わずか100ページに満たない薄い冊子。
しかし、これを読む間に私は、何度、感動の涙を流したことか。
著者は東井義雄氏。教師をされていた関係で、東井義雄先生と呼ばれています。
その一方で、家がお寺だったこともあり、僧侶としての立場でもあります。
私は知らなかったのですが、多くの人に影響を与えた方のようです。
たしか神渡良平さんの本で知って、本を買ってみました。
教師とか僧侶だと言うと、なんだか雲の上の人のように思えますが、まったくそうではありません。
むしろその逆で、ダメな自分をさらけだし、ダメな自分として生きることで、他の人に影響を与えたという方です。
師範学校でのエピソードがそれを端的に表しています。
運動がまったくダメで、サッカー部も、野球部も、テニス部も、水泳部も、陸上部さえも拾ってくれません。
最後にやっと拾ってもらえたのがマラソン部です。
「辛抱強く粘れるか?」と問われ、それくらいならできるだろうと考えたからです。
最初は当然ビリッコです。頑張っても、頑張っても、ビリッコです。
ロードに出ると、キリスト教の女学校の近くを走るのだそうですが、大勢の女学生が見ている前を、1人遅れて犬に吠えられながら走るのは、さすがに辛かったそうです。
それでも2年生になれば、自分より遅い後輩が入るだろうと思ったそうですが、実際には2年生でもビリッコでした。
3年生になれば変わるだろうと思ったそうですが、それでもやはりビリッコでした。
そこで、東井先生は「兎と亀」の話について考えたそうです。
「亀は、いくら努力しても、絶対、兎にはなれない。しかし、日本一の亀にはなれる。そして、日本一の亀は、つまらない兎よりも、ねうちが上だという話ではないかと考えました。そして、私も「日本一のビリッコ」にはなれるのではないか、と、考えるようになりました。」
(中略)
「そのうちに、また、気がつきました。「もし、ぼくがビリッコを独占しなかったら、部員の誰かが、このみじめな思いを味わわなければならない。他の部員が、このみじめな思いを味わうことなく済んでいるのは、ぼくが、ビリッコを独占しているおかげだ」ということに気がついたのです。「ぼくも、みんなの役に立っている」という発見は、私にとって、大きなよろこびとなりました。」(p.18)
こうして、自分がダメなことを受け入れることで、ダメな生徒に寄り添ってあげられる教師になろうと考えたそうです。
さらに、ご自身が癌になったり、最愛の息子さんが植物状態になったりと、大変な状況が続きます。
それでも、これは自分が受け入れなければならない因縁なのだと思われて、その状況の中に救いを見いだされるのです。
野村康次郎という人の「雨」という詩が引用されていましたが、その詩が端的にそのことを語っています。
「雨は
ウンコの上にも
おちなければなりません
イヤだといっても
だめなのです
誰も
代ってくれないのです
代ってあげることも
できないのです」(p.25)
雨だってそうなのですから、人間だって、自分の人生を誰かに代わってもらうことはできません。
ですから、癌になるというつらさも受け入れます。
それよりもっとつらい、息子さんが植物状態になって代わってあげることができないことも、また受け入れていかれるのです。
またこの本の中には、私がとても驚いたエピソードが書かれていました。
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<2016年11月4日追記>
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