最近、ホ・オポノポノがじわじわとブームになっている気がします。
何だかよくわからないホ・オポノポノという不思議な言葉に惹かれて、私のように興味を持つ人が多いのでしょう。
昨日の記事「だれもが幸せになるハワイの言葉 ホ・オポノポノ」でも紹介しましたが、ホ・オポノポノというのはハワイに伝わる問題解決手法です。
様々な方法を使ってクリーニングと呼ばれることをすると、自然と問題が解決してしまうのだそうです。
ではなぜこれで問題が解決するかということなのですが、それにはこの世をどう見るかというホ・オポノポノ的な見方を知る必要があります。
ホ・オポノポノによると、この世の現象は、記憶の再生か至高の存在からのインスピレーションなのだそうです。
そして、問題が起こるのは記憶が再生されているからで、至高の存在からのインスピレーションを受ける状態なら、何も問題が起こらないということになります。
記憶というのは、潜在意識(ウニヒピリ)に蓄えられた記憶で、それは自分の記憶だけでなく、ありとあらゆるものの記憶です。
無機物にさえ記憶があると言います。
こうした様々な記憶が、私たち、つまり顕在意識(ウハネ)にクリーニングしてもらいたくて、記憶を再生しているのです。
「なぜそうなのか?」ということに対する説明はありません。
おそらくインスピレーションによってそう知らされた、ということなのでしょう。
クリーニングの方法については、一部を昨日の記事で紹介しました。
特徴的なのは、気持ちを込める必要がないということ。
単にクリーニング装置のスイッチを入れるようなつもりで、クリーニングをすればよいということなのです。
理屈っぽい私からすると、この説明ではどうにも納得できません。
仮に、潜在意識(ウニヒピリ)がクリーニングして欲しくて記憶を再生しているとしても、なぜそれを直接的に解決することではなく、魔法の呪文を唱えるようなことでクリーニングできるのでしょう。
そこにいったいどんな意味があるのか、理解できないのです。
もしそれが正しいなら、私たち人間は何のために存在しているのでしょう?何のために創られたのでしょう?
訳もわからずクリーニング装置のスイッチを入れるだけの一生を送るために、創られたのでしょうか?
私は、そういった論理の一貫性がないと、納得できないのです。
もちろん、だからと言ってホ・オポノポノが間違っていると言いたいわけではありません。
私には理解できないというだけです。
ホ・オポノポノが正しいかどうかは別として、私の考え方と一致している点もあります。
それは、この世の現実が実は現実ではない、という見方です。
そのほとんどが記憶の再生にすぎないのであれば、それは現実ではないということですよね。つまり幻想に過ぎません。
幻想に過ぎないのであれば、そのものに直接係る必要性はないのです。
もちろん幻想と言っても、この世はあまりに現実的です。
物質を触れば、触った感覚があります。
したがって、ここで言う幻想という言葉は、日常的に使われる幻想とか夢とはちょっと違います。
本質的ではない、と言った方が正しいでしょうか。
ホ・オポノポノでも、記憶の再生と言いながら、やはり具合が悪いときは病院へ行くべきだと言います。
ただそのとき、クリーニングすれば問題が解決するように導かれると言うのです。
幻想であっても、問題解決のために幻想世界の法則を乱すものではない、ということでしょうか。
また、クリーニングによって問題が解決するプロセスですが、それもなぜそうなるのか私には理解できません。
ただ、クリーニングすることによって、自分が一歩下がった視点から自分の思考や感情を見られるようになる、ということが重要なのではないかと思っています。
自分の思考や感情を客観的に見つめられるようになると、出来事に反応しなくなります。
出来事に反応しないということは、そこに別の考え方を挿入できるということです。
したがって、自分の思考が変わるのですから、創りだす未来が変わったとしても、「原因と結果の法則(引き寄せの法則)」にしたがうなら不思議なことではないのです。
たとえば、こういうことになります。
体調が悪くて病院へ行ったら、癌だと告げられたとしましょう。しかも進行していて、手の施しようがないと。
そんなときにホ・オポノポノなら、まずこれは記憶の再生であると認識します。つまり、本質的な現実ではないのです。
そして、クリーニングをすることで問題は解決するとわかっています。
さて、もしホ・オポノポノを信じて実行していたら、どうなるでしょうか?
はっきりしているのは、「不安から解放される」ということです。
だってこれは記憶の再生なのですし、たいして難しくもないクリーニングによって解決するのですから。
不安から解放されたら、悪くなるような想像をしたり、そういう思考にとらわれたりするでしょうか?
するはずがありません。明るい未来を描かないとしても、少なくとも自分の将来を悲観したり、意気消沈して憔悴することはありません。
こういった自然なポジティブ思考は、私たちの身体に何か影響を与えないでいるでしょうか?
これは科学的に言っても、良い影響があることは間違いありません。
ですから、癌が消えてなくなっても不思議ではないのです。
では、自分自身のことではなく、地域や他人に対しての影響はどうでしょう?
ホ・オポノポノでは、すべての人やものに対して影響があると言います。
つまり、誰かがどこかでクリーニングしたことが、自分へも影響するのだと。
このことは、私にすれば当然のことだと思います。
なぜなら、私たちの本質は「ひとつのもの」なのですから、影響がないわけがありません。
これは物質的に直接影響するものしか信じない人にとっては、理解できないかもしれませんね。
このように、ホ・オポノポノ的な考え方を丸ごと受け入れられるわけではないのですが、本質的には私の考え方と同じだと思います。
この世の出来事を幻想だと見抜き、出来事にとらわれることなく、本来の自分でいられるように努めるなら、問題は解決すべき時に解決するのだと思うのです。
だから、人生に起こる出来事は必然で無駄がないと言うのです。
無駄には発生しないのですから、必要がなくなった出来事は、消滅するしかありません。
病気になるのも必然なら、治るのもまた必然なのです。
2013年07月31日
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