斎藤一人さんの三部作「器」「運」「天」を読んだ影響で、最近、ある行(ぎょう)をやってます。
それは、通勤途中で出会った人に対して、心の中でこうつぶやくのです。
「(あなたに)すべての良きことが雪崩のごとく起きます」
目についた人すべてにそう言うことを自分に課して、約15分間の徒歩通勤をしています。
なかなか全員に言うのは難しいですけどね。集団で来られたときは、まとめてってこともあります。
また、歩くとは言っても車に注意しなければならないし、バンコクは犬の糞にも、上から落ちてくる鳩の糞にも注意は欠かせません。(笑)
ふと気がつくと、言わずに通り過ぎてしまってたなんてこともありますが、あまり細かいことは気にしません。
ともかく気がついたら、その目の前の人に対してつぶやくのです。
行(ぎょう)の良いところは、あまり考えずに済むということです。
ともかく、それをやりさえすれば良い。それでいて効果がある。それがメリットです。
実際、これをやってると、人に対して悪い感情を抱かずに済みます。
歩いていると、わざわざぶつかる進路をとる人がいますよね。
「こっちが右端を歩いているのに、なんでこっちへ寄ってくるの!?反対側を歩けばいいじゃないの!?」
そう言いたくなるときって、ありませんか?
いったい何を考えているのか、頭をかち割って覗いてみたくなるほどです。
でも、その人にはその人なりの理由が必ずあるのです。
ボーっとしてて、あまり意識していないのかもしれないし、あるいは考え事をしていて、私の存在に気づかないこともあるでしょう。
あるいはその日、むしゃくしゃすることがあって、「お前が避けろよ!」という気分だったのかも。
また、私を避ける進路上に、自分が通りたくない部分があったかもしれません。
タイの人は、歩道上にある下水の蓋の上を歩かない人が多いです。落ちることを心配しているのでしょうね。
日本ならまずあり得ないでしょうけど、たまに落ちるんですよ。ですから、落ちるはずがないとは思えないのです。
しかし、相手の事情を想像できないときや、合理的な説明ができない場合に、相手に対して悪感情を抱くことがあります。
それがこの行(ぎょう)をやっていると、そういう悪感情を感じなくて済むのです。
だって、その人の幸福を願いながら、「このやろう!」とは思えないでしょ?
「ありがとう」を1万回唱える行というのもありますが、やはり行には行の良さがあるんだなあと思います。
別に1万回唱えたから、神様とか仏様が「よし、良くやったから褒美をやろう」と言って、幸運を授けてくれるわけではないのです。
行をやることによって、自分自身をコントロールするのです。
私はそう思って、日々、何かしらの幸せ実践をしています。
良い本を読むのも、ある意味では行ですよね。それによって、良い言葉、ポジティブな考え方を、自分に対してインプットするのです。
ベランダの観葉植物への声掛けも、また行のようなものです。語りかけている対象は植物ですが、本当は自分自身なのです。
だって、この世にはたったひとつの存在しかなく、その「ひとつのもの」が分化して見えているだけなのですから。
他人にすることは自分に対してすること。
ですから、いつも他の人を励まし、勇気づけ、幸せな気分になってもらえることをしようと思うのです。
2013年09月26日
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