【何もかも違うあなたへ】
些細なことで、よくけんかしたね。
たいていは、あなたが怒ったんだけど。
車を避けて道路を渡ろうとした時も、あなたはすぐに怒った。
「どうして勝手に行くの!?」
「なぜ一緒に来ないの!?」
タイミングが合わなかったんだね。
あなたが買い物をしたとき、小銭がほしくてぼくにねだったことがあった。
そのとき、ぼくが渋い顔をしたら、あなたはまた怒った。
「私のために小銭も出せないの!?」
だって、言っておいたじゃない。
会社でヤクルトを買うのに、コインが必要なんだって。
だから、お札を出してお釣りをもらえばいいじゃないかって、ぼくは思ったんだよ。
でもあなたは、怒って口をきかなくなった。
生まれた国も違うし、年齢も、育った環境も、使う言葉も違う。
もちろん性別も違うし、何もかもが違ってたんだ。
だから、考え方や価値観が違っていても当然だと思うよ。
そんなあなたを、ぼくは愛することに決めたんだ。
ぼくが思ってもみないことで、あなたはよく怒り出す。
さっきまで仲良くしてたのに、急にヒステリーを起こす。
そんなときぼくは、こう思うんだ。
ありがとう。
ぼくとは違う考え方があるんだよね。
あなたは身をもって、それを示してくれる。
ごめんね。
怒るのはつらいでしょう。
そうまでしてぼくに、他の世界があることを教えてくれたんだよね。
一緒に暮らしてきて、ぼくはこう思うんだ。
あなたは、ぼくにとって最高のパートナーだなあと。
だって、あなたくらい、ぼくと違う人はいないからね。
あなたくらい、自分をはっきり見せてくれる人はいないからね。
結婚する時、ぼくは、ずっとあなたを愛すると決めたんだよ。
あなたがどうかに関係なく、ぼくが決めたことなんだ。
だから、あなたが変わっても変わらなくても、ぼくの思い通りであってもなくても、ぼくはあなたを愛するよ。
それがもっとも、ぼくらしいことだと思うから。
これから何があるかわからないけど、あなたに贈る言葉はこれしかない。
ありがとう。
いつも、いつも、ありがとう。
たくさん、たくさん、ありがとう。
あなたのことを、愛しています。
(結婚2周年に妻のことを思いながら)
(一部修正しました)
ちょっとキザっぽいですけど、今の正直な気持ちを書いてみました。
実際、本当にそう思うのです。
よく言っていますが、私が妻を愛するのは、私が愛すると決めたからです。
妻が美人だとか、かわいいとか、やさしいとか、関係ないのです。
(けして妻が不美人だとか、性格が悪いという意味ではありませんよ。)
だから、美人じゃなくなったとか、かわいく感じられないとか、やさしくしてくれないなどが、愛さない理由にならないのです。
多くのカップルは、この点が違います。
「目がかわいい」などの身体的な長所や、「いつも自分のことを気遣ってくれる」などの性格の良さを理由として、好きになります。
そして好きになったことを理由に、愛すると言うのです。
だから、簡単に別れるのですよ。
当たり前ではありませんか。
そもそもそれは、愛ではないのです。
愛は無条件だと、誰でも聞いたことがあるでしょう?
そしてそう言われれば、誰もがそうだとうなずくでしょう?
でも自分には、あてはめないのですね。
人は変わるものです。
それに、美人は3日で飽きるものですよ。
(その代わりにブスは3日で慣れると言いますけど。)
あるいは、相手が変わらなくても、自分の感じ方が変わるのです。
ですから、相手の何かを理由に愛すると言うなら、必ずそれは上手く行かなくなるのです。
愛する条件をつける限り、愛から遠ざかるのです。
長く寄り添ったカップルが、「惰性で続けているだけだ」などと言いますけど、ちょっと残念だなあと思います。
それはつまり、もう相手にワクワクするものを感じないけど、別れるほどの理由もないから、今の関係を続けているってことじゃありませんか。
せっかくのチャンスを、自ら逃しているとはこのことです。
どうしてその関係を、もっとワクワクする素敵なものにしようと思わないのでしょう?
ワクワクしない原因が相手にあると考えている限り、それは不可能なことです。
そこで新たな刺激を求めて、他にちょっかいを出すことになります。
いわゆる浮気ですね。
その浮気も、刺激を求めるだけならまだ良いのですが、本気になる人もいます。
自分の愛が、相手に依存するタイプの人です。
まあそういう人は、どこまで行っても終わりはありません。
だって常に相手次第なのですから、翻弄され続ける他にないでしょう。
自分の考え方次第だと気づいた時、相手に依存せずに愛せるようになります。
つまり、愛する理由を相手に置かないのです。
見た目に関係なく、性格の良し悪しに関係なく、ただ愛すると決めたから愛する。
無条件に愛するのです。
しかもそれは、義務であってはダメです。
義務とは強制です。
そこに自主性がありません。
自主性がないということは、自由でないということです。
自由がなければ喜びもなく、幸せにもなれません。
結局、長続きしないのです。
愛することを義務としてではなく、自由意志にしましょう。
ただ自分が愛したいから愛するのです。
それが自分らしいことだから、愛するのです。
これがわかるようになると、愛することが喜びになります。
だって自由なのですから。
相手に依存しないから、何も求めなくなります。
そのときやっと、これが本当に愛なのだとわかるのです。
愛、自由、幸せ。
これらは切っても切れない関係です。
どれかでなくなったとき、それらすべてを失うのです。
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