斎藤一人さんがFacebookページに、自信について載せておられます。
「私は自分を信じています
信じているからどんな問題ものりこえられる
ひとり」
やはり素晴らしいですね。
どんな方法を使おうと、すべてが希望通りになるなんてことはありません。
たとえ最終的には目標を達成するとしても、その過程では紆余曲折があるのです。
そういう想定外のことが起こるから人生は楽しいとも言えます。
斎藤一人さんは、自分を信じているから、そういう紆余曲折があっても乗り越えていけると言うのです。
その投稿を幸せ実践塾のFacebookページでシェアしたところ、「自信が持てません」というコメントをいただきました。
たしかに、わかっているんだけど自信が持てないという人は、多いだろうと思います。
私もそうでしたし、だから多くの人が幸せになれないのですから。
そこで私は、視点を変えてみたらどうかとアドバイスしました。
「自信が持てる」とか「自信が持てない」という言い方は、何かに依存している感じがします。
それをやめて、「自信を持つ」か「自信を持たない」かに変えてみてはどうかと。
そうすると、自分の自由意志で決めている感じになります。
視点を変えてみることで、自分がそれまで依存していたということに気づく。
これが大事だと思ったのです。
そこでは説明しませんでしたが、依存してしまうのは心に不安があるからです。
不安があるのは、何かの必要性を感じているからです。
特に、自分の生存に対する必要性を感じている間は、この不安から完全に逃れることはできません。
この必要性を完全になくすということは、かなり難しいと思います。
だって、この世はあまりに現実的で、とても幻想には思えませんからね。
水がなければ、空気がなければ、それだけで生命が絶たれてしまう。そう感じたとしても、不思議ではありません。
それでも修行などによって、必要性を減らすことは可能です。
ですから昔の武士は、殿様から「死ね!」と言われれば、何の抗弁もせずに切腹することさえ可能だったのです。
私はこの幸せ実践塾で、必要性が完全にないことを説明しています。
ただ、それが納得できるかどうかは別問題です。
理論を学びながら、実践を繰り返しながら、徐々に必要性を減らしていけばよいと思います。
話を戻しますと、自信を持つかどうか決めているのは自分なのだ、ということにまず気づく必要があります。
それがわからないと、そもそも「自信を持つ」とは考えませんからね。
「自信を持てる」かどうかという視点で見ている限り、他の何かに依存してしまいます。
そうすると翻弄されるので、自信が持てたように感じても、何かあると簡単に喪失してしまいます。
これを視点を変えて、依存する必要性がないのだと理解すると、やっと「自信を持つ」ことへのチャレンジが始まるのです。
どれだけ依存を捨て、自分だけを拠り所にできるか。そういう自分との戦い(本当は戦いではありませんけど)になるのです。
2013年08月11日
この記事へのコメント
コメントを書く
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。