数日前、ベランダの鉢に植えてあった球根から芽が出ているのに気づきました。
「うぁー、やっと出てきたね。嬉しい。ありがとう」
思わず、そう声を掛けました。
だって、1ヶ月以上も前に植えた球根なのです。まったく芽を出さないから、もうダメかなと思っていました。
それがやっと芽を出したから、喜びもひとしおだったのです。
球根を植えたばかりのころは、「早く芽を出せよ。待ってるからね。」と声を掛けながら水をやっていました。
しかし、いつまでたっても芽を出さないし、何も変化が起こらないので、もうダメかと諦めかけたことも何度かあります。
「もうダメだろうから、水をやっても意味がないかなあ。」
そう思いながらも、日陰を作ってやったら変わるんじゃないかとか、少し水をやらないでおいた方がいいんじゃないかんどと、何か方法がないかと思っていました。
ですから、水はそれほど頻繁にはやらなかったのですが、土が乾いてきた時にはやるようにしていました。
そして水をやる時には球根を少し押して、腐っていないか確認しながら、「おい、元気だせよ。待ってるんだからさ。」と声をかけていました。
そんな思いが通じたかどうかはわかりませんが、このように芽を出してくれたのです。
これは本当に嬉しかったです。
そしてFacebookに写真を載せたのですが、コメントにいただいた言葉に、また気付かされました。
「一か月以上大人しくしてたんですね(笑 でも、人間何事もあきらめちゃいけない、っていう教訓かもしれません。」
そうですよね、そういう見方もありますよね。それで私も、こう返事を書きました。
「たしかに、何ごともあきらめちゃいかんということでしょうね。
それを教えるために1ヶ月も芽を出さずにいてくれたのだと思うと、有り難いことだと思います。」
植物にだって心はあります。だって私たちは「ひとつのもの」なのですから。
だとしたら、この球根が1ヶ月以上も芽を出さずにいたのは、私に何かを教えるためだった、ということも考えられます。
そう思うと、心から有り難く感じるのです。
この私を気づかせるために、あえて芽を出すのを先に伸ばしてくれた。
そして、この時を待って芽を出すことで、「あきらめるなよ。あきらめなければ、何でもできるんだから。」と教えてくれているように思うのです。
2014年03月08日
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