「えーっ!!エゴは出さない方がいいんじゃないのかぁ?」
「ジコチュー(自己中心的)は嫌われるよ。」
そう心配してくださる方もおられるかもしれませんね。(ん?誰もいない?)
それはさておき、ここで言うエゴイスティックは、通常考えられているものとは違います。
通常のエゴとは、たとえば自分が儲かりさえすればいい、というようなエゴですよね。
損得で考えて自分が得をするなら、他がどうでもかまわないという考え方。
それに対して私が言うところの「超エゴイスティック」は、こうなります。
損得で考えて自分が得をするなら、他がどうでもかまわないという考え方。
「あれ?まったく同じじゃないの!?」
ハハハ、そう突っ込んでいただけると、あとが話しやすくなります。
実はそうなのです。
自分のことしか考えない点ではまったく同じなのです。
だから、エゴイスティックなのですよ。
でもそこに、「超」がつきます。
その「超」は何を示すかと言うと、本当の自分の損得という意味です。
たとえば、誰かが私に対して、ひどいことをしたとしましょう。
「お前ばかじゃないの。どっかへ消えてくれるとせいせいするんだけど。」
こんな子どものイジメみたいなことを、誰かに言われたとしましょうか。
普通なら頭に来ますよね。
「なんであなたに、そんなことを言われなきゃいけないの!失礼にもほどがある!」
そう言って腹を立てても当然のケースです。
でも私は、幸せでいたいんです。
本当の私は、幸せを願っています。
そういう私にとって、怒ることは役に立つでしょうか?
だから、超エゴイスティックでいきます。
誰かが私を怒らせ、幸せの座から引きずり降ろそうとしても、私はそれを認めません。
仮にその人が、地団駄を踏んで悔しがったとしても、そんなこと知ったこっちゃありません。
他がどうでもかまわないと、私は思っていますからね。
誰が何と言おうと、私は幸せでい続けるのです。
これが、超エゴイスティックな在り方です。
私は私自身のことしか考えません。
誰かに優しくするのも、それは究極的には自分のためです。
自分が優しい人間でいたいからです。
私は優しい人間だということを、宇宙に表現したいからです。
ですから、別にそれを他の人に示す必要もありません。
他の人がどう思うかなど、関係ないのですから。
私自身の評価は、私自身で行います。
他の人の評価など気にしないのです。
したがって、他の人からの高い評価も求めません。
お礼とか感謝とか、必要ないのです。
もちろん、高く評価されたら嬉しいです。
高く評価してくださった方には、素直に「ありがとう」と言いましょう。
でも、それだけのことです。
他の人の評価に執着することはしません。
では、他人が苦しんでいるのを見ても、何もしないのでしょうか?
何もしない自分を、私自身がどう評価するかです。
私は、そういう自分を、自分らしいと思いません。
そんな人間じゃ嫌なんです。
もっともっと素晴らしい人間になりたいし、美しく生きたいのです。
だから、今の私の望みに応じて、私らしく生きようと思います。
私は、超エゴイスティックに生きます!
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