医学部救急医学分野教授の矢作直樹氏が書いた本は、「おかげさま」という存在を意識したものでした。
「目には見えないけれども、おかげさまという力が自分の周囲に満ちているのだと気づくのです。」(p.4)
「おかげさま」というのは一般的には、「お陰様で◯◯になりました」というように、相手の手助けによって自分にとって都合が良いことが起こったと言う時に使います。
それは直接相手が助けてくれた場合だけでなく、気遣ってくれた場合にも使います。
相手が気遣ってくれたということは、上手く行くように祈ってくれたのと同じですから、その祈りがかなったのだという理屈です。
しかし矢作氏は、「おかげさま」という存在を意識しています。
目には見えない感じる存在としての「おかげさま」。それは神と同じなのでしょう。
「生きている方とのご縁もあれば、すでに他界している方とのご縁もあります。同時に、ご縁は自分と神さまとのつながりなのです。神さまは目には見えませんが、そもそも見る存在ではなく、感じる存在だと思います。ご縁も見えるものではなく、感じるものです。」(p.161 - 162)
矢作氏は、この本で何度も、死を恐れる必要がないことを説きます。死も生も、ともに近くにあるものなのだから、と言うのです。
「そこで感じたことは、それは「死を心配する必要はない」ということです。
肉体の死は誰にも等しくやって来ますが、死後の世界はいつも私たちの身近にある別世界であり、再会したい人とも会えます。でもその前にやるべきことがあります。自分の人生を全うすることです。人生を全うするということは、すなわち自分を知るということ。」(p.3 - 4)
「死を心配せずに毎日を楽しく生きることが今回の人生を与えられた私たちの使命であり、何よりも今を楽しむことこそ、最も重要なキーワードだと思います。」(p.4)
死ぬことを心配して、今の人生を楽しめないのだとしたら、それこそ本末転倒だというわけですね。
「死に対する誤解や恐怖心は、それが未知なるものであるから生まれます。」(p.21)
つまり死後のことがわかれば、恐怖心はなくなります。ではどうやって知るのか?そのためには、可能性に心を開くようにと言います。
死後の世界はあるのかもしれない。死者とも再会できるのかもしれない。
こうやって可能性を広げておくことで、いつかそういった体験も可能になります。
「死は終わりではありません。私たちの魂は永続します。そもそも私たちの本質は肉体ではなく魂ですから、病気も加齢も本当は何も怖がる必要はないのです。」(p.162)
このように、私たちの本質が永続する魂であり、生も死も仮の姿(幻想)なのだとわかれば、ものごとに執着することもなくなり、怖れや不安もなくなります。
そしてそうなったなら、私たちはただ自分が楽しむために生きることが可能になるのです。
「今を楽しむ。
たったこれだけです。」(p.171)
「今を楽しむこと。たったそれだけで、人生は変わります。」(p.174)
そういう生き方をするためにも、怖れを手放して、起こったすべてを受け入れることが大切です。
「こうした事態に直面した時は「しかたがない」と考えるほかありません。
しかたがないというのは、理不尽な状況を粛々と受け入れる心です。
(中略)
しかたがないという言葉は、あきらめの境地で使うのではありません。
自分の力(自力)ではどうしようもない状況に際して、それもまた人生と、まずはその状況を受け入れることで大きな学びを得ることができます。人智を超えた存在によることだと、ちっぽけな人間にはどうにもしようがないという心構えが必要なのです。」(p.54)
「だから私がご提案したいのは「つかんだら手放す」という習慣です。
良かったこと、つまり成功したと思ったことは本当に嬉しいだろうし、いつまでもその世界に浸っていたい気持ちはわかりますが、その感情を実感し続けるのではなく、できれば早めに手放すことをお勧めします。
同様に悪かったこと、つまり失敗したと思ったことも、ひと通り反省が終わったら悔しいとか悲しいといった感情を早めに手放しましょう。
反省すれども後悔せず。この心構えが重要です。」(p.84 - 85)
このように言って、すべてを受け入れ、感情を手放すようにするという習慣が重要だと言います。
「おかげさま」で生かされているのだと思って、それを前提とした思考にシフトするという感じでしょうか。
お医者さんと言うよりもお坊さんに近い感じがする矢作氏の言葉です。
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