このことを、「EMSが届いた」とFacebookに書いたら、友だちから「EMSって何?」って聞かれ、びっくりしました。
EMSなんて誰でも知ってると思っていたのですが、大きな勘違いでしたよ。
考えてみれば私だって、13年くらい前にタイに来る時まで、EMSの存在を知りませんでしたから。
EMSとは、国際スピード郵便と呼ばれるもので、Express Mail Serviceの略なのです。
強いて言えば、航空便の速達ですかね。
別に速達でなくても良いのですが、手軽で追跡もできるので、あえて航空便にせずにEMSにしています。
改めて、人の認識はそれぞれだなあと感じた次第です。
さて、送ってもらった荷物の中には、今回も本がたくさん入ってました。

今回も10冊ほど。未読の本がまだ10冊以上あったので、また未読が20冊以上に増えました。
きっと死ぬまでゼロにはならないんだろうなあ。そんな気がします。
読書が好きな私ですが、どうも瞑想は苦手なんですよね。
座禅とか試みることはありますが、長続きしません。だって、それほど気持よく感じないんですもの。
それを我慢してやってれば、何か見えてくるのかもしれませんけど、我慢してまでやろうという気にならないのです。
でも、神渡良平さんもそうですが、瞑想を勧める人は大勢います。
「神との対話」シリーズでも、瞑想の重要性が書かれています。
ただ、「神との対話」では、瞑想は必ずしも座ってする瞑想だけではないと言います。
歩く瞑想とか止まる瞑想など、やり方はいろいろあると。
著者のニール氏自身は、書く瞑想が性に合っていると言ってますね。
それで言うと、私は読む瞑想かななんて、都合よく解釈しています。
昨夜は、シリーズの11作目、「神より幸せ」という本を読んでいました。
※前に「変えれば、変わる」を11作目と書きましたが、間違いでした。前の記事は訂正してあります。
これももう3〜4回目になりますが、それでも新たに気付かされることが多いです。
今回も読みながら、心に湧き上がる熱い想いがあって、涙が溢れてきました。
「あー、そうだった。そうなんだよ。あー、もう充分だ。これでいい。これでいいんだ。」
そんな気持ちです。
言葉にすると、わからないですよね。
たしかに、しばらく時間がたつと、その感動した部分を思い出してみても、同じような感情にはなりません。
あのときは、心の状態がまったく違うのです。
ですから、私としては読書をしながら瞑想していた気分なのです。
具体的にどういう気付きかというと、私とはすべてのものだということです。
これは、私たちは「ひとつのもの」だというのと同じことです。
あるいは、神とか宇宙霊はすべてだと言うのも同じです。
でも、いくら言葉でそう言っていても、ピンときているかどうかとは別の問題なのです。
読書をしていたあの瞬間、その部分を読みながら、心に何かがカチッとはまったのです。
「そうだよ、これだよこれ。こういうことなんだよ。」
魂が自分自身を発見した喜び、と言えば良いのでしょうか。
すでに知っていたことを追認しただけなのに、まるでアメリカ大陸を発見した時のコロンブスのように、心が狂喜したのです。
こういうことがあるから、読書ってやめられないんですよね。
特に「神との対話」シリーズは。
これを読み終えたら、またシリーズ1作目の「神との対話」に戻ります。
次からは、その日に読んだ中で気に入ったところを、Facebookに書こうかなと思っています。