あるいは、理不尽な犯罪や事件、あるいは事故が連日のように発生し、それらの一部がニュースとして報道されます。
私たちはそれを、新聞やTVのニュースなどで見聞きして、その内容に反応する生活を送っています。
このような悲しみや怒りを発生させる情報を常にインプットすることは、私たちにどういう影響があるでしょうか?
私が言うまでもないことですが、良い影響があるはずがありませんよね。
実際に、多くの人がそう言っています。
それでもニュース配信をやめられないのがマスコミというものです。
なぜなら、その仕事にその人たちの生活がかかっていると信じているからです。
私たちは何も、マスコミの態度を批判する必要性はありません。
見聞きしたくなければ、インプットしなければ良いだけなのです。
私がお勧めしているみやざき中央新聞も、そういう悪感情を引き起こすニュースを流すのは嫌だと考えて、感動や喜びをもたらす情報を届けたいという想いで作られたのだそうです。
情報を取捨選択するということは、大切なことです。
「これは自分にとって有益な情報だろうか?」
そう考えて、自分で判断することです。
不要ならTVのスイッチを切ったり、新聞を読まないという判断も必要だと思います。
先日読んだ、「だれもが幸せになるハワイの言葉 ホ・オポノポノ」でも、「夜のニュースは見ないほうがいい」と書いてありますね。
「夜のニュースでひどい事件を見て、「最悪だわ!」と暗い気持ちになったまま、クリーニングしないとする。すると、記憶は増大するわけです。」
(中略)
「クリーニングしないのであれば、夜のニュースは見ないほうがいいでしょう。クリーニングした結果、インスピレーションで「ニュースを見たほうがいい」と感じたときに見ればじゅうぶんだと思います。」(p.39)
私はいま、このホ・オポノポノのクリーニングを実践しています。
昨日の記事「ホ・オポノポノ的な見方について」で、ホ・オポノポノについて「私には理解できない」と書きましたけど、実践はしています。(笑)
それは、このやり方に効果があると認めているからです。
たとえば、何かで腹が立つことがあったとしましょう。
そんなとき、「あ、これがクリーニングすべきことなんだな」と気づくので、心の中で「ありがとう、愛しています」とつぶやくのです。
これは、その怒らせた相手とか現象に対して言っているのではありません。
膨大な記憶の中から、私にクリーニングしてもらいたくて再生してくれたものだと考えて、その記憶を見せてくれたウニヒピリ(潜在意識)に対して言っているのです。
そうすると、その瞬間に出来事と怒りの感情の間にある隙間が押し広げられます。
怒りが収まるというより、距離ができてコントロールしやすくなる、と表現したほうが適切でしょう。
そういう感覚になったとき、その隙間にある考えを取り出して検証します。
「何が私をそんなに怒らせたのだろう?」
すると、その背後にあった私の不安などが見えてきます。
「そうか、それが怖くて怒ったんだな。」
それから、その不安が現実ではないことを考えてみます。この世はすべて幻想なのですから。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」と辞世で詠んだのは、太閤殿下の豊臣秀吉でしたね。
私の場合はそうやって、自分の感情を後から変えるようにしています。
とっさには反応してしまうとしても、その感情が心地よくないと感じたなら、心地よく感じられるように考え方を変えて、追体験するのです。
そうやって、自分の体験を良いものに塗り替えながら生活しています。
これをやると、怖いものがなくなります。
不幸になる心配がなくなるというか、幸せでいられないはずがないと思えるようになるのです。
ぜひ、お試しください。
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