みやざき中央新聞で講演内容が紹介されていたのを読んで、山元加津子さん、通称かっこちゃんのことを知りました。
養護学校の先生をされているそうですが、障害者とのふれあいの中に、この世の真実を感じ取られているようです。
それですぐに本を数冊、注文したのですが、なにしろ積ん読なもので、やっと1冊ほど読んだところです。
「みんな理由があって生まれてきたんだから」が信条のかっこちゃん。でも、その理念を大上段に振りかざしているわけではありません。
日常の障害者をはじめとした多くの人とのふれあいの中で、自然とそう感じられるようです。
たとえばナスカの地上絵のことも、誰が何のためにどうやって描いたかわからない、というのが専門家の意見ですが、かっこちゃんは「私はインカ帝国の謎がわかるよ」とさり気なく言います。
偉そうに自慢しているのではなく、「こうに違いない」と感じられることがあるのだとか。
たとえば日常的にふれあっている障害者の中には、正確な地図を描ける子がいるのだそうです。
上空から見て描いたとしか思えないような正確な縮尺の絵です。
地上にいても心を空に飛ばしながら絵を描いているのだろうなと、かっこちゃんは感じたのだそうです。
障害者の中には、そういった特殊な能力を持った人がたくさんいます。
しかしかっこちゃんは、それは障害者だから特別なのではなく、本当は人間がみな持っているもので、ただ使わないだけなのではないかと考えるのです。
このようなかっこちゃんの気づきを、実に不思議なことと考えることもできますが、私は「すごいなあ」と思いながらも、「そのとおりだなあ」と思います。
なぜなら、かっこちゃんの気づきは、「神との対話」などによって私が教えられたことと符合するからです。
たとえば、こんなことをかっこちゃんは書いています。
「もしかしたら、人は眠るときに、大きな力、言い換えれば”宇宙全体”とつながることができるのではないでしょうか。」(p.135)
眠る目的は肉体を休めることではなく、精神を休ませて絶対的な存在と一体化することだと、「神との対話」にも書かれています。
後半に書かれている、多発性硬化症(別名MS)という難病を患っている雪絵ちゃんという子の話には、本当に多くの示唆を与えられました。
「私、MSであることを後悔しないよ。MSだからこそ気づけたことがたくさんあるし、MSだからこそ出会えた人もたくさんいるよ」(p.138)
「もし、手が動かなくなっても、足が動かなくなっても、目が見えなくなっても、たとえ人工呼吸器で息をしなくてはならなくなっても、私はけっしてMSである自分を後悔しないよ。MSの雪絵そのまま、好きでいるよ。そしてせっかくMSになれたんだから、MSになって気がつけたことを、みんなにお話しするよ」(p.138 - 139)
そう雪絵ちゃんは言います。
その生き様は、かっこちゃんに多くの示唆を与えたようです。
この世は苦に満ちている(一切皆苦)として、四苦(生老病死)をお釈迦様は示されましたが、それらをひっくるめて「大きな愛に包まれて生きている」(p.63)と、かっこちゃんは感じているのでしょう。
「神様はどこにいるか?大きな力はどこにあるか?ずっとそのことを考えてきたのだけど、どこか特定の場所に神様がいるわけじゃなくて、それはすべての生き物の心の奥にあり、そして、その一つひとつが宇宙をつくっている。宇宙はひとつの命だし、私たちはそれぞれ宇宙の大切な部分なんだと、そう思ったのです。
一人ひとりが、宇宙のその大きな力、神様をつくっていたんだぁ−−そのことがわかったよって、今、叫びたいようなうれしい気持ちなのです。」(p.136)
「本当のことだから」、それが正しいとわかる。なぜか誰もがそう感じてしまう。世の中は、そんなふうにできている。
かっこちゃんの気づきに、私も共感します。
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