9月になりましたね。
1日(日)に、妻も無事に戻ってきました。
お義父さんの病気が破傷風ではなく、腎臓の病気だったという意外な情報もありました。
言葉の問題なのか、勘違いによるものかはわかりませんが、かくも意思疎通が正確にできないものだということを、改めて感じましたよ。
さて、今日届いた水野浩志さんのメルマガに、面白いことが書かれていました。
水野浩志さんは、「セミナービジネス実践講座」という動画セミナーをやっておられた方です。
私が出版オーディションの2次審査でスピーチをやることになったとき、メンターの吉江勝さんが紹介してくださったもの。
その内容がとても素晴らしかったので、メルマガも購読していました。
このメルマガが、また素晴らしいんです。いつも考えさせられます。
それで今回のメルマガは、「明らかに落ち込んでいる人に対して、『ポジティブな声かけ』をする人に腹が立つ」という意見についてでした。
その人は、それが正しいことだとしても、余計なお世話だと感じているわけです。
うっとうしいと感じて、腹を立てているのです。
それで水野さんは、「なぜこの人は怒りを覚えているんだろうか?」と考えてみたそうです。
その答は、「人の役に立とうという意識から生まれる無神経さに腹を立てている」ということでした。
そしてその根底には、「自分を他人の意志で変えられたくない」という思いがあるのだと。
私はよく、「他人は変えられない」と言うのですが、それは、人の本質は自由だと思っているからです。
自由ということは、自分で決められるということ。他人から強制されないということです。
ですからさっきの人の怒りは、自由が侵害されそうだという感覚に対する怒りだと思うのです。
水野さんの分析を読んで、なるほどと思った次第です。
どんなに自分が「良いこと」と思っても、それは自分の価値観において、そう思っているだけです。
これも私がよく言うことですが、「価値観や考え方は人それぞれ」ですからね。
昔、標語をパクった面白い言い回しがありました。
「小さな親切 大きなお世話」
これ、真実をついていると思いませんか?
そうなのです。アドバイスを求められてもいないのに、余計なことをする必要はないのです。大きなお世話ですから。
ただ、その人が「他の人を助けたい」という願いを持つことは自由です。
それを押し付けなければ良いだけ。
「助けを求められたら、いつでも助けてあげます。だから遠慮しないで。」
「でも、あなたがそれを希望しないなら、私はいつまでもあなたを見守っています。」
こういう感じでいることが、良いように感じますね。
これって、要は愛ですよね?
関心を持ちながらも、相手を自由にさせる。
そして相手が必要とするなら、自分にできる最大限のことをしてあげる。
愛とは、そういうものだと思います。
2013年09月04日
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