「神との対話」シリーズでおなじみのニール・ドナルド・ウォルシュ氏の最新作になります。
今度は神とではなく、人類と対話するという意味が、タイトルに込められているようですね。
読んでみると、どうやら7つの質問を中心にして、お互いに対話をしようではないかという誘いかけのようです。
その7つの質問が、とてもパワフルだと何度も力説しています。
ただ私は、その質問を読んで、自分でそれに答を出してみても、どうもあまりピンと来ません。
これは翻訳のせいなのか、あるいは私の感性が鈍いのか、なんとも言えませんけど。
たとえば、2つ目の問に、「生命について、わたしたちがまだ完全に理解しておらず、理解すればすべてを変えられるものが、あるだろうか?」(p.69)というものがあります。
この質問だと、たいていの人が「あります」とか「あるだろうと思う」と答えるのではないでしょうか。
つまり、自分が知らないことがまだあって、それによって大きく変わる可能性についてまで否定しないという態度です。
でも、それが何かまではわからないし、今すぐ自分にそれができるとも思わない。
それが多くの人の気持ではないかと思うのです。
だとすると、この質問にそう答えることによって、何か対話が始まるのでしょうか?何かが変わるのでしょうか?
今のところ私には、これで何かが変わるとは思えない、というのが正直な気持ちです。
また中盤では、さかんに政治的なことに言及しています。
二分法ではなく三分法でなければならないとして、政治、経済、文化を分けるべきだという主張です。
それは理解できなくもないのですが、ややこじつけという感じもします。
仮に三分法が正しい(=役に立つ)としても、どうしてそれが政治、経済、文化になるのか、その理由もわかりません。
という感じで、これまでのシリーズのように、読んでいてワクワクする感じが少なかったというのが、正直な感想です。
ただ、ところどころに「そうだなあ」と思わせる文章も散りばめられています。
でもそのほとんどは、これまでのシリーズで書かれていた文とほぼ同じことです。
肝心の、人類と対話することでどういう効果があるのかとか、それがどうして変革のうねりになるのかという道筋は、私には見えてきませんでした。
本の最後の部分は、これまでのシリーズに書かれていたように、そうは言っても重要なのは行動ではなく信念を変えることだ、というまとめになっています。
そうだとするならなおさら、途中で政治的な働きかけをせよと行動を促すものは何だったのか?という気持ちになります。
まだ完全に理解できていない部分もあり、消化不良だということを白状します。
ただこれまでも、このシリーズはこういう面があったことも付け加えておきます。
特にシリーズが後半になればなるほど、そういう傾向がありました。
それが、2度3度読むことで、徐々に消化されていったという経験もあります。
ですから、今の私の理解はこの程度ということにしておいて、またいつか読み返してみたいと思うのです。
【本の紹介の最新記事】