2013年10月24日

映画「奇跡のリンゴ」を観ました

しばらくブログの更新をしてませんでしたが、やっと日本から戻ってきました。

台風26号と27号の間をすり抜けるように、かろうじて帰省旅行ができました。感謝ですね。


さて、機中の楽しみの1つに映画があるのですが、今回は「奇跡のリンゴ」などを観ました。



「奇跡のリンゴ」と言えば、前に「百姓が地球を救う」で紹介した木村秋則さんの物語です。


すでにストーリーは本を読んでだいたいわかっていたのですが、それでも映像で観ると、また新たな感動がありますね。

木村さん役の阿部サダヲさんもはまり役だと思いましたが、特に、無口なお義父さん役の山崎努さんの演技が素晴らしく、心情がよく表れていました。

お義父さんの気持を思うと、本当に泣けましたね。


物語の感動とは別に、3つの気づきがありましたのでシェアしますね。


まず1つ目は、「植物に声をかけることが大切だ。」ということです。

私も、ベランダの観葉植物たちに声を掛けるようになって、その効果に驚いています。

紹介した本には、声掛けのことはあまり書かれていなかったように思うのですが、映画では、そのことが明確に語られています。

雑草を刈ることが悪かったのだと気づいて、本当の自然農法を実践するようになった2年目、念願のリンゴの花が咲きました。

しかし、2本だけ花をつけない木があったのです。

それを木村さんの子どもたちが見つけて不思議そうに問うと、木村さんは、「この木には声をかけなかったからな」と答えたのです。

つまり、自然農法だけの成果ではなく、声掛けによる成果も加わっていることを、木村さんははっきりと明言しているのです。


2つ目の気づきは、それと関連することですが、「他人にどう見られるかを気にしていては、自分らしく生きられない。」ということです。

木村さんが声をかけなかった木は、隣の畑から丸見えになっていたのです。

つまり、そこでぶつぶつと言いながら声を掛けていると、隣の人からは気が狂ったように思われる。

それが恥ずかしくて、木村さんは声を掛けなかったと言うのです。

私たちは、ついつい他人の目を気にしてしまいます。

けれども、他人からどう見えるかということは、客観的に自分を分析するためには重要なことですが、自分の考えや行動を決める原因にしてはいけないのだと思います。

他人からどう思われようと気にすることなく、自分がこうすべきだと思ったことを行う。

そう、まるでラ・マンチャの男(ドン・キホーテ)のように。


最後3つ目の気づきは、「生命は調和している。」ということです。

自然農法というのは、自然な状態こそがベストなのだという気づきに他なりません。

私たちが人間の恣意的な考えで、これは害虫、これは益虫などと言っていますが、昆虫界に害虫も益虫もないのです。

それぞれが自然界で必要な働きをして、それによって全体として整合性がとれるようになっている。必要だからこそ、存在しているのです。

これは雑草に対しても同じです。「雑草という名の草はない」と言われたのは、たしか昭和天皇でしたね。

人間が勝手に、自分が必要としない草に「雑草」というレッテルを貼っただけなのです。

しかしその雑草たちも、必要があってそこに存在している。それが自然農法の気づきです。


ですから、存在するものを邪魔だからと考えて排除しようとするのではなく、その役割をまっとうさせてあげようとすることが大切なのです。

いわば自然に対して戦いを挑むのではなく、自然の声を聞き、自然を愛しむことです。


ガンの治療法として、手術や薬物に頼らない自然治癒力を生かす医療を提唱する人がおられます。

そういう人は、まずガンと戦わないことを教えるのだそうです。

ガンもまた自分の体の一部であり、必要があって生まれたのだから、それを受け入れてあげるのだとか。

これなどもまさに、自然農法の極意ではないでしょうか。


さらに視野を広げてみれば、私たち人間社会にも同じようなことが言えます。

悪人とか善人などというのも、私たちが勝手に貼ったレッテルに過ぎません。

それぞれの人の価値観に従うなら、けして間違ったことはしないのです。

世間的に悪と呼ばれることをしている自覚があるとしても、その人は、そうせざるを得ない何らかの理由があって、そのためにそうしているのです。

それを一方的に悪と決めつけて排除しようとするなら、それは口が自分と違うからと言って鼻に噛み付くようなものです。

生命全体として、それがいかにバカげたことか、総合的に考えればわかると思います。

 

農薬で虫を殺すことで美味しいリンゴを作り続けた既存の農業。でもそれによって、大地は疲弊し、人間は病に冒されるようになりました。

そういう農業が、本当に私たちが望む農業なのでしょうか?

悪人を処罰し、排除し、その恐れを抑止力としてきた社会政策。でもそれによって、安全の維持コストが高くなり、人は精神的な苦しみを捨てられずにいます。

そういう社会が、本当に私たちが望む社会なのでしょうか?


そんなことを考えさせられる映画でした。

考え方は人それぞれですから、私の考えが絶対に正しいなどと言う気はありません。

みなさんもぜひ、映画を観るか、本を読まれて、考えてみていただきたいと思います。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:15 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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