2013年09月14日
百姓が地球を救う
ご存知、放置しても腐らない奇跡のリンゴで有名な木村秋則さんの本です。
最近、自然農法という農業手法に興味があって、そういう関係の本をいくつか読んでいます。
木村さんのリンゴはあまりに有名だったので、つい後回しになっていました。
判官びいきというか、メジャーだとそれだけで、ちょっと避けたくなるんですよね。天邪鬼な性格ですから、私。
しかし、読んでみると、さすがにメジャーになられる方だけに、素晴らしい気づきがありますね。
自然農法の本を読みながら、どうしてこんなに涙がこぼれるのかと、自分のことがおかしくなりましたよ。
少し読んでは、「あー、そうだなあ。」なんて本を置いて考え、ベランダへ出て観葉植物たちに話しかけます。
どうしても、彼らに話しかけたくなるのです。
「そうだよなあ、大きくなれなんて、勝手な期待を押し付けちゃいけないよなあ。あなたはあなたとして、精一杯に生きればそれでいいんだよ。それで十分に素晴らしいんだから。」
彼らだって、生命の一部だし、頑張って生きているんだという気がしてくるのです。
すると、それまで腰掛けていたソファーに対しても、机に対しても、床に対しても、見上げた時の天井に対しても、声をかけたくなります。
「ごめんなあ、いつも気づいてあげなくて。ありがとうね。あなたがそこにいてくれるから、私はこうして快適に生きていられる。本当に、ありがとう。」
この本を読むまで、農薬や化学肥料の使用量で、日本が世界のダントツNo.1だということを知りませんでした。
また、残留農薬のチェックなどもほとんどなく、農家は農家で、決められた量以上に使っているということも知りませんでした。
これでは、アトピーなどの異変が起こっても、不思議ではありません。
安全だと日本人が思い込んでいる日本の野菜や米が、世界で一番危険だったという笑えない事実。
これを知って、「変えなければいけない」と思わないのだったら、もはやそれは人間の心を捨てたとしか言えないでしょうね。
生命は、すべて必然で無駄がないということも、農業を見ればわかります。
益虫とか害虫とか、人間が勝手にレッテルを貼っているだけで、彼らの存在はすべて生命に貢献することなのです。
雑草だって同じことです。人間が勝手に、農作物以外の草にそうレッテルを貼っただけ。
雑草があれば、農作物のための栄養が奪われると、不安に感じたからです。
これはまさに芥川龍之介の「蜘蛛の糸」です。蜘蛛の糸を自分のためだけにあると考えたカンダタは、他の人を雑草か何かのように蹴落としたのです。
でも本当は、雑草があってこそ土の力は保たれる。それが自然農法の結論です。
生命の本質が愛なら、何かを邪魔者だとして排斥することを是とはしないでしょう。
農業もまた、しかりだったのです。
この本を読んで思いました。
当然のことですが、人の社会もまたそうなのだろうと。
一部の人を邪魔者として排除しようとする姿は、まさにこれまでの一般農業の姿ではないでしょうか。
それによって土地(社会)が疲弊し、ついには農作物さえまともに育たなくなる。
育った農作物は、人間のために作ったにも関わらず、人を苦しめるものになっている。
人間社会で有益だとされた一部の人が、その社会をダメにしている姿と重なって見えます。
農業も、人も、結局は同じなんだなあ。そう思いました。
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