前回の記事「妻の実家へ行きます」に書いたように、妻の実家の葬式に参列して来ました。
タイの葬式は何度か出席したことがありますが、それはすべてバンコクで行われた葬式です。
それとはかなり違います。やっぱり田舎の葬式は濃いです。
妻の実家はイサン地方ですが、写真にあるようにかなり田舎です。
メインの大通りや街は舗装されていますが、それ以外はこんな感じで未舗装で、穴ぼこだらけです。
イサン地方特有の粘土質の赤土。細かな土の粒子は車も人も赤く染めてしまいます。
この時期は雨季なので、田んぼの稲も、他の野原の草も、青々と茂っていました。
葬式は、妻の実家で行われました。お寺で行われるバンコクの葬式とは、ちょっと様子が違います。
おそらくバンコクは家も狭くなったので、自宅で葬式や結婚式などができなくなって変わったのでしょう。
高床式の20畳くらいはあると思われる部屋の中央に、飾り棺が置かれています。飾り棺の中に棺があります。
上座は一段高くなっており、そこにお坊さんが並びます。
その前で家族や親族など、親しい人が座って式が行われます。
これは火葬の日の出棺前の写真なので、お坊さんが11人来ていますが、その前の数日は、朝と夕方にお坊さんが数人やってきて、読経をして帰ります。
近所の人達は、この家の周りにテントを建てるなどして椅子が並べてあり、そこに座って様子を見守ります。
こうやって毎日100〜200人の人がやってきて、この家の周りが賑やかになります。
お坊さんの読経が終わると、参列者に食事や飲み物を振る舞います。
近所の人は、それが目当てで来ているのではないかと思うほど。
いやおそらく、呼ぶ方も飲食を振る舞うことで人を集めているし、集まる人達も、それが目当てなのでしょう。
そうやって賑やかで忙しい1週間ほどを過ごすことで、家族は故人を亡くした悲しみに落ち込むことなく、時間を過ごせるのです。
火葬は、午後1時くらいから始まりました。
家で読経を済ませた後、出棺となります。
ピックアップトラックに棺を載せ、そこから紐を伸ばして、参列者が引いていくという形で火葬場へ向かいます。
行列の先導は、1人の男性が歩いていました。行列の進行速度を合わせる目的でしょう。
その後に先導車が続き、物悲しげな音楽を鳴らしながらゆっくりと進みます。
その先導車と最後の棺を載せた車との間に紐が渡されていて、それを参列者が引いて歩いて行きます。
途中、爆竹や音が出るだけの花火などを鳴らすのは、魔除けの意味もあるのでしょう。
また、賑やかにする意味もあると思います。
と言うのは、火葬場まで歩いて行く途中や火葬場でも、飴や金銀の紙に包まれたコインをバラまくのです。
それを子どもばかりか大人も一緒になって、キャーキャー言いながら拾います。
とても葬式とは思えない賑やかさです。棟上げ式の餅撒きを想像していただけると、様子がわかると思います。
火葬場に到着すると、壁のない礼拝所のような建物がありました。
壁がないのはお金がないからではなく、暑いから風通しを良くするためでしょうね。
ここでもお坊さんが前の一段高いところに座り、読経や故人の紹介が行われます。
故人の紹介では、いつ生まれて、誰といつ結婚し、子どもは誰でなどと経歴が話されます。
その中で、娘と結婚した相手として、私の名前も紹介されました。「夫、アカキアツチと結婚」という感じで。
タイ人にとっては、「シ」と「チ」の区別がつかないので、なかなかきれいに「アツシ」と発音できる人は少ないです。
話す人が言いにくそうだったため、周りからも笑い声が漏れ、場が和みました。
そしてお坊さん一人ひとりに、黄色い衣やお金をお布施として渡す儀式が行われます。
バンコクのお寺では、祭壇の上に上がって棺の前に置き、それを裏から出てこられたお坊さんが持ち去って行くのですが、だいたい同じようなものでしょう。
読経やお布施の儀式が終わると、いよいよ火葬です。
でも、どこに火葬場が・・・と思ったら、礼拝所からちょっと離れたところ、つまり野原に棺が置かれていました。
ブロックかコンクリートで台が作られており、その上に棺が置いてあります。どうやら野焼きのようです。
何かの飾りのようなもの(カンナくずのような薄い木か何かで作った造花?)を受け取り、故人と最後の別れをしに棺のところへ行って、その飾りのようなものを棺の中や外に置きます。
このとき棺の蓋が開けられているので、故人の顔を拝むことができます。
日本と違い、死に化粧をしていない個人の顔は、どす黒く変色し、とても生前と同じとは思えませんでした。
防腐剤を大量に使って腐らないようにすると聞いたことがありますが、おそらくそうなのでしょう。
そうでなければ暑いタイで、遺体を1周間も常温に置いておけませんから。
故人との最後の別れを済ませると、すぐに水で手を洗い清めます。
日本なら塩をまいて清めるのでしょうけど、タイでは水で流すようです。
この後、家に戻ってからはアップ・ナーム(水浴び=シャワー)をさせられました。
これも不浄のものを洗い清める意味があるそうです。
いよいよ火葬です。
棺の周りに丸太を立てかけて櫓状にしていきます。
そして油をまいてから、火を放つのです。
下から燃やすわけでもないので、かなり熱効率が悪そうな気がします。
重油などで焼く日本の火葬場なら、2時間もすれば骨と灰になってしまいますが、これでは丸太が全部燃えても、骨がかなり残りそうです。
ただ、日本なら遺族で骨を拾うのですが、こちらではそれは一部の男衆の仕事のようでした。
それで私たちはそこにはまったく立ち会わなかったので、燃え方がどうなのか確認できませんでした。
翌日、その男衆らによって、遺骨を墓所(納骨場所)に納めたようです。
これですべて終わりかと思ったら、それからも家にお坊さんを読んで読経をしてもらう儀式が続くのだとか。
集まる人は減っていくのでしょうけど、あと数日は飲食を振る舞うのだそうです。
亡くなった妻の父親は54歳だったそうです。私より3つ上ですね。
死因は破傷風だそうです。
よくわかりませんが、傷からウイルスが入って来て死に至る病気だとのことなので、おそらく破傷風で間違いないかと。
謹んでお義父さんのご冥福をお祈りします。
2013年08月19日
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