2013年07月04日

子どもの父親を公表しないといけないの?

今日Yahoo!ニュースを見ていたら、また面白い記事がありました。

「誹謗中傷、執拗な取材……“出産告白”の安藤美姫サイドが困惑」

アイススケーターの安藤美姫さんが、未婚で出産したことに関する報道です。

 

前の女性弁護士のときもそうでしたが、コメントに書かれた意見は、安藤さんに批判的なものが多いですね。

最近、自己責任の話題があったせいか、「自業自得」というものが目立ちます。

予想できたことだし、メディアを利用したのだから、不利益も受け入れるべきだと。

たまに、誹謗中傷ばかりのコメントに、あきれたと書く人もいますけどね。


それにしても、どうしてそっとしておけないのでしょうね?

マスコミもそうですが、マスコミがそうやって追いかけるのは、読者や視聴者が気にしているからです。


本人が言わないと言っているのですから、放っておいてあげれば良いのに。

それができないのは、好奇心が強いからではありません。

自分が幸せでないからです。


自分が満足していないから、他人の幸せが許せないのです。

いわゆる妬(ねた)みとか、嫉(そね)みと言われるもの。

嫉妬(しっと)心が強いのです。


また、「他人の不幸は蜜の味」とも言いますが、他人の失敗や不幸を好むのも、やはり自分が幸せではないからです。

自分と同じか、それ以下にまで他人を引きずり落とすことで、相対的に自分を高めようとするのです。

「あいつ、偉そうにしてるけど、実は◯◯なんだってさあ。」

こういう暴露話も、相手の評価を下げることで、自分を相対的に上げようとする試みです。

 

しかし、そういった試みはすべて、自分自身の評価を落とすだけです。

そのことは、もうほとんどの人が知っているでしょう。

だから「マスゴミ」などと言って、そういうどうでも良い情報を流すマスコミを揶揄(やゆ)したりもするのです。


マスコミの人は、「自分たちは大衆の期待に応えようとしているだけだ」と、まじめに考えている人もいます。

つまり、大衆の要望に応えることによって、人々にささやかな幸せをもたらそうとしているのだと。

だから自分たちの行いは正義であり、評価されるべきことだと考えています。

果たしてそうでしょうか?


たしかに、大衆が期待していることは間違いありません。

ですから、お金を払ってでも知りたいと思うのです。

けれども、それで人々が幸せになるでしょうか?


一時的に満足することは事実でしょう。

けれども、喉の渇きが癒えることはありません。

「もっともっと」と他人の不幸を欲しがり、幸せな人を引きずり落としたくなるのです。

そういう人々に対して、要求されるものを与え続けるのは、アルコール中毒患者にお酒を与えるのと同じ行為だと思います。


中毒患者、つまり何かに依存している人を助けるには、その依存対象からその人を、引き離さなくてはなりません。

それが本当の意味で、人を幸せにすることではないでしょうか?



そうでないと言うなら、法律は置いといても、ヤク中患者に麻薬や覚せい剤を提供することは、良いことだということになるでしょう。

「だって、相手が欲しがっているんだから。」

売れれば何でも良いのでしょうか?

お金が手に入るなら、何をしても良いのでしょうか?


それと同じことが、一人ひとりに対して言えます。

「だって知りたいんだもの。」

興味を満たせれば、それによって他の人がどうなっても良いのでしょうか?

自分が満足するなら、他の人を不幸にしても良いのでしょうか?


理由はどうにでも付けられます。

価値観は人それぞれであり、その人にとっては、それが正しいのです。

「だって、あいつが悪いんじゃないか。結婚もせずに出産したんだぜ。それで父親の名前も言えないって、後ろめたいことがあるからだよ。」

それが正しいかどうか、決めるのは自分自身です。

 

ですから、正しいかどうかを論じ合っても、あまり意味はありません。

問題は、それが本来の目的に役立つかどうか。

その選択によって、目的が達成できるかどうかが重要なのです。


私たちが何かを選択するのは、それによって自分を表現するためです。

つまり、自分自身を創るためです。

その目的に対してふさわしいかどうかが、選択基準となるべきでしょう。


ですから何かを選択したとき、それが自分らしいかどうかを感じ、自分らしくないなら改めるべきなのです。

それが、自分らしく生きるということですから。



しかし多くの人は、自分が選んだことに固執してしまいます。

間違いだったと認めることが不安だからです。

そこで選択を正当化しようとして、自分自身にウソをつきます。

そうやって徐々に、本当の自分から離れていくのです。

 

いずれにせよ、何かを選択することによって、自分とは何かということを表現することになります。

そしてその表現によって、自分の人生が創造されます。



自業自得だと言って誰かを責めるときのあなたは、本当にあなたらしいあなたでしょうか?

そういう自分を外から眺めたとき、美しいと感じますか?

今、あなたのその選択が、未来のあなたを創造したのです。


人生とは自分という人間を、一生かけて彫り上げていくようなものです。

あなたは、どんな自分を創りたいのでしょう?

あなたは今、その選択をしているのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:24 | Comment(0) | SJ通信過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。

ランキングに登録しています。面白かったらボタンをポチッと押してね。
↓↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