三浦朱門さんと曽野綾子さん、ご夫妻で共著の本を読みました。
私は曽野綾子さんの考え方が好きで、よく本を読んでいましたが、この本で初めて、夫の三浦朱門さんの考え方に触れることができました。
お二人の生い立ちの話などを読むにつけ、私が好きになった曽野さんの考え方は、より自由を好む三浦さんの影響を受けいているのではないかと感じました。
たとえば三浦さんは、子どもの頃にこんなエピソードがあったそうです。
「私が子どものとき、宿題をしていたら、父が変な顔をしたんです。「それは何だ?」「宿題」「先生がやれと言ったのか」「そう」「お前、妙な趣味があるな。やりたいのか」「やりたくないけど」……。そうしたら、「やりたくないことをやるのはドレイだ」と言われて(笑)。宿題をやるなんて、妙な趣味だ、と親が語る家だったんです。
祖父の代から、うちのやり方は、他の人と違うことをやれ、ということだったんですね。他人と違うことをやるから生きていける。他人と一緒になったら、うちの人間はダメなんです。」(p.86 - 87)
宿題をやってたら「ドレイと同じだ」なんて言う親なんて、そうそういませんよね。それだけ変わった家庭だったようです。
しかし、そういう家庭の価値観で育ったから、自由にのびのびと、他人の思惑を気にしない性格になったのだと思います。
そしてその考え方が、曽野さんにも影響したのではないかと思うのです。
この夫婦の面白い考えが表れている部分を、一部引用してみましょう。
「夫婦は元々他人ですから、生涯、お互いを学び続けなければいけないのです。それを怠ると、やっかいなことになる。
でも、重く考える必要はまったくありません。それこそ、学ぶことそのものを、思い切り楽しんでしまえばいいのです。」(p.17)
「そりゃ、二度も三度も結婚していれば、今の女房はああだこうだ、ってことも言えます。でも、自分の人生と同じで、結婚は一回限りだと思えば、いいも悪いもない。そんなものだと思うより、しょうがないじゃないですか。
だいたい、人はそれぞれ違うのだから、比較することなんかできないはずですよね。なのに、どうして悲観的になるのか。理想が高過ぎるのか。」(p.33)
「いくら文句を言われても、「アイ・ラブ・ユー」「あなたが好きよ」と言われているのと同じだと思えばいいと考えています(笑)。そうやってまともに受け答えしないから、六0年も何とかうまくやっているのかもしれません。」(p.36 - 37)
「私は、あらゆることに、かなり優先順位をつけているんです。夫にアイスクリームを買ってきて欲しいと頼んだら、好みのものと違った。「ピスタチオの入ったアイスクリームじゃないとダメ」と怒り出す人もいますけど、せっかく買ってきてくれたわけでしょう。買ってきてもらえる幸せをまずは味わったらいいので、ピスタチオは余計なことなんですよ。」(p.41)
「だから、私は今、このようなことについて怒っている、ということははっきり言うことにしたんです。できるだけ、簡潔に。それをあちら様がどうお取りになろうが、知ったこっちゃないんだけど(笑)。」(p.61)
「夫婦生活を円満にするには、「まあ、どうでもいいや」と、いろんなことに折れることが大事だね。」(p.60)
「なのに、親はいい親になろうとする。それはね、親に自分の人生がないからですよ。自分の人生を生きたらいいんですよ、親が。
私は忙しかった。忙しくて子どもにかまってやれなかった。そういう一抹の自責の念みたいなものと、いや、それでよかったんだ、それが子どもとのつながりを健全な形で打ち切ったんだという安堵感の両方を持っているんです、いまだに。
ただ、もっというと、自分が置かれた状況の中でどうするのか、というのは、実は子ども自身の問題なんです。」(p.96)
「それこそ、小説を軽視しなければ、いい小説を書けないように、スポーツでも仕事でも、軽視が必要だと思っています。「たかが」と考えること。」(p.126)
「でも、毎日毎日、想定外のことがあるから、生きることは面白い。昨日と今日とがまったく同じだったら、退屈きわまりないでしょうね。昨日と今日は違う。昨日、想定したことが今日、起こらないから、人生は面白いんです。」(p.143)
「男と女が一緒に暮らすようになると、違う部分というのが非常に新鮮で珍しくて、それを肯定的に受け止められたなら、とても面白いわけですね。」(p.172)
「自由とはどういうことかというと、いい学校に入ろうとか、いい会社に入ろうとか、社長になろうとか、お金を儲けようとか、そういうことをもって、人生の成功や失敗と考えないで済む、ということです。
ひどい学校に入っても、その中で自分の心を広げる場を発見できる。思いがけずお金を儲けちゃっても、お金にこだわらずに人生を考えられる。そういう自由さというか、謙虚さがある。」(p.208)
こんなふうに自由にこだわりなく、違いを認め合えたら楽しいでしょうね。
お二人の考え方には、私は多くの部分で共感します。私自身が妻に対して、同じようなことを考えているからだと思います。
国籍、民族、文化、性別、年齢など、あまりに違い過ぎる私たち夫婦。だからこそ楽しい。そう、私も思っているのです。

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