「どうせ誰も、オレのことなんか必要と思ってないんだよ。オレなんか、どうなったっていいんだよ。」
そう自暴自棄になったことがあるでしょうか?
私もかつて、こういう思いを抱いたことがありました。
「そんなことをしたら、親御さんが悲しむわよ。」
そう諭されたとき、「親なんか、ちっとも僕のことを心配していないさ。」なんて思おうとしたことも。
たしかに、天涯孤独の人だと、誰からも必要とされてないと思うことはあるでしょう。
「いつ私がいなくなっても、誰も困りやしないんだから。」
誰かからの愛に依存し、愛されることに執着していたころ、この問題を解決する術(すべ)が見つかりませんでした。
誰かから愛されなければ、他人を愛そうという気力が湧いてこない。
でも、その最初に愛してくれる人って、本当にいるんだろうか?
親が死んだり、親からも見捨てられた子どもは、どうすれば良いのだろう?
その答を、半世紀近く生きたころにやっと見つけましたよ。
私たちは、必要性があってこの世に生を受けたのです。
親も必要と思ってくれてるかもしれませんが、仮にそうでなくてもかまいません。
私たちは皆、それぞれに必要性があって生まれてきました。
その必要性とは、神を癒やすことです。
こう表現すると、なんだか宗教ぽく聞こえるかもしれませんが、特定の宗教の話ではありません。
私たちがこの世に生まれてくるには、生まれてくるなりの理由があるということです。
私は子どものころ、よく考えたものです。
「ぼくはどうして、20世紀の終わりごろに、この日本という国の、その中でも都会とは程遠い島根県の、その中にあっても発展していない西部の片田舎で生まれたのだろう?」
私自身が、なぜこの時、この場所で生まれなければならなかったのか、それを知りたかったのです。
普通に考えれば、「そんなのたまたまだよ」という答もあると思うのですが、私はそうは思いませんでした。
なぜかはわかりませんが、ちゃんとした理由があると思っていたのです。
その理由があることが、やっとわかりました。理由がわかったわけではありませんが、必ず理由があると確信できたのです。
それは、私たちは皆、一人ひとり異なっているからです。必ず違いがあるのです。何億人の人がいようと、たとえ一卵性双生児でも、必ず違いがあります。
その個性は、どうして生じるのでしょう?
それは、違いがある必要性があるからです。
なぜ違っていなければならないのか?
それは違うことによって、違った人生を送れるからです。
あまりに当たり前に聞こえるかもしれませんが、それぞれが別々の人生を送る必要性があることが、以下の話から理解できると思います。
神、それを生命と呼んでも、宇宙霊と呼んでもかまいませんが、無限に大きな存在です。
その神は、自分自身を体験的に知りたくて、この世を創ったのだと、「神との対話」に書かれています。
絶対的な領域では、比較することができません。どんなに自分が素晴らしいとわかっていても、観念でしかないのです。
相対的な領域があって初めて、比較することで、自分の素晴らしさを体験できるのです。
しかし、比較対象は、「自分でないもの」でなければなりません。でも、本質的には神しか存在しないのです。
そこで神は、自分自身をより小さなものに分割しました。
けれどもそれだけではダメです。存在は複数になっても、すべてが同じだからです。
神の素晴らしさを知るためには、神でないものが必要です。でも、神でないものは存在しないのです。すべてが神ですから。
そこで神は、自分自身であることを忘れることにしました。
小さく分割された神は、自分(=神)であることを忘れることによって、神らしくない存在であることができるようになったのです。
そうすることで、それぞれの小さな神たちは、それぞれの中に神性を見つけて、その素晴らしさを体験し、称えることができるようになったのです。
ですから私たちは、それぞれが神の一部であり、神のその部分を体験するために生まれたのです。
その1つひとつの部分がなければ、神は全体として成り立ちません。
神にとって、どの部分も全体に匹敵するほど重要で、その素晴らしさを体験するために必要としているのです。
だからあなたは、間違いなく素晴らしい存在なのです。
たとえ他の誰があなたを否定し、「いなくてもかまわない」と言ったとしても、神はそうは思いません。
あなたにしか果たせない役割があるからです。だからあなたを、この世に送り出したのです。
たとえあなたが、どんな重いハンデを背負っていても、あるいは過去にどんな過ちを犯したとしても、神だけはあなたを見捨てません。
永遠の地獄に突き落とすような神ではないのです。そんな器量の小さい神は、本当の神ではないのです。
だから安心してください。あなたは、けして見捨てられることがありません。そんなことは論理的に不可能なのです。
あなたは、神そのものなのですから。
2013年10月11日
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