2013年11月07日

日本でおみくじを引きました

先月の帰省旅行の時、鎌倉長谷寺でおみくじを引きました。

寺社巡りの旅だったのですが、なぜかそこではおみくじを引こうという気になったのです。

金色に輝く観音様の声でも聞こえたのでしょうかね。

長谷寺のおみくじ


なにやら漢文で書かれているのでよく読まず、目についた「半吉」だけを確認して、「まあ、こんなものか」と思っていました。

だいたいはそこで木の枝などにくくりつけて帰るのですが、そのときは「またあとで読もう」と思って持ち帰りました。


それを先日やっと読んでみたのですが、けっこう良いことが書かれていましたよ。

漢詩を次のように要約してありました。

暗い雲が盛んに湧き、先に行けそうにない
 光を求めても又未だ巡り会えない
 (ところが)思いもかけぬ様子で一変する
 一矢で二羽の鳥を射落とす程の幸福に見舞われよう



どうです?これって半吉じゃなく、大吉みたいじゃありませんか。

現状はうまく行っていないように見えても、思いがけないことで状況が変わり、今度は想像以上の幸運に恵まれると言うのです。

まさに夜明け、春の到来、そんな感じです。

読み終えたら捨てるつもりでしたが、しばらく財布に入れておきます。(*^_^*)

 

私は、占いというものはあまり信じません。

昔は星占いとか、バイオリズムなど、いろいろ凝ってましたけど。

でも、この世の道理がわかってくると、そういうものに左右されることが、そもそも間違っているのだとわかったのです。


特に良くないのは、「不吉なことが起こる」という予言ですね。

まあ私も以前は、ノストラダムスの大予言を信じた口ですから、他人のことは言えませんけどね。

でも、恐怖心を煽って他人をコントロールするというやり方は好きじゃないし、やってほしくないなあと思うのです。


小林正観さんも、こう言っています。

悪しき予言をする人は信じなくて良い





私もそう思います。

たたりがあるとか、方角が悪いなどと、余計なお世話ですよ。

そういうことを信じるから、悪いことが起こった時に、「予言が当たった」と思い、また信じるようになります。

でもこれ、恐怖心(=不安)を肯定しているんですよね。


いつも言うように、不安というのは幻想です。実在しないものです。

でも、それを信じれば力を得て、存在し続けることになります。


つまりその人が、自分が信じることで存在させているのです。


占いも予言も、それほど意味があるものではありません。

ただ時間的な遠くを見て、「先にこんなものがあるから気をつけて」と言うくらいなものです。

穴があったって、必ずしも落ちるわけではありません。

穴があると知って気をつければ、その穴を活かすことができるかもしれないのです。

穴があることが悪いことじゃなく、その穴にどういう意味を与えるかが重要なのです。


だから私は、自分に起こることはすべて良いことだと決めています。

良いことしか起こらないのですから、何の不安もないのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:46 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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