最初から最後まで、笑っちゃうほど嬉しくなりましたよ。
だって、私がこれまで学んできたことが、こんなにきれいに整理されているのですから。
アルフレッド・アドラーという心理学者のことをまったく知らなかったのですが、本当にすごいです。
ということで、忘れないうちにこの本の要点をまとめておきます。
なお、物語的な対話を楽しみたい方にはネタバレになりますから、まず先に本を読まれてくださいね。
人は幸せであろうとして生きていますが、その幸せをこの本ではこう言っています。
「すなわち「幸福とは、貢献感である」。それが幸福の定義です。」(p.253)
では「貢献感」とは何かというと、誰か他の人のために何かをしてあげること。それによって得られる満足感。それが「貢献感」であり、幸せなのです。
よく「お役に立てて嬉しいです」と表現しますが、それがまさに「貢献感」です。
ただこの「貢献感」を得るのに、目に見える貢献は必要ないと言います。
「つまり他者貢献していくときのわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくとも、「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。」(p.252)
つまり、他人からの承認は必要ではなく、単に自分が主観的に貢献しているという気持ちがあれば良い、というわけです。
なぜ他人からの承認が必要ないかというと、他人から承認を得ることに依存すると、自由を失ってしまうからです。
自由を失えば、自分を自分として生きることができません。
「他者の視線を気にして、他者の顔色を窺いながら生きること。他者の望みをかなえるように生きること。たしかに道しるべにはなるかもしれませんが、これは非常に不自由な生き方です。」(p.158)
アドラー心理学では、「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えています。
ですから対人関係から解放され、自由になることが、すべての悩みを解消することになります。幸せになるための大前提です。
では、その自由とは何か?
「すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。」(p.162)
「自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。」(p.163)
とは言え、積極的に嫌われることをせよ、というわけではありません。
「嫌われることを怖れるな、といっているのです。」(p.163)
自由を保ち、主体的に他人と関わることで、自分というものを確立することができます。
そういう状態において、「貢献感」を得ることで幸せになれます。
ではこのように、他者からの承認を求めず、「貢献感」を得るためにはどうすればよいかというと、「共同体感覚」を持つことだと言います。
「共同体感覚」とは、「ここにいてもいいんだ」という社会から受容されている感覚のことです。
「具体的には、自己への執着(self interest)を他者への関心(social interest)に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。」(p.226)
「自己受容」と「自己肯定」は別物です。
「自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。」(p.227)
「一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。」(p.227)
「他者信頼」と「他者信用」は別物です。
「他者信用」とは、お金を貸すときのように、条件をつけて信じることです。返してくれるなら貸すというのと同じです。
ですから「他者信用」は、裏切られると傷つきます。
一方の「他者信頼」は、条件をつけないで信じることです。担保など考えずに、無条件に信じることです。
「借金の保証人がそうであるように、こちらが損害を被ることもあるでしょう。それでもなお、信じ続ける態度を信頼と呼ぶのです。」(p.231)
何のために?裏切られて傷つくかもしれないのに、どうしてそこまで他者を信じる必要性があるのでしょう?
「無条件の信頼とは、対人関係をよくするため、横の関係を築いていくための「手段」です。」(p.233)
もし対人関係を築く必要がないなら、ただ関係を切れば良いだけなのです。
それでも信頼するのは、自分が幸せになりたいからです。
「他者貢献」と「自己犠牲」は別物です。
「自己犠牲」は、自分らしく生きることを否定し、相手の望みを叶えようとする生き方です。
一方の「他者貢献」は、自己否定する生き方ではなく、自分のために他者の希望を叶えようとします。
「つまり他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値観を実現するためにこそ、なされるものなのです。」(p.238)
「他者貢献」も「他者信頼」と同様に、他者を重視しているように見えて、実はその目的は自分のためなのです。
これは一見すると偽善のようにも思えますが、そうではありません。
なぜならその他者は、騙して利用するための「敵」ではなく、「仲間」だと考えるからです。
たとえば食事の後の後片付けをする母親は、自分だけが犠牲になっているとは考えません。
誰も感謝してくれなくても、嬉しそうに鼻歌でも歌いながら洗い物をすることができます。
それは、家族という「仲間」の役に立っているという満足感、つまり「他者貢献」している「貢献感」があるからです。
そしてこの「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」というのは、円環構造になっています。
「ありのままの自分を受け入れる−−つまり「自己受容」する−−からこそ、裏切りを怖れることなく「他者信頼」することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ、「他者貢献」することができる。さらには他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。「自己受容」することができる。」(p.242)
では、こうした「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」ができるためには、どうすればよいのでしょうか?
