2013年09月23日

三部作を読み終えて思うこと

最近また、斎藤一人さんの本を読みました。

「器」「運」「天」という三部作で、お弟子さんの柴村恵美子さんとの共著になっています。


最初の「器」は、器量という言葉があるように、人間としての大きさを表します。

この人間の器を大きくするために、修行するのが人生だと、一人さんは言うのです。

その修業方法として、「上気元の行」というのがあるそうです。

これ、とても気に入りました。


一人さんは、機嫌というのは自分でとるものだと言います。

それを多くの人は他人にとらせようとしている。


この説明は、とても面白いなあと思いました。

私もいろいろな言い方をします。

たとえば、自分の人生の手綱を他人に預ける、という表現も同じことです。

要は、自分の心に湧き上がる感情は、自分がコントロールすべきものであって、他人や出来事に翻弄されるべきではない、ということなのです。


それで一人さんは、機嫌は自分でとるものだから、それを修行としてやろうと言うのです。

いつでも、どんなことがあっても、上機嫌でいること。

まるで「少女パレアナ」何でも喜ぶゲームみたいです。

それが「上気元の行」なのです。

それによって人間の器が大きくなると言います。

 

次に「運」ですが、運というのは神様を味方につけることだと言います。

ですから、神様の意図に沿うようにすれば良いのだと。

神様は他人に親切にしなさいよと言っておられるのだから、それにしたがって人助けをするのが、運を良くすることになると説明します。


ただ私がこの本を読んで感じたのは、運が良いということは、自分が望ましいと感じる出来事が起こるようになることだと思うのです。

事業が思うように進んだとか、何かあって災難を逃れたなど。

つまり、自分が望むことが起こることですから、「引き寄せの法則」をうまく使えるというようなことだと思います。

そういう意味だと、人助けをすれば自分が助けられるというのは理屈が通っています。

黄金律というのがまさにそのことですから。

あなたがしてほしいと思うことを他人にしなさい。

要はそういうことですね。

 

最後の「天」は、「器」「運」で語っていることの、土台の部分についての話となります。

つまりこの世の本質は何かという話です。

この中で一人さんは、この世には大霊(たいれい)と呼ばれる1つのものがあると言います。

そして私たちの魂は、その分霊(わけみたま)だと。

大霊のことをヤハウェとかアラーとか、それぞれ言っているだけで、要は同じことだと言います。

 

この3冊を集中して読んだのですが、内容的には「神との対話」シリーズで語られていることと同じですよね。

すべては「ひとつのもの」ですから、不安などは存在しないのです。

なぜなら、「ひとつのもの」とは愛であり、不安は愛の対極なのですから。

ですから、上手くいかないとか、幸せなれないとか、失敗するなんてことはあり得ないのです。

 

ただ、このように理論的に説明しても納得できない方もおられるでしょう。

現実がそうではないと感じているからでしょうね。

そのギャップを埋める説明として、一人さんも言っているのは、それは見方の問題だということなのです。


たとえば、赤ちゃんが最初から走れないのは、「上手くいかない」ことでしょうか?

歩いていて転んだら、「失敗した」のでしょうか?

そうではなく、それは進化成長の過程なのです。


上手くできない状況というのは、「あなたはダメな存在だ」ということを示してはいません。

「あなたはこれから成長する存在だ」ということがわかるだけです。

あるいは、「あなたを生かす道は他にある」というメッセージかもしれません。

そういう見方をすれば、上手くできないことが福音になります。


そういう見方をせず、不安に基づいて見ると、「もう自分はダメなんじゃないか」と思えてくるのです。

本当はただ思っただけなのに、それが真実であるかのように感じるのです。


そのことさえわかれば、あとは自分の見方を変えれば良いだけですよね。

これまで習慣化している見方を変え、新たな考え方の習慣を身につける。

そのためにいろいろな人が、様々な行を提唱しています。

一人さんの「上気元の行」というのも、その1つに過ぎません。


本の中では、他の行についても書かれていました。

たとえば、誰かと出会うたびに、その人に対して「すべての良きことが、雪崩のごとくあなたに起きます!」と心の中で言うという行もありました。

こういう行は、それ自体が絶対だと言うものではないと思います。

そうではなく、山頂に登るための1つのルートに過ぎないのです。

どのルートが最も優れているかとか、あまり関係がありません。

自分にあったものをやれば良いだけだと思います。


それで、結果としてどうなれば良いかというと、今あるそのままで幸せだと感じるよう、考え方を習慣化することです。

何があろうと、何がなかろうと関係なく、今の状態のままで幸せを感じて生きる。

そのためにできることは、なんでもやってみたら良いと思いますよ。


本を読むのも、瞑想するのも、講演を聞きに行くのも、ぜんぶそのためです。

そういう生き方をしませんか?

それが私からのお誘いです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:07 | Comment(0) | SJ通信過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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