親友のHくんとの違いを、母親からそう指摘されたのは、たしか中学2年か3年のときだったでしょう。
臆病で、内気で、傷つきやすくて、女の腐ったようなヤツ(女性の方には申し訳ありませんが)という表現がピッタリな私でした。
一方、Hくんは自信の塊のような男でした。
学校の成績なら、私はHくんには負けません。自慢じゃありませんが、中間試験や期末試験では、総合得点で80人中3位以内を争うくらい、私は優秀だったのです。
運動神経では、客観的に見ればそう見劣りしなかったでしょう。
にも関わらず、Hくんは自信に溢れ、私は引っ込み思案だったのです。
当然のように、Hくんは女性からもモテたし、後輩からも人気がありました。
一方の私は、女性と付き合ったこともなく、告白する勇気すらありません。
「優しい人」
そう思われるのが、せいぜいだったのです。
今思うに、母親の指摘は的を射ていました。
Hくんと私の大きな違いは、ただ自信があるかどうかだけだったと思うのです。
自信のあるHくんは、活き活きとして、ハツラツとして、青春を謳歌している感じがしました。
しかし私は、将来に対して不安を抱き、ただひっそりと生き延びることだけを願っているような存在でした。
「ぼくも、Hくんみたいに自信を持って生きたい!」
そういう気持ちはありました。
「勉強じゃあ負けとりゃあせんのんだろうがね。(勉強では負けてないんしょう?)」
母親から指摘されるまでもなく、たしかにそうなのですが、そういう事実を突きつけられても、私は自分に自信が持てなかったのです。
今、私は、「自信たっぷりに見える」と言われるほど、子どもの頃とは別人のようになりました。
様々な経験をする中で、自然と自信をつけてきたのでしょうね。
ナイーブで繊細な性格は変わっていないと思うのですが、子どもの頃ほど不安を覚えることがなくなったのです。
私自身がそういう人生を送ってきたので、今、以前の私のように自信が持てなくてオドオドしている人を見ると、なんとかしてあげたいなあという気持ちになります。
なぜなら、どんな人でも私のように、自信を持てるようになるとわかっているからです。
しかも、自信を持つために、何か他人より優れているところがある必要性はありません。
幸いなことに、私は自分の経験において、そういう他人と比較して優秀であることが、自信という面では何の役にも立たないことがわかっています。
ですから、成績が悪くても、運動神経が鈍くても、太っていて不格好でも、顔が不細工でも、まったく関係ないのです。
以前の記事「謙虚さと自信を併せ持つこと」で、根拠のない自信について書きました。
本物の自信は、根拠がないのです。他人と比較して優れているという理由が不要なのです。
そういう自信を手に入れれば、あなたも人生が変わると思いませんか?
そのための方法について、この「根拠のない自信」というカテゴリで書いていこうと思います。
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