前にも記事「自分で考え、自分で決める」で紹介した、居酒屋「てっぺん」の大嶋啓介さんとクロフネカンパニーの中村文昭さんの共著に、また興味深いことが書かれていました。
お二人とも、「失敗も成功もない」という考えをされているのです。
中村さんは、人生には失敗がないのだから、何かで失敗したようなときは、「ネタ作り、ネタ作り」と言うのだそうです。
あるいは、「予定通り、予定通り」とか、「大丈夫、大丈夫」などとも。
失敗だと一般的に思われるようなことも、それがネタになるのなら、失敗ではなく成功だとも言えるわけです。
大嶋さんも、諦めない限り失敗はないのだから、失敗はあり得ないと言います。
また成功したとしても一時的なものであって、そこにあぐらをかいていれば足元をすくわれることにもなります。
ですから、失敗だとか成功などと言うのは、人生の中の一時的な状況に対してレッテルを貼っただけであって、決定的な結果ではないのです。
では、人生に失敗や成功がないのだとしたら、人生とは何だということになりますが、「神との対話」シリーズではプロセスだと言っています。
進化成長のためのプロセスです。
退化はあり得ないので、人生における変化はすべて、進化成長の変化なのです。
一般的に失敗と言われるような、ネガティブに感じられる変化であったとしても、それは見方の問題だと言います。
よく例に出すのですが、人間万事塞翁が馬の故事でも、老人は全財産である馬に逃げられたからこそ、その馬が野生馬を連れ帰ることができ、それによって財産を何倍にも増やしたのです。
こうなると、馬に逃げられたことは失敗だったのでしょうか?
そうではなく、財産を増やすためのプロセスに過ぎなかったのです。
しかも、その財産が増えるという出来事でさえ、成功などという結果ではなく、プロセスに過ぎないことがわかります。
野生馬を調教しようとしていた老人の孫(息子?)が、落馬して骨折してしまうのです。
こうなると、財産が増えたことが成功だったのではなく、逆に失敗だったとも言えます。
物語はそれでも終わらず、戦争が始まった時に、怪我をしていた孫は徴兵されず、死なずに済んだということになっています。
このように、出来事だけを単独で捉えて、それを成功だとか失敗だなどと言うことが、どれだけバカバカしいことかがわかります。
人生において成功とか失敗などというものはありません。
単に進化成長の中のプロセスに過ぎないのです。
2013年10月26日
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