「変わることの第一歩は、知ることにあります。」(p.40)
そう言って、ものごとを正しく理解するようにと言います。
これまで、人々の行動は「原因論」によって説明されてきました。
たとえば、子どもの頃に虐待された(原因)ために、大人になって引きこもりになった(結果)というようなものです。
トラウマという考え方も、この「原因論」に沿った考え方です。
しかしアドラーはトラウマを否定します。「原因論」ではなく、「目的論」という立場をとるのです。
たとえば今、引きこもりになっているのは、引きこもりになる目的があったと考えます。
「外に出ない」という目的があれば、そのために不安や恐怖を作り出します。つまり、トラウマを作り出すのです。
なぜ外に出たくないかというと、外に出ないことで親に心配してもらえるからかもしれません。
このことをアドラーは、こう語っているそうです。
「「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック−−いわゆるトラウマ−−に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。」(p.29 - 30)
これまで無意識に、ある目的のために過去の経験を勝手に解釈して、利用してきたのです。
そのことに気づけば、逆にそれを利用することによって、望み通りの自分に変わることができます。
「過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくるのです。」(p.37)
この考え方によれば、こう結論することができます。
「しかし、いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです。」(p.45)
環境や過去の出来事のせい(原因)ではなく、自分が不幸でありたいと願う(目的)から、そうなっているのです。
「アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ”勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りないのです。」(p.53)
失敗を怖れて何もしないなら、ずっと今のままです。挑戦しなければ失敗はしませんが、自分を進化成長させることはできません。
だから勇気なのです。勇気を出して自分を変えようとすれば、いつでも変えることができます。
では、どうして「勇気」が出せないのでしょう?
そこには「怖れ」があるからです。孤立する怖れです。
アドラーは、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言しています。
つまり劣等感です。他者と比較することで、自分に価値がないと感じる。その怖れがあるため、勇気を出せないのです。
劣等感が生じるのは、他者と比較するからです。「優越性の追求」と呼ばれる欲求があるため、比較対象より価値のある存在になりたいと思うのです。
しかし比較する対象は、他者である必然性はありません。
「健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。」(p.92)
すべての人は同じではないけれども対等です。どんな人にも等しく価値があります。
それを理解せずに、他者との競争に勝つことによって幸せになれると錯覚しているから、なかなか幸せになれないのです。
「「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方はまったく違うものになります。世界を危険な場所だと思うこともなく、不要な猜疑心に駆られることもなく、世界は安全で快適な場所に映ります。対人関係の悩みだって激減するでしょう。」(p.99)
そこでアドラーは、「人生のタスク」と向き合うことで達成すべき4つの目標を掲げます。
行動の目標2つと、心理面の目標が2つです。
@自立すること
A社会と調和して暮らせること
Bわたしには能力がある、という意識
C人々はわたしの仲間である、という意識
「人生のタスク」とは、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」と呼ばれ、対人関係の距離と深さによって分けられた、「直面せざるをえない対人関係」のことです。
このとき、「人生の嘘」から目を逸らさずに、しっかりと見つめることが大切だと言います。
「人生の嘘」とは、「さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとすること」です。
たとえば、「Aさんは約束を守らないから嫌いだ」と考えているとしましょう。
これを目的論で考えると、「Aさんとの関係(人生のタスク)を回避したいから、嫌うためにAさんの欠点を見つけている」となります。
よく、「結婚した時は彼のことが大好きだったけど、今は大嫌い。ご飯を食べるとき、くちゃくちゃと音をたてるのが生理的に嫌なの。」などという話がありますよね。
彼の食べ方が変わったわけではありません。関係を終わらせたいという目的ができたから、嫌うことを見つけて嫌っているのです。
対人関係の悩みを解消するには、自由を捨ててはいけません。自分のライフスタイルは、意識的に自分で決めるべきです。
そのためにまず、承認欲求を否定する必要があります。
「他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。」(p.132)
承認欲求があるのは、他者から認められることで自分の価値を実感したいからです。
これは、子どもの頃に賞罰による教育を受けた影響もあります。
「適切な行動をとったら、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。アドラーは、こうした賞罰による教育を厳しく批判しました。賞罰教育の先に生まれるのは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。」(p.134)
こういった、大人の価値観に子どもを従順に従わせようとする教育が、子どものライフスタイルを歪めていると言います。
「いいですか、われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。」(p.135)
他者の期待を満たす必要などない、私たちは自分のために生きているのです。
そしてこのことは、相手に対しても言えます。
「もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思いどおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。」(p.136)
アドラーは、「課題の分離」という考え方をします。
「われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。」(p.140)
そうしておいて、「他者の課題には踏み込まない」ようにします。
「およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと−−あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること−−によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。」(p.140 - 141)
子どもに「勉強しろ!お前のことを考えているから怒るんだ。」という親は、子どもの課題に土足で踏み込んでいるのです。
「誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。」(p.141)
ですから、「勉強しない」という選択によって子どもが困るなら、それは子どもの課題なのです。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。」という諺があるそうですが、まさにその通りなのです。
アドバイスはしても、それを受け入れるかどうかは、本人次第なのです。
そして、「信じる」ということにも、この「課題の分離」が関係します。
「相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。そこの線引きをしないままに自分の希望を押しつけると、たちまちストーカー的な「介入」になってしまいます。
たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの語る「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。」(p.145)
このように、「課題の分離」によって自分の責任範囲をしっかりと意識する。
そうやって「人生のタスク」に向き合うことが重要になります。
そのことによって、より自由に生きられるようになるのです。
「自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。」(p.147)
「そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。」(p.150)
このことによって、対人関係の悩みを一変させることになるでしょう。
このようにアドラー心理学は、自立した個人として適切に他者に関与することで「共同体感覚」を持ち、それによって「貢献感」を感じて幸せに生きる、という道を示しています。
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