2014年07月23日

四つの約束



誰に勧められた本だったか忘れましたが、全米で「神との対話」を抜いて、この分野でベストセラーとなったいう本を読みました。

著者はドン・ミゲル・ルイス氏。祖父がナワール(シャーマン)で母がキュランデラ(ヒーラー)というメキシコの農村地帯で育った人だそうです。

秘教的なトルテックの知識を発展させるものと期待されていたけれど、本人は西洋医学を目指し、外科医になったのだとか。

ところが交通事故で臨死体験をしたことから、生き方を変えて自己探求を始め、ナワールになってトルテックの道を教えているようです。


「訳者あとがき」にあるのですが、スピリチュアルな原則が「実にうまく提示されていると感じた」と言います。

それは何かと言うと、「永遠の哲学」とか「非二元の哲学」と呼ばれるもので、ケン・ウィルバー氏は以下のように原則をまとめているとありました。

この世界は、幻影(本書で言えばミトーテ、仏教で言えばマーヤー)である。
 一者(愛、あるいは光、あるいは神、あるいは空、あるいはスピリット)だけが、実在(リアル)である。
 この世界は、一者である。
」(p.116)

まさに「神との対話」バシャールなどが示している世界観は、こういったものになりますね。


こういった世界観を前提として、幻影であることを見抜いて、「ありのままの自分」に戻るための方法が、この本には書かれています。

そのための方法が4つの約束(アグリーメント)として示されているのです。

実質的に120ページほどの薄い本なのですが、最初の方はトルテックの専門用語なども出てきて、ちょっととっつきづらいところがありました。

具体的な方法論に入ってからは、かなりスムーズに読めたと感じています。


ここで、その4つの約束を明らかにしても説明不足になるでしょうから、それは本を読んでのお楽しみということにして、気になったポイントを引用してみますね。

規則に逆らうと、罰を受ける。規則に沿っていれば、ご褒美を受ける。私たちは、一日のうち、何度も罰せられ、同時に何度も褒美を受ける。やがて私たちは、罰を怖れ、褒美を貰えないことを恐れるようになる。褒美とは、両親や、教師や友人から受ける注目(注意)のことである。そして私たちは、褒美を受けるために他の人々の注意を自分に引きつける。
 褒美をもらうことは、気持ちがいい。こうして私たちは、褒美を受けるために、他の人たちが私たちにしてもらいたい、と望むことをし続ける。罰を受けることの恐れ、褒美を貰えないことの恐れから、私たちは、他の人たちを喜ばせるため、他の人にとって良い子であるため、本当の自分以外のもののふりをする。ママやパパを喜ばせようとする。学校の先生を喜ばせようとする。ふりをし始めるのである。
(中略)やがて私たちは、自分ではないものになっていく。私たちは、ママの信念、パパの信念、社会の信念、宗教の信念の複製になっていく。」(p.5 - 6)

これは「神との対話」でも指摘していることです。この本ではこれを、「人間の飼い慣らし」と呼んでいます。

私たちが見ている世界は、すべて幻影であり、夢だと言います。その夢も、このように他人によって示されたものになっている。それが、ここで言われていることなのです。


罪とは、自分が自分に対して背くようなおこないの全てである。あなたが感じること、信じること、話すこと−−なんでも、あなたに背くならば、それは罪である。あなたは、自分自身を裁いたり、非難したり、自分自身に罪をきせたりする。それは、あなたに背くことである。正しい、ということは、罪がないということである。それは自分に対して背かない、ということである。」(p.25)

これもまた「神との対話」で指摘している通りです。他人の体験のままに生きることこそが罪だと言っていますから。

上記で示したように、飼い慣らされることによって、自分として生きていないことが罪だと、ここで指摘しているのです。


あなたが、なんでも自分のこととして受けとるのは、あなたが言われたことになんでも合意するからである。合意した瞬間、毒はあなたに回る。」(p.39 - 40)

他の人がどうであろうと、それはあなたのせいではない。それは、他の人たち自身のせいである。全ての人は、それぞれの夢の中に、その心の中に生きている。私たち一人ひとりの住む世界は、全く違うのである。私たちが物事を自分のこととして受けとる時、私たちは、他の人が私たちの世界について知っているという思いこみを持っている。そして私たちは、私たちの世界を、他の人の世界に重ね合わせるのだ。」(p.40)

これは、出来事は同じでも見方が違えば、その体験が異なるという考え方を示しています。

相手がどう受け止めるかの責任は、相手にあるのです。相手の反応にまで責任を負う必要性はありません。

逆に言えば、他人を変える必要もないということです。相手がどう感じるかは相手の自由なのですから。

そして自分がどう感じたかの責任は、自分自身にあるのであって、出来事や他人の考え方にあるのではないということです。


他の人を、個人的に受け取らず、ありのままの姿で見れば、彼らの言ったり、したりすることに傷つくことはない。」(p.48)

もし誰かがあなたを愛と尊敬を込めて扱わなければ、その人が去ることは、天の贈り物である。もしその人が去らなければ、その人と長い間苦しまなければならない。別れは、しばらくの間はつらいかも知れないが、やがては癒やされる。」(p.48)

私たちは、ありのままの自分でなければならない。そうでなければ、偽りの自分を見せていなければならなくなる。もし、誰かがありのままのあなたを好きになれば、それでいいし、そうでなければ、お別れするだけである。」(p.57)

つまりここでは、他人の特定の言動を求めるあまり、自分自身を犠牲にする必要はない、ということを示しています。


常にベストを尽くしていれば、あなたは行動する。ベストを尽くすということは、行動することであり、それはあなたが行動を愛しているからであって、報償を求めているからではない。」(p.63)

多くの人は、給料という報償を求めてイヤイヤ仕事をする、というような働き方をします。だからベストを尽くせないのです。

そうではなく、行動(働くことなど)そのものを愛するなら、そこにベストを尽くすなら、道は自ずと開かれます。

バシャールが言うようにワクワクすることをやるというのは、まさにこういうことではないでしょうか。


私たちが自由であることを妨げているものは何、あるいは誰だろうか。私たちは、政府のせいにする。天気、両親、宗教、神などのせいにする。いったい、誰が私たちが自由でいることを妨げているのだろうか。私たちが、自分で妨げているのである。」(p.75)

両親や、他のどんな人、あるいは自分自身を含めて、あなたをいじめたり、虐待したりした人を責める必要などない。しかし、虐待されることはやめるべきである。あなたは、自分自身の合意の基礎を変えることで、「裁判官」の専制から自由になることができる。今は、「犠牲者」の役割から自由になる時である。」(p.77)

いちばん悪いことは、私たちが自分たちが自由ではないことに気がついていないことである。」(p.79)

苦しむ必要はなにもない。気づきがあれば、あなたは反撃し、もうたくさんだ、と言うことができる。癒しの道を見つけ、自分の夢を変容させることができる。苦しみは、リアルでさえない。この地球の夢は、単なる夢なのである。」(p.79)

私たちが本質的に自由であり、それを自分自身で制限することで不自由という幻想を創りだしています。

ですから、私たちがそのことに気づき、自分の見方を変えることで、幻想を創り変えることができるのです。


個人の自由を獲得する最後の道は、「死への入門」に対して備え、死それ自体を、自分の師とすることである。」(p.95)

ここでは死を考えることで、死からも自由になれることを示しています。

このようにして、4つの約束を実践しながら、段階を追って本来の自分自身になる。その方法が示されているのです。

四つの約束
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:17 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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